2-10.なんか増えてる
買い出しから帰ったミルキィは、買った物を冷蔵庫に突っ込んだり、棚に放り込んだりしたあとは、部屋のベッドに寝転んでスマートフォンをいじっていた。
家に着いた頃には、もう一度家を飛び出していける時間帯でもなく、仕方なく惰性でネットを流し見ている。
母に心配をかけるわけにはいかない。
ごろんと何度目かの寝転がりをした時だった。ふいに窓ガラスを突く音がした。ミルキィは顔を上げる。
「うわっ、もう夕方?」
画面の端の時刻は見ていたので、日が暮れ始めているのは時間的には知っていた。
だが、部屋が薄暗がりに包まれていたのには気付いていなかった。
――ああ、そうか。人はこの時間帯だと薄暗く見えるのか。
それに途方もないような、心許ない気持ちが付きまとうのはどうしてか。
「……ホントなら、こんな夕方でも見通せるはずなのにね」
そんな眼を、自分は持っているはずなのに。制限を課せられたように不満が絡む――が、そこで慌ててはっとする。
「――違う。私は人だ」
己に言い聞かせるように、馴染ませるように呟いてから、ミルキィはむくりと身を起こす。慣れた動きでまっすぐ窓辺へと向かう。
橙の色を透かすレースカーテンを引くと、窓の外で枠に留まって待っている小鳥の姿があった。
ミルキィが窓を開ければ、小鳥はぱたたと羽ばたいて彼女の肩に留まる。
「おかえり、バロン君」
「おう」
バロンの応えの声を聞きながら、開けた窓を閉めようと手を伸ばした時――小さな影が動いた。
訝って眉根を寄せ、小首を傾げる。
と、ひょこりと小さな影が顔を覗かせ、その小さな瞳と目が合った。
「――なんか増えてる」
口から思わず言葉がもれた。
ぱちくりと瞬く小さな瞳。背からは縦筋の模様が走り、くるりと巻かれた長い尾が目を引く。
「なんでリスがっていうか、……君、精霊?」
気配そう告げている。
ミルキィは肩に乗るバロンを見やった。
「てか、バロン君の知り合い……?」
「知り合いっつーか、知り合いになんのか……?」
バロンが首を傾げてミルキィを見返した。
「いやいや、そんなの私に訊かないでよ」
「……そーなんよな。なんていうか、オレの知り合いっていうか、母さんの知り合い? 的な……?」
バロンがミルキィの肩から飛び降りる。
彼は少年の姿に転じて床に着すと、今だに窓から顔を覗かせる精霊へ振り返った。
「ミント姉さんも入って来たら?」
精霊を手招き、彼女がそそそと中に入って来てから窓を閉めた。
ついでにバロンがカーテンを閉めると、部屋は暗がりに包まれる。
先程よりも暗く、ミルキィは部屋の照明を点けるために、スイッチのある戸口の方へと向かう。
戸口近くのスイッチに触れ、一気に明るくなった部屋に一瞬目を細めた。
「ミル姉」
バロンに呼ばれ、振り返る。
その振り返った先で。
「え、なんか増えてる」
バロンの隣に人の姿が増えていた。
それも見覚えのある姿が。
腰までの長さがある茶の髪を肩で払ったその女性は。
「少しの間、私も世話になりたいのだがいいだろうか?」
微笑を浮かべながら、ミルキィにそう問いかけた。
*
ミントと名乗ったその精霊は、人の姿に転じたままで階下へと下り、そのまま夕食を共にした。
その際に母が「なんか増えてる」と驚いてはいたが、ミントの丁寧な物腰に、家での滞在の許可はあっさりとおりたのだった。
「ティア様とシシィ様は、ミントの恩精霊なのっ!」
「そ。その関係で、オレとプリュは小さい頃から遊んでもらってたりしてたわけ」
ミルキィは自室のベッドに腰かけ、その横でえっへんと胸を張るリスの精霊と、回転椅子の背もたれを前にして座る少年姿のバロンを見比べた。
「へ、へぇー……」
そして、ミルキィは自身の隣で胸を張るリスの精霊、ミントを見やる。
言動に幼さがはらんでいる気がする。
何とも言えぬ複雑な色を浮かべる金の瞳が、そのままの色を宿したままバロンを見た。
バロンはその物言いたげな視線を受け、口をもにょもにょとさせる。
「……言いたいことはわかる」
「あまりにもギャップというか……。同なじ、精霊なんだよね……?」
ミントが人の姿に転じている際の言動と、リスの姿の時の言動があまりにもずれている気がした。
「このミントはオフのミントなの。デキルオンナ・ミントは疲れちゃうの」
そう言うと、ミントはその場に項垂れるようにしてへたりと座り込む。
ミルキィの眉が軽く跳ねる。
「え、あれってもしかして、キャラ作ってる感じなの?」
「違うの、演じてるの」
ミントがだらけた背筋を伸ばし、ミルキィを見上げた。
「違うのっ」
ミントがむむっとした様子で再度言葉にする。
その声音は強く、確かな意志の強さも垣間見えて、ミルキィは口を閉じた。
そこに何を見出すのかはそれぞれであり、決めつけも押し付けもよくはない――となんとか納得し、本音を内へ押し込めた。
「……うん、わかった」
「そーなのっ!」
えっへん、と腰に前足を添えて胸を張るミントはどこか誇らしげだ。
ミルキィは小さく苦笑をもらした。
「――それで、バロン君は今日も街の様子を見て回ってたんでしょ?」
身を丸めて寝入ってしまったミントの背を指の背でなでながら、ミルキィはバロンの方を見やる。
バロンは椅子の背もたれに腕を置き、おう、と応えた。
「やっぱ、もやが普通よりかは多い気がする」
彼は口を引き結ぶと、腕に顎を乗せる。
「そんであちこちで諍いが起きて、ちょっと警察が忙しそうだった。それぞれが小さいもんだから、あんま話題にはなってないっぽいけど」
「その諍いともやって関係あるんだ?」
「ミル姉も前に見てたじゃん」
バロンの琥珀色の瞳がミルキィを見る。
ミルキィは記憶を手繰り、先日の街中でのケンカっぽい現場を思い出す。
言い争う二人と、その彼らに絡みつく気配。薄暗い気配をまとい、地面から立ち上っていた。
「あれは、自然魔力に負の要素が絡みついたやつ。それを精霊らは『もや』って呼んでる」
「……負の要素っていうのは」
「負の気持ち、とかって言うんかな。悲しいとか、怒りとか恐いとか……? んで、そういうのをまとったもやに絡まれると、そういう気持ちとかが増幅されちゃうんだよ」
バロンの説明を聞きながら、ミルキィは眠るミントをそっと両手で掬い上げ、ベッド横にあるバロン用のバスケットに移動させる。
そして、改めてバロンと向き合う。
「ここまでは、おけ?」
「おけ。もやが何かはなんとなーくわかった」
というか、と。ミルキィはここで一度言葉を切り、思考を巡らせる。
「……検討違いだったらごめんだけど、今って精霊祭近くて外からも人が入って来てるじゃん? それもあって、いつも以上にもやってる感じだったり……?」
ミルキィの金の瞳がバロンを見ると、彼は関心した様子で腕に置いていた顎を上げた。
「飲み込み早じゃん。街を見回った限りだとそんな感じ」
バロンの視線がミントへ向けられる。
「そんで、街を見回ってる時にミント姉さんと出くわしたわけ」
「あ、それで何か増えてたわけか」
「ミント姉さん、街の様子の現状把握してたんだってさ」
「遊びに来たってわけじゃないよね?」
話の流れから、バロンらに会いに遊び来たというわけでもないだろう。
首を傾げるにミルキィに、バロンは「さあ、知んねぇ」と足をぶらぶらとさせる。
椅子が揺れてぎこぎこと軋む。
バロンはしばらく足をぶらつかせたのちに顔を上げた。
「けどオレ、母さん含めた魔法師団が出払ってるからじゃないかって睨んでる」
ああ、そういえばルカもだったなとミルキィは思い出す。
任務に赴いていて、今は彼と連絡をとることは出来ない。
日中の沈んだ匂いが燻り、その匂いを嗅ぎ取る前に口を開いた。
「そっか。マナが関わってるから魔法師団の範疇ってことか。諍いとかは警察の範疇でも」
「そ。でも、シルフのティアも同行してるし、もちろん渡しの役を背負ってるスイレンも同行してるから、動ける精霊がいないと思うんだよね」
彼らは役割を背負う精霊。謂わばまとめ役。
確かに指揮する者が居なければ、混乱するだけだろう。
ヒョオもまた、そのまとめ役の精霊に成り得るだろうが、彼はルカと結ぶ精霊だ。
同行しているはずだし、彼は精霊の身でありながら、魔法師団に席を置く者。
どちらかと言われてしまえば、彼は人の側に立つ者であり、精霊側として動くことは出来ない。
「だから、ミント姉さんはその下調べをしてんじゃねぇかなって思ってる」
バロンの言に「ふーん」と相鎚を挟みながら、ミルキィの脳裏に黒猫の姿が過った。
あの猫はもやを絡ませていた――同じ気配をさせながら。
それがミルキィの胸を強くざわつかせて仕方がなかった。