表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ひやしみじめうどん

作者: 村崎羯諦

『最近、立て続けに惨めなことが起こったので、ひやしみじめうどん始めました』


 近所にあるうどん屋の看板に書かれていたそんな言葉。それを見た僕は偶然にも他人の不幸が大好きだったから、喜んで店内へと入っていった。


「私の父なんですが、昔っから家では厳しかったんです。昔は反発もして、よく手を挙げられたりしましたよ」


 入店後、奥のテーブルに腰掛けた僕に辛気臭い表情をしたアルバイト店員が話しかけてくる。


「でも、大人になってからはそんな厳しさが父親なりに優しさなのかもしれないって思い初めて、最近では少しずつ感謝するようになっていたんです。


 だけど、ちょうどこの前、父親が勤める会社にインターンで訪問する機会があったんです。その時、父親には内緒でこっそり様子を見にいったんです。そしたらちょうど、父親が自分よりもちょっと年上くらいの若い上司から大声で怒鳴りつけられているところだったんですよね。周囲に聞こえるくらいの声量で上司は父親を罵倒していて、父親は何も言い返せずにただただ項垂れてペコペコしてました。そして、最後の方、その上司が父親のことをポンコツ薄毛野郎って叫んで、それに周りの社員たちがどっと笑ったんです。最近になって頭が禿げてきた父親は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、拳を握りしめてましたよ。


 家での威厳はそこにはこれっぽっちもなかったですね。それからあの厳しかった態度も、優しさなんかじゃなくて、会社で怒鳴られるストレスを私たちで発散してたんだろうなって、そう思ったんです。今では家族みんな、父親のことをかげでポンコツ薄毛野郎って呼んでますよ」


 店員が深いため息をつき、それから僕に問いかける。


「ところで、ご注文はどうされますか?」

「ひやしみじめうどんをください」


 店員はもう一度ため息をつき、厨房へと戻っていく。僕は注文を待っている間、店内の様子を観察した。最近できたばかりのお店なのか内装は小綺麗で掃除も行き届いている。だけど、やはりどこか鬱々とした雰囲気が店内に立ち込めていて、空気自体がどこか重たく感じられた。そして、店内の観察にも飽き、スマホでSNSでも見ようと思ったそのタイミングで、先ほどとは別の店員が話しかけてくる。


「もしかして……和也?」


 顔を挙げると、そこにはエプロン姿の女性店員が立っていた。


「翔子?」


 あまりにも突然の出会いに僕はそれ以上の言葉が出てこなかった。僕の問いかけに翔子が嬉しそうに頷き、彼女の両頬のえくぼが高校時代の記憶を蘇らせる。文化祭で告白したこと。放課後に二人で遊びに行ったこと。社会人になったら結婚しようと約束したこと。そして……夢を追いかけたいという俺のわがままで彼女を泣かせ、別れることになったこと。


「十年ぶりだよね……ミュージシャンになりたいっていう夢は叶った?」

「まだ道半ばだけど、今も夢に向かってバンド仲間と頑張ってるよ。まだまだ無名だけど、いつか翔子の耳にも届くくらいに有名になってみせるよ」


 それから僕たちは昔のように親しげに言葉を交わした。注文した料理が来たので、それを食べ、僕は会計を支払って店の外へ出る。


 大通りへ出ると、ちょうどギターケースを抱えた若い男とぶつかりそうになった。彼は慌てながらすいませんと謝罪の言葉を口にし、僕も大丈夫ですよと言いながら微笑み返す。そして、若い男が少しだけ急ぎながら離れていく。僕はその背中を見送りながら、その背中が見えなくなったタイミングで、大きな舌打ちをした。


 僕はスマホで時間を確認する。そして、特になんの予定もなかった僕はそのまま近所のパチンコ屋へ行き、親から仕送りしてもらったお金でパチンコを打つことにした。今日もいつもと同じ額だけ負け、満たされない気持ちのままオンボロアパートに戻る。僕は部屋着に着替えないままベッドに倒れ込んで、そのままSNSやネットで、自分よりも不幸な人間の話を探し始める。


 だけど、いつもは楽しいはずの他人の不幸話も今日は頭に入ってこなかった。ただただ自己嫌悪にまみれながら、僕はスマホを投げ出し、誰からも羨望の眼差しで見つめられていた輝かしい高校時代を思い出す。


 ひやしみじめうどん。ぽつりと僕はつぶやいた。それから部屋の隅に置かれた、ずっと使われずに埃を被ったギターへ視線をやる。夢を追いかけていたあの頃。音楽に恋愛に一生懸命だったあの頃。あの頃のことを思い出したのは一体いつぶりだろう。


 でも、あのお店で翔子に再開したのは一種の運命だったのかもしれない。誇りを被ったギターを見つめていると、ふとそんな考えが頭に浮かぶ。ここで終わってどうするんだ。運命の神様というものがいるのであれば、神様は僕にそう伝えようとしているのかもしれない。僕はベッドから起き上がり、時間を確認する。


 お昼はこのうどん屋さんで働いているんだけど、夜はここで働いてるんだ。よかったら一度おいでよ


 僕は翔子から渡されたバーの名刺を取り出した。そのまま着替えを済ませ、家を出る。今日は非番かもしれないと思いながらも教えてもらったお店に向かうと、誰もいない店内で一人佇む翔子がいた。彼女はお昼にあったばかりの僕に驚きながらも、来店してくれたことを喜んでくれた。僕はとりあえずビールとおつまみを頼み、それから勇気を振り絞って翔子に打ち明ける。


「ごめん、今も夢に向かってバンド仲間と頑張ってるって嘘をついちゃったけど……バンドは数年前に解散して、今は夢も目標もなく過ごすクズ人間なんだ。でも、今日翔子に出会って、このままじゃ駄目だって思ったんだ。だからこれから……変わってみせる」


 翔子は決してふざけるわけでも憐れむわけでもなく、真剣に僕に言葉を受け止めてくれた。


「そっか和也も大変だったんだね……。でも、今はまた前を向けるようになったんだから、きっとその時間も無駄じゃないよ」


 僕はその優しい言葉に泣きそうになりながら、ぐっと涙をこらえありがとうと行った。もし夢を叶えることができたら……。そう言いかけて僕は言葉を飲み込む。それはまだ実際に夢を叶えた後に話すべきことだったから。僕は決意を胸に仕舞い込み、翔子にお会計をお願いする。


 翔子は頷き、伝票を持ってくる。そこに書かれていたのは、ビールとピスタチオで、合計8万円という金額だった。


「ごめんね、和也。このお店、彼氏がオーナーをやってくれてるんだけど、彼氏の意向でこの金額になっているの」


 伝票を手にしたまま固まった僕に、翔子が申し訳なさそうにつぶやく。それから自分の携帯で翔子と彼氏のツーショットを見せてきた。写真に写っていた翔子の彼氏は首から両腕にかけてびっちりとタトゥーが彫られていて、明らかに堅気の人ではないことは明らかだった。


「ごめん、そんなお金持ち合わせてないんだ……」

「クレジットカードは?」

「審査に通らなくて……」

「そっか……。和也は昔馴染みだし、とりあえず財布に入ってるだけのお金で大丈夫だよ」


 僕は促されるままボロボロの財布を手渡した。翔子はなけなしの六千円を中から取り出し、もう一つ財布を持ってるわけじゃないよね?と疑わしげに聞いてくる。だけど、僕の悲哀に満ちた表情から全てを察したのか、千円だけ元に戻して僕を帰してくれた。


 元カノからボッタくれた僕は放心状態のまま夜の街をさまよい、家に帰った。部屋の電気をつけると、埃を被ったギターが僕を出迎えてくれる。


 僕はギターに手を伸ばし、鳴らそうとしてみた。けれど、ずっと放置し続けていたギターは指先で触れただけで弦が外れ、間抜けな音だけが狭いアパートに響きわたるのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ