第1話 ドブネズミのラルフ
「ホープ」という名前の付いた大陸に「アルフォニア」という国が存在した。
この世界は王族、貴族、平民の階級があり、君主制である。
階級分けにより、住む場所も自ずと分かれていた。
王族が住む城の周りを囲うように貴族たちの屋敷があり、その地域を第一セクターと呼んだ。
次に貴族ではないが、比較的裕福な平民たちが住む地域を第二セクターと呼び、それ以外の一般的な平民の住む地域を第三セクターと呼んだ。
さらに、同じ平民ではあるがまともに食うことさえも出来ない者たちも存在した。
そのような者たちが住んでいる地域、所謂スラム街を第四セクターと呼んだ。
スラム街は第三セクターから少し離れた場所にあった。
この世界には奴隷という階級は存在しない。
しかし、このスラム街に住む人々のことを貴族や同じ平民でさえも明らかに軽蔑していた。
このスラム街で住む者たちを「はみだし」という意味を込めて「はぐれ者」と呼んだ。
しかしそう言われても仕方がなかった。
彼らは税を納めていないのはもちろんのこと、盗み、略奪などを平気で行う無法者の集まりだった。
はぐれ者からしてみれば、生きるために仕方がなく盗み略奪をしていると主張したい所だが、そんな主張は通じるはずもなく、厄介者として扱われていた。
しかし、この原因は完全に彼らだけのものではなかった。
大陸にはホープという名が付いているが、決して資源や緑が豊富な土地ではなく、どちらかと言えば荒野が割合を占めるような大陸だった。
このホープ大陸にはアルフォニア以外に他にも3つの国が存在するが、いずれの国も豊かではない。
決して裕福でない大陸に膨れ上がった人間たちが居場所を奪い合うように生きている状態だった。
はぐれ者が存在するのは至極当然であった。
その日、3人の少年が1人の青年に声を掛けた。
青年の名は「ラルフ」と言った。
「兄ちゃん、食べる?」
少年の1人が右手で真っ赤なりんごをかじり、もう一方の左手には手の付けていないりんごをラルフに差し出していた。
少年たちはうまそうにりんごを食べていた。
その姿を見て、ラルフは思わず唾を飲み込む。
しかしそのラルフはそのりんごを受け取ることはなかった。
「俺はいらない。お前たちで食べろ」
「これ、兄ちゃんの分だよ。兄ちゃんのために盗って来たんだよ」
少年は悪びれる様子もなく「盗って来た」という言葉を使った。
生きるためには食わなければならない。
親がいない7歳程度の子供たちにお金を稼ぐ術などあるはずもない。
然れば盗みを働くという行為は正常な行動と言っていいほどであった。
「俺のためにありがとう。でも食い物は自分でなんとかするから大丈夫だ。お前たちで食べてくれ」
ラルフは少年たちに優しく答えた。
「大丈夫?」
少年たちはラルフを心配していた。
それもそのはず、ラルフは15の歳になるが、程遠いほど彼の体はひどくやせ細ったおり、少年と呼ばれても仕方がないほど体は小さかった。
スラム街の住人たちは生きるために最低限の栄養しか摂取出来ないが、ラルフはとりわけひどい飢餓状態だった。
なぜならラルフは盗みや略奪を行わなかったからだ。
はぐれ者からすればそんな事は異常である。
正直、ラルフ自身も飢え故に何度も盗みを働きそうになった。
文字通り死ぬほど飢えていた。
しかしラルフは頑なに盗みを働く事を拒んだ。
その代わりラルフはなんでも食べた。
はぐれ者と呼ばれる者たちでさえ躊躇してしまうような腐った食べ物やカビが生えた食べ物でもラルフは口にした。
虫を捕まえて口にするのも日常茶飯事であった。
ラルフのそのような姿がまるで泥をすするようだと、同じはぐれ者から「ドブネズミのラルフ」とバカにされていた。
そんなラルフのことを少年たちは慕っていた。
それは昔、食べる物に窮していたとき、ラルフが自分の食べ物を分け与えてくれたからだ。
少年たちもかつてはラルフのことをバカにしていたのだが、それ以降ラルフのことを決してバカにすることはなかった。
ラルフが分け与えた食べ物と言っても、粗末なパンをほんのわずかに過ぎない。
それでも食べ物を分け与えてくれるような行為をする者は、はぐれ者にとって皆無に等しかった。
それほどまでにみんな貧しかった。
他人を助ける余裕などなかったのだ。
それ故にラルフの優しさが少年たちにとっては嬉しかった。
実際に救われたのも確かな事である。
ラルフ自身もそんな少年たちが気に入っていた。
スラム街の中で唯一と言っていいほど気を許せる関係であった。
「兄ちゃん、今日はどうするの?魔界…行くの?」
「あぁ、行ってくる。もうすぐ…もうすぐなんだ」
「分かった、でも気をつけてね」
「分かっている」
ラルフは少年たちと別れを告げる。
少年たちはりんごをかじりながらラルフのことを話していた。
「もうすぐ…って言ってたけど、兄ちゃん本当になれるかもよ!!すげぇ!!」
「あぁ、兄ちゃんずっと夢だったもんなぁ、「開拓者」になるの」
少年たちはまるで自分たちの夢が叶うように心を躍らせていた。
しかし、そこへ2人の男たちが割り込んだ。
「おい、詳しく聞かせろよ、その話」
少年たちの表情は一瞬にして恐怖に歪められた。
このアルフォニアにはゲートと呼ばれる扉が存在する。
そして、その扉はこの星の別の場所に繋がっていた。
ゲートが繋がる場所はホープと違い、自然豊かな場所であった。
代わりに、ホープ大陸には存在しない魔物が住まう場所でもあった。
そんな魅力的で且つ危険と隣り合わせの場所を人々は「魔界」と呼んだ。
どういう理由でアルフォニアと魔界を繋ぐゲートが存在するのか?
真相を知る者は少ない。
寧ろ理由はどうでも良かったのかもしれない。
多くの人間が魔界に魅せられ、足を踏み入れた。
そんな命知らずの者たちを「開拓者」と呼んだ。
正確に言えば、魔界に足を踏み入れる者たちを管理する組織に登録された者のみを指す。
開拓者を管理する組織、「開拓者ギルド」は今から100年ほど前のゲートが設置されたのとほぼ同時期に設立された。
ギルドを通すことで、魔界から持ち帰った品物をスムーズに売却できたり、魔界の情報をギルドから収集することが出来たりなど、魔界に足を踏み入れる者にとって、非常にメリットが大きかった。
しかし、この開拓者ギルドに登録するにはお金が必要だった。
ホープ大陸のお金の単位はJという単位で、ギルドに登録するためには1000J必要だった。
一食の食事で10J程度、一晩宿に泊まるのが50J程度。
1000Jというお金は決して安くないお金であるが、特段高いというわけでもなかった。
しかし、ただの好奇心で開拓者ギルドに登録しようと考える者を追い払うには十分な金額だった。
とりわけ「はぐれ者」たちにとって絶大な効果をもたらした。
彼らにとって、1000Jという金額は大金だった。
そのため、はぐれ者が開拓者ギルドに登録することはまずなかった。
ギルドに登録してなくてもゲートを通り魔界に行くことは出来た。
魔界に行くことは個人の自由であり、個人の責任であった。
しかし、それは命知らずの行動で、そう言った意味でもはぐれ者と呼ぶのにふさわしかった。
また、登録していない者たちの成果物をギルドは買い取りをしていなかった。
登録も出来ないような者たちは信頼に値しないというスタンスだ。
逆に登録さえすれば、ギルドは適切に鑑定し、買い取りを行ってくれた。
もちろんドブネズミと呼ばれたラルフも、ギルドに登録など出来なかった。
ラルフは魔界から持ち帰った品物はギルドを通すことなく、訳有りの店でギルドの買い取り金額より半額以下の値段で売却していた。
それも仕方のないことであった。
ラルフは魔界での活動は主に薬草採取であった。
活動場所は魔界の中で最も安全と呼ばれるエリアであるゲートに近い場所に限定していた。
それでも危険がゼロというわけではない。
だがラルフは戦闘を一度もしなかった。
なぜなら自分が非力であることを重々承知していたからだ。
どんなに非力に見える魔物でも戦闘は避けた。
また、魔界にいる者たちは善人だけではない。
ラルフと同様にはぐれ者はいくらでも存在するし、質の悪い開拓者も存在する。
悔しさを噛みしめながら成果物を差し出すことも度々あった。
これもまた仕方のないことであった。
なぜならラルフは弱者だからだ。
自分の立ち位置を理解しないと生きてはいけない。
それが弱者として生きていくコツでもあった。
そんな常に崖の上に立たされているような生き方で、ラルフは少しずつ…本当にわずかな金を貯めていた。
ほぼ1J。
貴族からしてみれば笑ってしまうような金。
これをラルフは拾ったビンに溜め続けた。
来る日も来る日も貯め続けた。
そして5年掛けて貯め続け、その金額は遂に1000Jに届こうとしていた。
この1000Jでラルフは開拓者を登録するための金だった。
無論、この金を同じはぐれ者に奪われる心配は常にあった。
スラム街では10J程度で奪い合いが起きるほどだ。
1000Jなど持っていたら殺されても文句は言えない。
そのため、ラルフは金の入った瓶を常に魔界に隠し続けた。
そうすることで、奪われるリスクを回避した。
現にこの金が原因で脅威にさらされることは一度もなかった…今日までは。
ラルフはボロ袋に金の入った瓶を入れ、魔界から帰還する。
そしてゲートのすぐ近くにあるギルドに寄ろうと足を運ぶ。
念願の開拓者になるために。
(俺は…遂に開拓者になれるんだ!!)
ラルフは浮き足立っていた。
しかし、そこで見知らぬ男…スラム街ではどこにでもいそうな顔をした男たちに声を掛けられる。
「おい、ドブネズミ」
ラルフは「ドブネズミ」と呼ばれていた。
顔をしかめるラルフ。
しかめた理由はドブネズミと呼ばれたからではない。
開拓者に登録するための金を持っていたからだ。
「…なんだ?」
「ちょっと、話がある。面かせよ…」
「今は忙しいんだ。悪いけど後にしてくれ」
「悪いがこっちも急用なんだ…まぁこれを見ろよ」
すると男は、背中に隠していた帽子をラルフに見せた。
「————!!」
その帽子はラルフが親しくしていた少年の1人の帽子だった。
「分かるだろ?」
「おまえら…」
「こんな陽の当たる場所じゃあ話づれぇからよ、俺たちのスラム街に行こうぜ、日陰場所によ」
ラルフは敵意をむき出しにした。
しかしそれが今のラルフに出来る精一杯の事だった。
ラルフは黙って男たちの後に続いた。