英雄
異国と行き来する者を、侮蔑して畢鼠と呼ぶ。
天帝は大陸間の往来を禁じている。
彼らはそれを破る大罪人である。
だがこの明国は畢鼠に甘い、と俊良は思っている。
明侯が厳しくしないから、鼠が街にのさばるのだ。栄育が英雄になるのも、そもそも明渡に鼠が多すぎるからとも言える。
そして、なんとなくだが、この男からはその、畢鼠のような、異邦人の気配を感じる。
「まあ、せいぜい頑張ることだ。」
男はいつもの軽い口調で言い、奥の女に呼ばれるままに、窓を閉めた。
「破落戸め。」
俊良は苦い顔をして舌打ちをした。
「やっているな。」
突然、後ろから声がして俊良は驚いて振り返った。その声に聞き覚えがあったからだ。
「栄育様!」
晴れ晴れとした声で叫び、俊良は振り向いた。儀栄育が愛馬に跨って俊良を見下ろしていた。
「まだ、剣を振るっているのだな。」
栄育は呆れたような、それでいて慈しむような表情で、俊良を見た。
「今日は非番ですか。」
俊良は弾むような声で、栄育に尋ねた。
俊良が栄育に雑兵にしてくれと直談判して以来、何かと栄育は俊良を気にかけた。
自分を慕う子供の夢を叶えてやれないことに、少しばかり罪悪感を感じたのと、そもそも栄育は、俊良のような無鉄砲が好きであった。娘しか持たない栄育にとっては、息子を得たような、そんな心持ちがしたのである。
「否。今日は明公子殿下の護衛よ。」
それを聞いて、俊良の顔が曇った。
さもありなん、と栄育は思う。
明公子とは明侯・香明英の長男・香金英のことである。
金英は何事にも寛容な明英と違い、潔癖な性質である。
明英が寛容過ぎることが、明が畢鼠の温床となる原因ではあるのだが、潔癖過ぎるのもいかがなものなのだ。
例えばこの東街の様な、所謂、色街。このような猥雑なものを赦す心が、金英にはない。つまりは、この俊良の父・森俊貞のごとき者を、金英は蛇蝎の如く嫌うのである。
俊良は金英を直接には知らない。だが明公子の性質は世間にも広まっているのだ。金英はまだ十を過ぎたばかりの子供だが、このままもし明侯を継げば、この国の様相は一変するであろうと、今から誰もが思っている。
「儀殿。何をしているのだ。早く行くぞ。」
遠くで、栄育を呼ぶ声が聞こえる。おそらくは国府の武官である。いくら栄育とても、所詮は明渡の士官に過ぎぬ。明国府の命に逆らうことはできぬのだ。
「武人も思うほど良いものではないぞ。」
栄育は溜息を吐いて、馬を返した。そして、返しがてら言った。
「親父に気を付けよと伝えよ。今、東街は目をつけられていると。」
その言葉に、俊良は首を傾げた。
「否、伝えれば良い。」
「はい。」