5 嫌な予感
「えっ」
「えっじゃないわ。ま、いつかはそーゆー奴らにもばれるだろうし覚悟はした方がいいわよ? 私たちでも守りきれないものはあるし」
刺々しい言い草だ。やはりまだ詩季を信用しきってはいないのだろう。
「私はどうやって身を守れば・・・・」
「それこそ、お得意の才でも使いなさいな」
冷たく詩季を見捨てた卑弥呼はふんと鼻を鳴らした。
(も、もう帰りたい・・!)
詩季は心の中で泣き叫んだ。帰る場所ないけど。
「・・そんな顔しないでよ、私だって守れるときは守ってあげるわ」
「・・・・ありがとうございます、女王様」
女王と呼ばれた卑弥呼はやや剣呑そうに眉をひそめた。
「それ、やめなさい」
なんのこと? とはてなを浮かべる。
「女王って言うの。それ、あんまり好きじゃないから」
この邪馬台国の王様なんてみんなが憧れるものなのに。何か過去にあったのだろうか。
「分かった?」
「はい、卑弥呼様」
詩季が呼び方を変えると、卑弥呼は満足げな顔をした。
*
詩季がこの王宮に就職してから一ヶ月が過ぎた。
面倒な主人とその弟がいる以外は非常に快適である。
「あーあ、暇だわ」
「そうか、それは羨ましい限りだ」
詩季がぐぐっと身体を伸ばすと、背後から声がかかった。ほら、面倒くさい弟の登場である。
「あら梠宇様。いかがなさいましたか、お出口はあちらに」
キッと歪んだ顔を隠しもせずに言う。だが暇を持て余しているのは間違いない。
「姉さんはどちらに?」
大量の木簡を抱え梠宇が尋ねる。
「さあ。こちらにはおられません。おそらく自室にいるものと」
「お前の仕事は『先読み』で視た未来の記録だろう。なぜ姉さんの側にいない」
「・・・・私の仕事は部屋の片付けですよ」
そう。詩季はまだ一度も卑弥呼の先読みの手伝いをしたことがない。
卑弥呼の部屋の片付けを数日に一回行うのみである。卑弥呼の部屋はすぐに汚くなる。つい数日前に片付けたのに、その次に部屋に入ったときには足の踏み場も無くなっているなんてざらだ。
詩季が卑弥呼に信用されていないのか、この一ヶ月先読みの力を使うことが無かったのか。
「・・・・また追い出そうとしてるのか」
ぼそりと呆れ顔の梠宇の言葉は詩季には聞こえなかった。
「で、お前はどうなんだ? この王宮での暮らしは良いか?」
詩季は住み込みである。が、ひんしゅくを買うのを恐れて存在を隠されている。よって孤独だ。
「はい、まあ。日々の飯代に困るということもありません」
「それは良かった」
全く良かったと思っていない声音で言われても何も響いてこない。
(やっぱり、この男とは合わないわ)
けっと心の中で舌を出した。
「で、何用ですか? 卑弥呼様にご用ならそちらまでどーぞ」
「いや、お前にも来てもらおうと思ってな。暇なようだし」
ぐっと言葉に詰まる。さっき自分で暇だと言ってしまったのだ。もう取り消しができない。
「・・・・・・」
詩季は無言で立ち上がり、梠宇を置いてスタスタと歩き出した。
「・・おもしろ」
梠宇がどんな顔をしているのか知らないまま。
*
「卑弥呼様」
「なあに? 今日はまだ綺麗よ」
部屋の掃除に訪れたと思っているらしい。のんびりとして、でも来るなと拒絶している声が聞こえてくる。
詩季は振り返り、背後を見やった。
「・・梠宇様が」
「入るぞ姉さん」
自分の空間を邪魔されることが嫌いな卑弥呼は許しもせずに扉を開けられることを嫌う。それでためらっていた詩季を押しのけて堂々と、思いっきり戸を開けた。
「梠宇! ・・急にどうしたの。言ってくれれば良かったのに」
「言ってくれれば部屋を片付けて詩季をちゃんと呼び寄せたのに、って??」
「・・っ」
「俺に配慮してるのかしてないのか知らんが、俺に見せてもらうために詩季を付けたわけじゃない」
「・・・・分かってるわ」
「・・どこまで本気なのか」
先ほどまでは詩季を手のひらの上で転がし、非常に腹立たしかったのが姉の前では単なる苦労人になる。確かに、これまでも何回か梠宇は様子を見に来たが、そのたびに詩季も呼び出されて一緒にお茶を飲んでいた。これも梠宇への仲良しですよアピールだったのか。
詩季を邪険にしていると梠宇は思っているらしいが、それは間違いである。卑弥呼はただ、自分一人の空間を必要としているだけだ。だから詩季が近くにいてほしくないのだろう。
「うんうんはいはい、分かってるわよ」
「全く聞いてないな」
「分かってるって。で、何でここに来た訳? 私を説教しに来たってことじゃないでしょ」
「ああそうだった」
説教モードの気難しい顔から一転した彼は詩季の方を見た。ぞくりと背筋が震える。
(めちゃくちゃ悪い顔してる・・・・!)
「そこの詩季にも関係あることだが」
ものすごく嫌な予感がする。気のせいであれ。
しかし、往々にして虫の知らせは当たるものだ。
「十日後に宴がある。『女王様はお付きの者と共に参加されるのを楽しみに』との言伝言伝だ」
げぇっと分かりやすく卑弥呼が眉をひそめる。その神々しい顔でげぇっなんて一般の人が見たら昏倒しそうだ。
「誰、そんなこと言ったの。・・ああいいわ言わなくて。で、その宴に私が詩季を連れて参加しなきゃいけない訳ね」
「そうだ」
「・・急病で休むっていうのは」
「駄目だ。前回休んだせいで周りから『急病を視られなかった先読みの女王』と奴らが揺するのに格好の餌食になったじゃないか。だから今回こそは参加しなきゃなんないんだよ。そもそも、今回の宴の主催者は女王だ」
「えっと」
口を挟んだのは詩季だ。
「つまり、その宴とやらは私も行かねばならないのですか」
「無論」
「あのー、私の存在を秘匿するという方針は?」
「中止だ」
「えぇぇ」
命を狙われる可能性が増えるということだ。しかも宴という目立つ場所で。
――――
この邪馬台国には、二つの大きな宴会がある。一つは秋に行われ、収穫の無事を感謝する「穫秋の宴」。二つ目は春先に行われ、才を与える神々に永久の忠誠を誓う「神春の宴」である。
どちらも一応は王の主催である国でも超重要行事だが、特に重要なのは神春の宴である。この邪馬台国の大まかな部分を築いている才の力を与えるのは、八百万の神々である。
その神々にお礼を伝え、今後の加護もお願いする。そんな宴の主催者は、やはり才の中でもトップクラスの才の持ち主だと決まっていた。そして、数多の才で頂点に君臨するのが、卑弥呼の先読みである。
――――
だからこそ卑弥呼の出席が大前提というわけだ。そして、出席しないとねちこく嫌みを言われるらしい。
「でも行ったら行ったで大変なのよ? だから仮病で引きこもってる方がマシかと思って」
詩季たち庶民の耳にも、卑弥呼という女王は全く姿を現すことが無いと聞いていた。なんて神秘的で素敵なの、きっとものすごく神々しい女性なんだわ、とそれすら羨望で尊敬のまなざしだったが、実際に合っているのは神々しい部分だけだ。それも見た目だけである。
「・・・・はあ」
卑弥呼と梠宇、そして詩季の三人のため息が重なった。十日後を思い、気が滅入ってくる。
「・・とりあえず詩季、礼儀作法を覚えるわよ」
「・・はい」