2-17.監視と管理
そんなミルキィの言葉に、ミルベルの視界は滲んだ気がした――が、それを完全に自覚する前に急いで顔を伏せる。
ミルキィに握られた手が緩むのを感じて、ミルベルは咄嗟に指先で目尻を拭う。
すんっと鼻を啜りながら、改めて娘の顔を見上げて笑い返す。
「じゃ、一緒に家に帰ろうか」
そう言えることが、嬉しかった。
◇ ◆ ◇
「――で、そろそろ訊いてもいい?」
落ち着いた頃、コップに口を付けて一息ついたミルベルが切り出した。
「なんで、ミルは耳と尻尾が出てんの? 今って、そんな時期じゃないよね?」
満月は過ぎたばかりだし、と不思議そうにミルキィの頭へと視線を向けるミルベルに、ミルキィは曖昧な顔で笑い返すことしか出来なかった。
自身の獣の耳を指で軽く摘みながら、あーねー、と意味なく声をもらす。
「……それが私にも、わっかんないんだよねぇ」
指を放すと、耳がその指を追い払うようにぱたぱたと動く。
気付いたら現れていた耳と尾。あまりに自分にとって違和のないそれだったから、すぐには気付けなかった。
それは今でも変わらない――むしろ、これが当たり前だ、という感覚の方が強くなってしまっていた。
もう、とうの前からこの身は、魔族の方へと比重をそれだけ傾けていた、というわけだ。
思わず皮肉げな笑みが口の端に浮かぶ。と。
「こらこら、そんな顔しない。自分の道行きを決めたなら、真っ直ぐ歩いていきなさい」
横から伸びた手が、ミルキィの口端を摘んで引き伸ばす。ミルベルの手だった。
「引き戻る気、ないんでしょ?」
「……うん。ないね」
もとより、そんな選択肢は己にないのだから。
「てか、引き戻れないし」
ミルキィの過去がそれを許さない。そうさせない。
「なら、真っ直ぐ歩いていきなさい。手伝えることは手伝うし、その準備だって終わったわけだし」
準備。その言葉に、ミルキィは口の端を摘んでいたミルベルの手を剥がしながら、「うん?」と首を傾げる。が、ミルキィがミルベルの顔を見やる前に、横から上がった声に振り向いた。
「それ! なんだけど、ススちゃんなら力になれるかも。ね、ググっ!」
ゆらゆらと尾を揺らしながら、声を上げたススがググを見上げる。
ススのカッパー色の瞳に見つめられ、ググは一瞬眉間にしわ寄せたが、すぐに彼女が何のことを指しているのかわかったようだった。
ああ、あのこと、それなら確かに、と一人納得顔で頷き、ググがミルキィを見やる。
「――ミルキィちゃんは、国の監視下に置かれてる?」
その問いかけに、ミルキィは身体が強張ったのを自覚した。
些細な変化を感じ取り、ミルベルがミルキィを庇うようにして片腕を娘の前に出す。
敵意混じる目を向けられ、ググは慌てた。
「あ、ごめんっ。言葉が悪かった、です……」
睨むミルベルに気圧され、ググの言葉尻がしぼむ。
この短時間の会話だけでは、ミルベルの警戒を完全に解くことはできなかった。
だが、そんな母の腕にミルキィの手が触れる。
「お母さん、私は大丈夫だから」
「でも、ミル」
「大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
ミルベルはミルキィを見、本心を探るように暫し見つめたあと、仕方ないなと小さな嘆息と共に腕を下ろした。
ありがと、とミルキィは小さく礼を口にして、一つ深い息をしたあと、ググと改めて向き合う。
「ググさん、さっきの答えだけど――」
と言いかけたとこで、突としてミルキィの前にググの手の平を向けられ、言葉を遮られた。
「待って、ストップ。ぼくが悪かった。……ごめんね」
ググの手の向こう。そっと視線を動かすと、ググが眉尻を下げていた。彼が手を下ろす。
ごめん、と。もう一度彼から言葉がこぼれた。
伏せられた視線から、彼が申し訳なく思っている気持ちが十分過ぎる程に伝わってくる。
ミルキィは口を開きかけ、すぐに閉じる。彼女としては、少しだけびっくりしただけであって、それ以上の感情はなかった。
正直な気持ち、そこまで大事に受け止めなくともいいのに、だ。
それでも、母がミルキィを想っての行動だったこともわかっているので、母を責めることもしたくない。
困ったミルキィは、耳を情けなく倒しながら、助けを求めてススを見た。
すがるミルキィの視線に、ススは仕方ないと苦く笑って応える。
「――これ見て」
ミルキィの前へと進み出たススが、自分の首元を見せるように身体を軽く反らした。
始めは何をしているのかと思ったが、ススの黒の体毛に埋もれた、きらりと光を弾く無機質なものをみつける。
「それ、鉱石……?」
ミルキィの呟きに、ススは前足でそっとそれを持ち上げる。首元を飾る鉱石に触れ、見せるように示した。
夜を閉じ込めたかのような夜色の鉱石。ダイヤ型にカットされ、そこへチェーンを通してススは首から下げている。
見た目通りに、夜の気配を多分に感ずる。それどころか、魔の気配が――。
「……魔結晶か」
「うん、そうだよ。夜の魔を多分に含んだ魔結晶――それから、ススちゃんの補助石」
「補助石……?」
聞き慣れない、聞き馴染みのない単語に、ミルキィは鉱石へと落としていた視線をススに向けた。
隣でミルベルがぴくりと反応したことには気付かなかった。
前足を下ろしたススは、両の前足をすっと揃えてミルキィと向き合う。
「ススちゃんの持つ魔の源は、夜。だから、ススちゃんの補助石も、夜の気配に浸して用意してもらったものなんだよ」
それからススとググが説明をしてくれた。
補助石――それは、持ち主の魔力巡りを補助すること。
素は魔結晶。魔を多分に持った魔結晶を精霊界にてゆっくりと削ぎ、持ち主に馴染ませて加工された石。
言葉にすれば簡単だが、その工程は一度人の手を離れてつくられている。
そして、その工程を踏んだ鉱石の存在を、ミルキィは一つ知っていた。
自身が持つウエストポーチの中。大樹の葉に包まれたそれ――精霊王は『月の雫』と呼んでいた。
少しだけ嫌な予感がして、ミルキィはたらりと冷や汗が流れた気がした。
ススがミルキィを見やる。彼女のカッパー色の瞳は、ミルキィの全てを見透かすみたいで居心地が悪い。緊張からか唇を舐める。
「ススちゃんの補助石はね、人の監視下に身を置くことを条件に用意してもらったもの」
「それって、つまり……」
その先の言葉は続けられなかった。けれども、ミルキィが言えなかったことを、ススは正確に掬い取る。
「うん。管理されることを、ススちゃんは選んだってことだよ」
これまでと違って、ススの瞳は真剣な色を湛えていた。そこに茶化す色も、調子づく色もない。
「ススちゃん、猫の身体にしては保有魔力が多かったから、うまく扱えなかったんだよね。絶対にどこで歪みは出るの」
困ったように笑うススに、ミルキィはにへらと笑った時の彼女の姿を思い出す。
あの部分化け。猫の身体に、前足だけが人の手になった姿。
「僕はねずみの身体にはちょうどいい保有魔力だったから、管理下におかれることもなかったんだけど――」
ググがちらりとススを見る。
「ススは人を害する可能性ありって認定されちゃったから……」
「でもそれは、ススちゃんから言い出したことだよ?」
沈んだ顔をするググを、ススは小さな前足を伸ばして彼の腕を撫でる。
当の彼女は何でもないように、にへらと笑った。
「ほらぁ、かわゆい猫ちゃんがさ、いきなり! 目の前で! 顔だけ人っ、とかになったら、みんな驚くじゃん? そうやって騒ぎになっちゃうのは、さすがのススちゃんも困っちゃうしさぁ」
それを国が『人を害する可能性あり』と認定した。
ただ、見目が変わって驚かせる程度で。
ミルキィは口を引き結ぶ。自分みたいに、人を傷つけたわけでもないのに。
ススはひょんひょんと尾を揺らす。さして気にしてなさそうな様子で。
ググは彼女の両脇に手を差し入れ、尻を持ち上げてから抱き上げた。
頬を指先で撫でながら、ググはカッパー色の瞳を揺らす。
「……なんで、ススだけ」
そんな呟きが、ぽとりと落とされた。
「いやぁ、ススちゃんってばかわゆい猫ちゃんだから、目立っちゃうんだよねぇ」
ググを見上げ、ススは目元を和らげる。彼女は明るい声を部屋に響かせ、尾でググの腕を優しく叩いた。
ミルキィには、それがググを慰めているように見えたのは、ススのカッパー色の瞳が優しい色を湛えていたからか。
ググはそんなススをぐっと引き寄せた。




