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8.二人の出会い

 灯と梢の出会い方は、極めて特殊だった。道端で行き倒れていた梢を、買い物帰りに通りかかった灯が見つけて、連れ帰った。それだけなら何でもないような話だが、地下人類は普通そのような出会いをしない。生まれたカプセルの場所が近いか、子孫を残すという本能による引き合わせが働かない限り、地下世界では他人に出会うことがない。かと言って、灯が梢を見て、彼女と子孫を残すんだな、と感じたことは一切なかった。


「……僕はどうして、梢の面倒を見ることを決めたんだろう?」


 生まれて、地下世界という環境に身体を慣らしながら過ごし、子孫を残す。それらは全て自分と相手一人がいれば完結することであり、それ以外に知り合いのような存在を作る必要はない。そのことも含めて、『小さな世界』なのだ。だが灯は、梢に運命のようなものを感じなかったにも関わらず、自分のシェルターに連れ帰ることを選んだ。梢はいつもどこかに出かけ、気まぐれに帰ってきては灯の作ったご飯を食べる生活を送っているから、完全に二人一緒にいる時間は少ないのだが。それでもきっと、最近の地下人類にとって恋人以外の存在と一緒に暮らすというのは前例のないことで、今となってはどうしてそんな挑戦的なことをしたのか、灯は自分で自分のことが分からなくなっていた。


「……考えてみれば、君は不思議なことだらけだ」


 起きていれば聞こえるだろう大きさの声で、灯はぼやく。梢が起きる様子はない。

 そもそも溶岩を扱わない時点で、珍しい存在だ。初めて梢に自分の作ったご飯を食べさせ話を聞いた時、灯も驚いた。どこから来たのか、どうしてあの場所で倒れていたのか。何か覚えていることはあるのか。単調になるはずだった灯の人生に吹き込んだ、全く新しい風。立て続けに質問をぶつけた後、梢はぽつりと答えた。


「……覚えてないの」


 生まれてからだけではない。カプセルに入っていた頃の記憶もひどくあいまいで、自分が何者かよく分かっていないと、梢は言った。ただ、自分の身体がスライム状に変化させられて、定期的に溶岩でエネルギーを補給する必要があることは、本能で分かっていたという。それは食事とは別で必要だと言ったから、たくさんご飯を平らげた梢に灯が溶岩を与えると、それまでの緊張が一気に解け、梢は表情を緩めた。


「懐かしい匂いがするね。あなた……」


 あの頃はまだ二人の関係がぎこちなくて、名前を呼び合うことはなかった。灯は梢のことを君と呼んでいたし、梢は灯をあなたと呼んでいた。今から考えればまるで主従関係のようで、何だか身体がくすぐったいと灯は感じる。

 同じ溶岩でも、その人によって粘度や温度、味は違うらしい。それらをひっくるめて、梢は匂い、と表現した。灯の溶岩でしか感じない、灯だけの匂い。それがなぜ懐かしいと感じたのか、灯には聞けなかった。


「んー……」


 ぐっすり眠る梢が、首から上だけ動かして寝返りを打つ。梢に最初から入っていたらしいチップが、手のひらを返したことで見えなくなった。まるで自分の正体を隠すかのように。


「君は……本当に地下人類なのか?」


 考えてみれば、梢は地下人類にしては妙に自由に(・・・)生きているな、と灯は感じる。梢の起こす行動はことごとく突発的で、およそ計画性というものが見られない。本能に従っているという感じだが、次の世代につなぐような行動は一切しない。灯はもちろん、普段から放浪しているがそれが相手を見つけるためというわけではないらしい。毎日毎日決まりきった動きしかしない灯とは大違いだった。

 だが、仮に地下人類ではない――すなわち地上人類だとして、ひどい温度差にはどうやって耐えていたのか。何の目的ではるばる地下にやってきたのか。地上世界への行き方を知っていたことは説明がつくかもしれないが、逆に言えばそれしか説明できない。余計に疑問が湧いてくる。


「……いつか君とは、別れを告げる日が来るのかもしれない」


 梢とは、ものの考え方が根本的に違う。だが今までそれはささいな問題しか起こしてこず、大抵の場合灯が譲歩すればそれで済むことだった。猫舌だからご飯は少し冷まして出してほしいとか、冷たすぎるのもそれはそれで頭が痛くなるから嫌だとか、いろいろ文句を言われたものだ。けれど、いつか埋めようもないほどの溝ができるんじゃないかと、灯は心のどこかで感じていた。具体的にそれが何かは分からない。それが訪れた時はきっと、別々になるだけではない。敵対することもあり得るだろう。根拠はないが、そう思っていた。


 列車はいつしか、目的地へ着こうとしていた。もう何百年も前に、天下分け目の戦いが行われた場所。そして、地上人類が最後に見た景色のある場所。――の、はずだった。


「……着いたよ、梢」

「うん……?」


 落ち着いて梢を起こした灯でさえ、目の前に広がる景色に驚いていた。が、出てきたのは至って落ち着いた声だった。梢がそもそも地下人類ですらないかもしれないという疑念に覆い隠され、多少のことでは驚かなくなってしまっていた。

 すう、と息を吸い込み、ほっ、と出す。息が白くなって現れ、そして溶けてゆく。少し突っ立っていれば肩に乗っかってくるほど、雪が降っていた。その場所で列車から降りたのは灯と梢だけで、すぐにドアを閉めて列車は吹雪の中へ消えていった。地下人類というよそ者である自分たちを拒絶しているようだ、と灯は感じた。


「……まさか、こう来るとはね」

「ここは、本当にあの『関ケ原』なの?」

「列車の案内が正しければ、ね。ここは紛れもなく、千年近く前に日本で一番大きな合戦のあった場所だ。昔の人間たちの想いが眠っているのを、すごく感じる」

「……ほんとだね」


 東京では日々たくさんの赤ちゃんが生まれ、数多くの人たちが死んでゆく。亡くなった人たち一人一人の想いなんて到底感じ取れないほど、東京には雑多な感情が渦巻いている。だが、今もなお雪原であり続けるこの地で生を終えた人間は少ない。勝利の雄叫びや喜びといった、正の感情だけではない。恨みつらみ、怒り、哀しみといった負の感情も湧き上がっている。それが透き通ってさえ、この地から感じられていた。


 人類最後の地。そう呼ぶにふさわしい、深い雪が関ケ原には積もっていた。

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