2-9.同じ気配
――同じ気配がする。
窓から眺める流れゆく景色の中、たまたま視界に引っかかった。
ミルキィは本能的にすぐにわかった。
自分と同じ気配を持つ――否、それ以上の強さの気配を持つ者だ、と。
◇ ◆ ◇
母に代わって買い出しに出掛けたミルキィは、乗合馬車に揺られながら帰路についていた。
乗り合う人はまばらで少ないが、狭い馬車内ゆえ邪魔にならないようにと、買い物バックは足の間に置いている。
アーチ型の屋根を布で覆った馬車は古く、良く言えば趣きがあり、悪く言えばおんぼろな馬車。
前方は御者と馬車を引く馬の背が見え、後方は乗降口になっているために遮るものはなく、見通しいい。
そして、左右に乗客が座れる座面はあるも、乗客の尻に対して思いやりのない硬い座面は、時間の経過と共に痛さを伴う。
風情あると観光客も珍しくない街なのだから、改装するとか、いっそのこと買い換えるとか、何とかならないのだろうかと、身勝手なミルキィは毎度思う。
自動車の走行が禁じられているこの街の公共交通は乗合馬車だ。
バスのようなものだとミルキィは認識しているが、今の時代ではバスの方が快適だろう。
はめ込まれた窓から見える街並みに目を向けながら、ミルキィはため息を小さく落とした。
見慣れた町並みが流れていく。
実際に徒歩で買い出しに出かけるよりも、乗合馬車を利用した方が楽なのも確かだ。
時代遅れだと思いながらも、この街に暮らしているのはミルキィだ。
文句は言えないし、言える立場でもない。
言ったところでこの街から出て暮らすことが難しいのも、ミルキィはわかっている。
もう自分は人から遠くなってしまっている――そして、己は監視下に置かれている身なのだから。
自嘲はらむ小さな笑みが口の端にのった。
からからと回る車輪に、その振動が尻に響く。
外から聞こえる街の喧騒はのどかでありながら、どこかいつもよりも浮足立った気配を感ずる。
ああ、そういえば精霊祭が控えていたなと、流れ行く景色の中にテントをみつけて思い出す。
馬車道に沿って、さすがにまだ品物は並べられてはいないが、屋台用のテントがちらほらと並び始めていた。
精霊祭に合わせて何とかマーケットを催すというポスターが、街のあちらこちらで貼られているのをみかける。
ふーん、と関心ない顔をミルキィは浮かべた。
投げやりな気持ちで外へ視線を投じていると、乗り合わせていた女の子達が浮足立った声でささやきはじめる。
「精霊祭、誰と行く……?」
きゃっと楽しげで弾んだ明るい声。
視線は外に向けたままでも、ミルキィの意識は自然とそちらへ向いてしまう。
がたごとと揺れる馬車の音。からからと回る車輪の音。馬車を引く馬の蹄の音。
耳に届く雑多の音の隙間を、女の子達のささやき声がひそひそと埋める。
「あんた、気になる人誘ってみたいとか言ってなかったぁ?」
「えぇー……言ったけど、勇気出んし……」
「送れ。お誘いメッセージ送っちゃえ。てか送れ、今っ」
「えぇええ?? 今ぁ??」
戸惑う声を発しつつも、かさこそと手持ちバッグを漁る音が聞こえた。
友人に唆されたからを免罪符に、メッセージを送ってみるらしい。
「……」
ミルキィもそそそと買い物バッグへ手を伸ばしたのは、決してその空気に当てられたからではない。なんとなくだ。
荷物に埋まったスマートフォンを手探りで探り当てる。
少しだけ浮ついている自分を自覚しながら、ミルキィは外に投げていた視線を手元に落とした。
画面を操作してメッセージアプリを起動させ、ルカとの対話部屋を開く。
が、そこで操作をしていた指が止まった。
一瞬硬まった身体。思い出したように、はっ、と息を吐き出したら、少しだけ身体の力が弱まった。
開いたルカとの対話部屋の最後のメッセージは、ルカから届いた『しばらく連絡できない』の文字。
そうだ。当たり前だ。ルカは今、任務中で仕事の最中。私的な連絡など、もってのほかだろう。
任務地によっては圏外の場合もあるし、環境によっては電波が妨げられる場合だってある。
浮ついていたのが、一気に地面へ引きずり降ろされたように正気に戻る。
スマートフォンを買い物バッグへ投げ入れた。
また奥底に沈んでいくスマートフォンを、普段からあまり大切に扱っていなかったのも手伝って、どうでもいいなと冷めた気持ちで、その沈みゆく様を見送った。
また窓の外へ視線を放り投げると、凪いだ心地で景色を流し見る。
己の気持ちが沈んでいるのに気付いてから、少しだけ期待してしまっていたことを自覚した。
「……なるほど。ルカと行きたかったんだ」
ぽとりと気持ちを落とす。
ルカの任務がいつ終わるのかもわからないし、終わったからといって、その後に時間があるのかもわからない。
仕事、か。胸中に落つるのは、落胆と――諦め。
どうやったって、自分は働く彼の隣には立てない。
働いていない自分では、働き口などない自分には、彼が眩しく映る。
細めた金の瞳は、さみしげな色をはらんで揺れた。
乗り合わせた女の子達の声は、ミルキィの耳にもう届くことはなかった。
景色が流れていく。
御者が次の乗合所を口にしながら、肩越しに馬車内を振り返る。馬車内からは、降ります、という応えの声が上がった。
そうして馬車は乗合所で停まり、乗り合わせた人が降り、乗合所からまた人が乗る。その繰り返し。
ミルキィは揺られながら、窓からの流れ行く景色を眺め続けていた。
最寄りの乗合所はもう少し先。
そんな中でそれが視界に引っかかったのは、飽きてきたなあとあくびを噛み殺した時だった。
黒い小さな影。
「猫……?」
別段、この街にだって猫は暮らしている。
だから、ここで猫をみかけるのも珍しいことではない。
では、何がミルキィの中で引っかかったのか。
それはミルキィが感じ取った気配。
彼女の本能が告げていた。己と同じ気配だと。否、それ以上の強い気配を持つ者だ、と。
だが、あっという間に猫は景色と共に流れて行ってしまう。
が、そこで馬車の速度が落ち始める。次の乗合所が見えてきた。
御者が、着いたよ、と乗合所の名を口にする。
ミルキィは降りてしまおうかと腰を浮かしかけるが、すぐに足の間に置いた荷物の重さではっとする。
座り直し、嘆息を落とした。
あの猫は気になるが、買い出しを放り出すわけにはいかない。
走り出す馬車。ミルキィは悔しさを滲ませながら、窓の向こうに見える猫を見送った。
その際、黒猫がもやのようなものを絡ませているのが視えて、小さく金の瞳を見開いた。
あれはバロンや、あのときに居合わせた精霊が言っていた、もやではないだろうか。
それをなぜ、あの黒猫が絡ませているのか。
ミルキィは疑問を抱くも、ただ流れ行く景色と共に、その黒猫の姿も見送ることしか出来なかった。
それでも、少しばかり気持ちが高揚しているのをミルキィは自覚していた。
だって、初めてみかけた同族だったから――と、ミルキィは慌ててかぶりを振った。
自分は人の領域で生きると決めたのだ。
「……だから、同族とか……そんなこと……」
思ってはいけないのだ。
◇ ◆ ◇
道脇を歩いていた黒猫は、するりと暗がりの広がる細い路地道に身を滑らせると、家屋の影からにょきと顔を出した。
「はにゃあ、ススちゃんとしたことが気付かれちったぁ」
長い尾をひょろりと揺らし、銅色の瞳をまん丸にする。
「だってぇ、あの娘の感覚鋭いんだもん。話に聞いてた通りだ」
小さくなっていく馬車を見送り、黒猫は顔を引っ込めた。
しゃん、と。彼女の首元を飾る夜色の小さな石が揺れる。
黒猫は白い靴下を履いたような前足を見下ろし、カッパー色の瞳を細めた。
「……人にしては、やっぱり魔族の気配が濃ゆい感じだった。でも、なんか曖昧な揺らぐ感じ」
ふーん、と呟き、黒猫はもう一度馬車が走って行った道を見やる。
そして、くるりと身体の向きを変えると、暗がりが濃くなる路地道の奥へと消えていった。
もやをその身に絡ませながら。