9.厳寒の関ケ原
灯たちが東京にやってきた時、そこは真夏だった。地下人類にしてみれば寒いことに変わりはないのだが、たぶんこれを夏と呼ぶのだろう、と分かる程度の気温ではあった。それがどうか。関ケ原は、身体の芯から凍りそうなほどの寒さだった。
「……それにしても妙だね。日本国内で同時に違う季節が訪れるなんて話は、聞いたことがない」
「地上人類がいなくなった時、異常気象だったっていうのは本当なんじゃない?」
「僕もそれは思ったよ。どうやら僕たちが生まれる前から教え込まれてきたことの中にも、事実はあるみたいだ」
もとより関ケ原の冬は風の通り道になっているため厳しく、気温が氷点下となることも珍しくないという。だが、それとは別の問題だ。東京は夏でこちらが真冬というのもおかしい話だし、真冬だということを加味しても恐ろしいほどに寒い。灯も梢も、元々身体を覆っていた溶岩をもう二重重ね、ようやく身体の震えが止まったほどだった。
「僕たちが知っている情報が正しければ、ここから人類最後の地まではそう遠くないはずだ」
「そうなの?」
「知らないのかい?」
「うーん……知ってるけど、そこまで自信を持っては言えないというか……とにかく、灯について行こうかなって思って」
「……ふうん」
地上人類は関ケ原で最期を迎えた。それは地下人類ならばどう頑張っても頭に叩き込まれる知識であり、その具体的な場所まで細かく記憶することになっている。それがたとえ、一生使うことのない知識だとしても。だからこそ、灯の中で梢に対する疑念がますます強まった。
深い雪にひざのすぐ下まで埋めさせながら、灯は進んでゆく。看板もないし、それらしきヒントもない。ただ銀世界が広がるのみの景色の中で、自らに刻まれた記憶をもとに、確固たる意思を持って進む。そして、あともう少しでまさに最後の地上人類が生を終えた場所の真上に立つ、という時だった。
『ついに来たね』
「灯?」
「……違う。僕の声じゃない」
灯と同じような話し方だが、灯の声よりもずっと低いものが響いた。ごうごうと吹き荒れる吹雪の中でも、その声は防音室にいるかのようにはっきりと聞こえた。
『これは紛れもなく、地上人類にとっての一つの変革期だ』
「……誰だ」
ぱっと、ネオンサインが点滅するように。灯たちの目の前に、同じくらいの年格好の少年が一人現れた。どこから来たのか、どうやって来たのかまるで分からない。辺りの地面には、灯と梢の二人分の足跡しか残されていなかった。
「俺は君たち二人を導く存在だ。晴れて、地上にやってきた地下人類第一号と第二号である、君たちをね。いや、正確には第一号だけだが」
「……どういうこと?」
「ここで話してもいいが、辛いだろう。服の下から見えるその溶岩も、その程度ではまだまだやせ我慢をしている状態のはずだ。どうだ、俺についてくる気はあるかい」
「行こう」
真っ先に返事をしたのは、梢の方だった。さっきまで前を向き歩いていたのとは一転、うつむいてなるべくその少年の姿を視界に入れまいとしているようだった。灯は何か特殊な事情があるのだろう、ということだけは理解して、梢の言葉に賛成した。
びゅごう、とさらに吹雪が強く吹く。少年と出会ったその事実が、何か灯たちに悪い未来をもたらす。それを予知させるかのようだった。
「あの家だ。暖かくしてるから、くつろぐといい」
一寸先も見通せないような吹雪だったが、少年について行くと暖色を発する家が一軒、現れた。その他に家らしき家はなく、あるとすれば何とかそこが昔人の住処だったと分かる程度の廃屋だけだった。
少年の態度はずっと尊大だった。同じ年代だと感じるのに、人間に対する神のような接し方。灯はそれを言いたかったが、別にわざわざ指摘するほどのことでもないと思い直す。どうせ言っても少年が態度を改めることはないだろうし、どういうわけか、上から目線の話し方の方が彼には合っている気さえした。
「入っていいよ、好きな場所に座るんだ」
他人の家に足を踏み入れるというのも、灯の初めての一つだった。外の世界とは別の空気が漂っていて、緊張感が走る。その家こそが、まさに人類終焉の地の跡に建っているから、ということもあるのかもしれない。
「さて。梢はまだ少し寝ぼけているようだから、脳みそを覚ましてやろう」
「あがっ」
「梢……っ!?」
急転直下。灯と梢が思い思いの場所に座ったのを確認して、少年が梢の頭をつかみ揺さぶりをかけた。灯は思わず立ち上がったが、すぐにその『処置』は終わった。そこには、虚ろな目をした梢がいた。
「……ヒカル」
「ずいぶん機械的な呼び方だな。旧知の仲なんだし、もう少し感情を込めて呼んでくれてもいいんじゃないか?」
「……」
「ううん、ダメか。脳みその奥深くに記憶が眠っているだけだと思ったんだが。これはカギもかかっていそうだ」
その場では完全に、少年が主導権を握っていた。別人のようになってしまった梢はもちろん、灯も何も言うことができない。それどころか、まだ自分の置かれている状況をはっきりと理解できていなかった。どうやら少年と梢が昔からの知り合いらしい、ということは分かった。
「しばらく梢は使い物にならなさそうだから、君に話をしようか」
「……梢は、どうなってるんだ」
「心配ないよ。今は奥深くにしまい込んでいた記憶を引っ張り出している状態だ。呼びかけても応答はないか、異様に遅いかのどちらかだが、生きてはいる。君のことを忘れているわけでもない」
「……とても信じられないな」
「別に君が信じるか、信じないかというのは問題じゃない。俺が言ってるのは全部真実だからな」
「……もういい。とにかく、お前は誰なんだ。どうして、僕たちをここに連れてきた」
「まあ、焦るなよ。それを説明するためにこうやって、君と敵対しかねないことをやっているんだから」
日本らしからぬレンガ造りのその家は、暖炉がごうごうと働いているおかげで暖かかった。北ヨーロッパはこういう造りの家が多いという知識が、灯の中にはあった。ただ地下人類にとっては寒いことに変わりはなく、着込んでいた溶岩を少し薄くした程度にとどまったのだが。少年は暖炉の一番近くにある椅子にどかりと座って、話を始めた。
「改めて。俺の名前は恒。君たち地下人類に分かるように言うならば、俺は”原初の地下人類”だ」