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6.虐待されるということ

 どうやってこの場を抜け出せばいいのか、あれこれと考えていた灯だったが、元からその場にいた女の子が近くにいた大人に声をかけると、あっさりと三人で建物の外へ出ることができた。どうやら一時外出はきちんと言い出しさえすれば認められるようだった。


「どこから来たの? あなたたちは」

「ヨヨギの方から」

「ふうん。そっちなのね」


 灯はさっき、梢と話しながら見ていた壁の広告に書かれていた地名をひとまず言った。東京という場所がその昔、首都であったことは知っていたが、具体的にどんな地名があったかは分からなかった。分かる必要もなかったと言う方が正しいかもしれない。


「わたしは実紀(みのり)。あなたたちは?」

「僕は灯。こっちは梢」

「へえ、不思議な名前ねえ」

「えっ」


 灯は背筋がすう、と冷えていくのを感じた。もしや地下人類だと悟られてしまったのか。しかしそうではなく、単に珍しい名前だと思っただけらしかった。

 実紀はおっとりとした話し方だった。実紀の周りだけ、時間がゆっくりと流れているように感じさせられる。梢にも近い匂いを灯は感じていたが、梢は話す時はきびきびとしている。物事をあまり深刻に捉えないというだけで、身体全体からのんびりした感じは漂ってこない。実紀は梢と同じようで、本質的には全然違った。


「あんまり、最近の子っぽい名前じゃない気がするのよねえ」

「……そうなんですか」

「まあ、昔風の名前の子だっているわよねえ」

「……失礼ですが、お歳は?」

「急に聞くのねえ、十八……だったかなあ?」

「そうなんですね」

「そっちはどうなの?」

「僕たちは十五歳です」


 十八にはとても見えない。それが灯の抱いた感想だった。ある程度物事の責任を自分で取れて、死亡率も低く落ち着くところ、ということで十五歳が選ばれ、灯たちはカプセルから出てきている。それに比べて十八歳の実紀は、とても三年分灯たちより多く生きているとは思えないおっとりさで、幼かった。梢と違うことに間違いはないのだが、強いて梢を使うなら、梢の能天気なところを濃縮還元した感じだと、灯は思った。


「十五歳なの? それにしては、すごくしっかりしてるわねえ」

「そう見えますか?」

「だって、わたしが知ってる十五歳と言えば……もっとわがままで、自分のことで精一杯で。まず自分が今日を生き抜くことで一生懸命だから、他の人のことなんて、気にしてる余裕がないもの」

「……やっぱり、あそこにいた子たちはみんなそういう?」

「そうよ、……わたしも含めて、ねえ」


 親に虐待される、大切にされないというのがどんなものなのか、灯には分からない。灯には親はいないし、そもそも地下人類の生きるシステム自体が、親を必要としない。カプセルから出てきた地下人類は、数年のうちに他の誰かと子孫を残す。その時新たな命は母親のお腹の中に宿るのではなく、新しいカプセルの中に入る。そして、『地上人類ならお腹の中にいるはずの時間』と十五年間を合わせて、およそ十六年という長い期間、その狭い缶詰の中で過ごすのだ。

 ただ、灯にとって虐待とは、絶対悪だった。満足に抵抗できない子どもが傷を負うということは、すなわち死につながる。たとえ死なずに生きながらえたとしても、心の傷は消えない。そして次の世代にも、影響を及ぼす。子どもへの愛情の注ぎ方を教えてもらえなかったせいで、自身の親にされたのと同じように、暴力を振るうこと、ないがしろにすることが正しいと思ってしまう。あるいは、そうせざるを得ない精神状態になっている。灯が持っている知識によれば、地上人類の末期――すなわち、地下人類の誕生までカウントダウンが始まった頃には、『正しい』愛情のある子育ての方法は途絶え、虐待することでしか子どもを産み育てられない親がほとんどになってしまっていた。もしも氷河期到来以外に地上人類滅亡の原因を見出すとして、それが虐待の深刻化なのだとすれば、人類が滅亡するというのは至極当然の流れだった。灯はそんな意見を持っていた。


「本当はわたしも、大きくなったらケーキ屋さんになりたいとか、おいしいパンケーキを作るお店で働きたいとか、子どもたちに頼られる先生になりたいとか……そんなことを、考えていたんだけどねえ。もう今は、……どうでもいいの」

「実紀さんは、いつからあそこに?」

「うーん……もうおぼろげな記憶だけど、十一歳の頃、だったかしらねえ。それからずっと、あそこで」


 ただ、それが今目の前にいる地上人類にも適用されるのかどうかは分からない。地下人類の誕生にあたって、地上人類に何かあったのは事実だろう。それが滅亡ではなかったとしても。その時に、地上人類は考えを改めて、子どもを大切に守り育てるようになったのかもしれない。今地上人類がどのくらいいるかは分からないが、そのうちのどれほどが愛情を注いでもらえているのだろうか。


「わたしの両親は、それはそれはひどくて……片岡さんに助けてもらって、今があるの。それでも、あと半年遅ければ死んでいただろうけどねえ」

「似たような施設は、他にもあるんですか?」

「あるって話は、聞いてるわ。最近はまともに育ててもらえる子どもなんて、ごく少数だから……」

「……そうなんですね」

「あなたたちは、違いそうねえ」

「僕たちは……」


 灯は気づいた。実紀は元からこういう性格なのではない。虐待されていたという過去が、彼女の中に流れる時間を遅くした。他人の時間の流れを気にする余裕がなくなってしまうほどに、追い込まれた経験がある。その証拠に、実紀は思考回路まで鈍くはない。灯たちが地下人類であることこそ知らないものの、言い出す前にあれこれ見抜いていた。

 だからこそ、だろうか。実紀らしいが、同時にその口から出たとは思えない言葉を、灯たちは聞いた。


「あなたたちは、もっと自由に生きればいいわ。わたしたちと一緒に、いる必要はないの」

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