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2-16.魔族として


 ――かちっ。

 細く張り詰めた空気が満ちる部屋に、パソコンのマウスのクリック音が響く。

 ディスプレイのカーソルを目で追い、メールボックスの送信トレイに先程の送信したメールが入っていることを確認する。ふうと短な息一つ落とし、椅子の背もたれへ勢いよく身を倒した。


「これで片がついたぁ……」


 天井を仰ぎ見、そこでようやく日暮れを知る。気づかぬほどに集中していたらしい。

 まあ、それはままあることなので、またやってしまったな、と苦笑しながら窓へ視線を投じる。

 橙を透かすレースカーテン。椅子から立ち上がり、部屋の明かりを付けながらカーテンを閉めた。


「私に出来るのはここまで、あとは旦那の分野。そしたら、ミルキィ(あのこ)の助けの一つに――」


 そこで言葉を切る。机の端に置いていたスマートフォンに通知ポップアップが表示された。手に取って確認してみれば、送り主は娘からだ。

 メッセージアプリを起動させ、『迎えにきてください』の文面にミルベルは目を丸くした。




   ◇   ◆   ◇




「――と。うん、大丈夫だって。仕事もちょうど片がついたとこだったみたい」


『おけ』との母――ミルベルの返信に、ミルキィはハグレモノの隠れ家までの地図をリンクで返し、メッセージアプリを閉じた。

 ことん、とカウンターにスマートフォンを置いたミルキィの前へ、すっとハンドタオルが差し出される。

 濡れタオルだ。金の瞳を瞬きながらそれを凝視したのち、ミルキィは差し出し主を見上げた。


「あの……?」


「お母さんが来る前に、その目元、少しでも冷やしたらどうかなと思って」


 ググが自分の目元を指差しながら、もう一度ミルキィへハンドタオルを差し出した。

 ああ、そういえば。と、ミルキィは先程まで少々泣いていたのを思い出す。そう言われてしまえば、目元に少し腫れぼったさを感ずる気もする。確かに、このまま母と対面するのは気まずい。


「……ありがと」


 今は素直にググの厚意を受け取ることにして、ミルキィは差し出されたハンドタオルを目元に当てた。

 ひんやりとした温度が腫れぼったい目元に沁みていく。気持ちよさを感ずるということは、やはりそれなりに腫れていたらしい。

 その間にカウンターを整えているのか、物音が響き、側からススの気配が遠退く。

 ひんやりとした温度を十分に行き渡らせた頃、ミルキィはそっと濡れハンドタオルを目元から離した。

 瞬くまぶたの重さが幾分か軽くなり、視界も明るくなった気がする。


「うん。すっきりしたね」


 淡く笑うググに、ミルキィは少しだけ眉を下げて笑い返す。


「……ありがとう、ございました」


「楽な話し方でいいよ」


 ひらと片手を振ったググは、ミルキィから濡れハンドタオルを受け取ってカウンターキッチンから出て行く。

 その隣の部屋へと通ずるっぽい扉へと消えて行ったから、その先に生活の要所――水回りなどがあるのかもしれない。

 ミルキィが一人だけ残された空間。シーリングファンの回る小さな音が、さらに静けさを強調するようだ。

 レースカーテンを透かす暮れの色が、シャレオツなレースカーテンによって木漏れ日のような模様を室内に落とし、まるで夕日に染まる森を揺蕩っているような心地を運ぶ。

 この空気感はいいなと思えば、己の気持ちに正直に動く己の尾が、ふぁっさと音をたてながら振れ動いた。

 それを視界に認め、反射的な動作で己の頭部に手をやる。その手に、まるで撫でられ待ちのように倒れた獣の耳が触れ、ミルキィは嘆息をもらした。

 手は獣の耳に触れることなく、頭部の輪郭に沿って下ろしていき、横顔に触れた。そこは人の形態に変じた際には、人としての耳がある箇所だ。

 と。そこで苦笑を浮かべる。


「……人の形態とか、箇所とか。人なら、そんなこと普通は思ったりしないのになぁ。あーあ、私の本質はこっちってことだ」


 目を閉じ、両の手の平を組んで、くっと頭上に持ち上げ伸びをする。そして手を下ろし、顔を上げる。気持ちはどこか晴れ晴れとしていて、一つ息を吐き出した。


「今でも面倒だなって、煩わしいものなんて蹴散らしちゃえ、関係ないもんって思うけど。それでも、私には居たい場所も大事なものもあるんだし、そのために必要な努力はしなくちゃって――」


 かたん、と音を立ててカウンターチェアから立ち上がる。


「今の私なら、前向きな気持ちで思えるようになったよ」


 ほわりと笑ってミルキィが振り返った先には、ススに迎え入れられたミルベルが立っていた。




   *




 黒猫(スス)に招き入れらた小さな家。そこには(ミルキィ)が居た。

 振り返った彼女は、なにやらすっきりとしたような雰囲気をまとい、向けられた笑顔にどきりとした。

 ――彼女は何かを決めた。

 そんな予感を抱き、ミルベルは胸の前できゅっと手を握った。

 しばしその場で立ち竦んだままでいれば、家主(ググ)が奥から現れ、カウンターキッチンの席を勧められる。

 勧められるままにカウンターチェアへ座れば、その隣にミルキィが座り、カウンターの上に黒猫が跳び上がった。




   *




 戸惑いと警戒がないまぜになったミルベルにススとググを紹介し、彼らに(ミルベル)を紹介する。

 ススとググが魔族だと紹介した際、ミルベルは一瞬の驚きを表立たせたのち、警戒を強めたのをミルキィは肌で感じた。

 けれども、その後の会話は和やかであり、警戒をしつつもそれを表に出さないミルベルに、ミルキィはほっとする。

 ミルキィの気持ちに素直な尾がゆっくりと左右に振れた。獣の耳が寝るのも、ミルキィの抱いた安堵の現れなのかもしれない。

 会話の合間に出されたコップに口をつけていたミルベルが、ふと視線をミルキィに向けた。

 ミルベルが見やるのはミルキィの頭部。何かに引き寄せれるようにミルベルの手が伸び、ミルキィが身構える前に彼女の手が触れる。

 突然のことにミルキィは身を硬くするも、伸ばされた手が、獣の耳の付け根、後ろをほぐすように撫で始めるものだから、徐々に緊張が緩んでいった。だって、そこに心地よさを覚えてしまったから。

 撫でろとばかりに耳をさらに倒し、目を閉じてその心地を堪能する。ぐるぐると喉が鳴るのは、もはや本能だ。

 うっとりするように目を細め、その心地に身をゆだねて少し、ふとミルベルから小さな笑い声がもれた。

 くすくすと笑うその声に、ミルキィは目を向ける。


「……こんなミル、初めてみたな」


 頭を撫でていたミルベルの手が離れると、それを惜しむように、くん、ともれた己の声に、ミルキィは慌てて口をふさいだ。


「これは、本能みたいなものだからっ!」


 のぼる羞恥にミルベルを見やると、彼女は目を丸くしたのち、今度はあははと大きな声で笑い出す。呆気にとられ、今度はミルキィが目を丸くした。

 ミルベルはひとしきり笑ったあと、目尻に溜まった涙を拭いながら「ごめんごめん」と口にする。


「そんな姿のミルを、かわいい、なんて思ったの、久々なな気がしたから」


 目尻に溜まった涙は、果たして笑ったがゆえか。別の理由もあるのではないか。少しだけ違う気配(におい)をミルキィは嗅ぎとった気がした。

 ミルベルが凛とした雰囲気をまとった瞳を向ける。ミルキィと同じ金の瞳を。

 瞳に宿るその色に、ミルキィも自然と背筋を伸ばす。

 ミルベルがゆっくりと口を開いた。


「……決めた、んだよね」


 そこに秘められた想いを感じ取る。ミルキィはひとつ、強く頷いた。

 見返す瞳は真摯に。相手が(ミルベル)だから、はっきりと告げたかった。


「私はどうあっても私で、それ以外にはやっぱり成り得なくて。だからね、お母さん」


 ミルキィの金の瞳に紅の色が帯びる。


「――私は、魔族として生きてくよ。私は私、始めからそう自分で言っていたのにね。そのことに、意味にやっと気付いた」


 しんっ、と。静寂が響いた気がした。

 響いた静寂の余韻が残る中、ミルベルがそっと口を開く。そっか、と。


「……じゃあ、ミルは魔族の国へ行くって、決めたんだね」


 お母さんに相談はなかったけど。ミルベルはぽとりと言葉を落とし、淡く笑う。

 まるで泣き笑いのような、泣き出す一歩手前のような笑みで、ミルキィは咄嗟にミルベルの手を取った。


「待って、勘違いしてる。でも、相談しなかったのはごめんなさい」


 両手で包むようにそっと握り、紅を帯びた金の瞳で真っ直ぐ見つめる。

 魔族として生きると決めた。けれども――。


「大切なものは手放さない、とも決めたよ」


 全ては無理かもしれない。ミルキィが抱えられるものには限りがあるから。


「お母さんも、その一つ」


 だよ、と。ほわりと笑って見せた。

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