2.地上人類と地下人類
「どういうこと……?」
しばらく目の前の光景に呆然とした後、ようやく灯は言葉を発した。幻覚を見ているとは思っていない。目の前のこの発展した都市は、紛れもない現実。ただ、それが信じられないでいた。なぜなら人類は滅亡しているから。
「思った以上、……だったね」
梢でさえ、驚いている様子だった。人類が滅んだのであれば、こうはならない。つまり人類は滅んでいなかったということ。それも数人、数十人ではこの状態を維持することなど不可能だから、もっともっと、人がいることになる。
「でも、すごい……おいしいご飯、いっぱいありそう!」
「待って」
次の瞬間には梢は目を輝かせ、街に飛び出そうとした。それを灯が止める。
「地上人類がいるなら、話は別だよ。こんな格好をしてたら、怪しまれる」
「そうだね……でも、どうするの? 今でもちょっと寒いくらいなのに」
「僕の溶岩をまとえばいい。冷え固まる心配はないから」
「だね。灯ナイス」
灯と梢の服装はとても地上の夏とは思えない厚着だった。北極南極でしばらく滞在する人間のような格好。灯たちの棲む地下はそれほど高温の場所であり、それに適応するためにわずかに生き残った人類が身体を変質させた。
地上世界と地下世界とをつなぐ穴の場所は分かっていた。しかし地上が氷河期であり、それがいつまで続くかは分からなかったから、うかつに出ることはできなかった。そうして道だけがあるまま何十年、何百年と経った結果、いつしか通り道があることさえ忘れてしまった人がほとんどになっていた。かくいう灯もその一人で、梢が当たり前の知識のようにその存在を教えてきた時、驚きに目を丸くしていた。
「行くよ」
「うん。いつもやってることと似てるから、うっかり吸収しちゃわないように気をつけるね」
「勘弁してよ。僕の溶岩だって、血液やら何やらから作っていて、有限なんだから」
「分かってる。灯の溶岩、ちょっと鉄っぽい感じするもん」
地下人類がそれぞれどういう特性を持っているのかは、人によって異なる。ただ、溶岩を生成し操れる人が一番多い。灯は自分の寝起きするシェルターと食糧を売っている場所とを往復したことしかないから、そのあたりのことには疎い。逆にいつもふらふらと出歩いている梢はあちこちから情報を仕入れていて、灯の知識のほとんどは梢の受け売りになっていた。そんな情報屋の梢でも、自分と同じスライムの少女は見たことがないという。
「ふふっ。あったかいね」
「僕はどうやら梢よりも寒がりみたいだ。少し厚めにまとうから、ちょっと待って」
「そのうちこの気温にも慣れたらいいんだけど……さすがに無理かな?」
梢が窓ガラス程度の厚さの溶岩をまとうので済んだのに対して、その倍か三倍くらいの量を灯はまとわなければならなかった。肌に直接溶岩をまとって、その上から薄手の服を着る。それでようやく、地上人類から見て寒がりなんだろうな、と思われるくらいになった。その他は特に怪しまれそうもない格好だった。
「なんか、ドキドキするよね。別人に変装して、潜入捜査するみたいな」
「楽しそうで何よりだよ」
「灯は楽しくないの?」
「僕は、それほど」
灯は普段から、物事を深刻に考える癖がある。今回も例外ではなかった。灯にとって人類は滅亡しているという事実は、生まれてこの方繰り返し教えられてきたこと。それが否定された今、地上人類は生きていたんだよかったね、と手放しに喜ぶことができなかった。何か裏があるのではないか?嘘をつかれていたとか、だまされていたとか。一方の梢は、全くそんな後ろ向きなことなど考えていないようだった。
「ね、特製パンケーキだって。食べようよ」
「パンケーキ、ねえ」
「嫌?」
「……ううん、行こう」
あまり暗い考えを梢にまで強制するのはよくないと感じて、灯は従った。
地下での食事は、決して華やかではない。だから梢が食べ物の絵を見てその都度興奮する気持ちが、灯にも分からないではなかった。
灯たち地下人類はまだ進化の途上だと言われている。高温の地下深部で生きられるよう、身体を変質させたのはいいものの、食生活まで一気に変えることは叶わなかったらしい。ただ、すでに地上人類が滅んでから数百年経っているから、灯の代ともなれば人の食糧でないものもだいぶ食べられるようになっている。岩石を食べて消化した経験も灯にはある。が、おいしいとはほど遠いものであり、どうしても食べるものに困った時以外は、口にしないと決めた。幸いこれまで灯は困ったことがなく、岩石は好奇心で食べたその一度きりとなっている。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「じゃあ、このスペシャルパンケーキAを二つ!」
「二つ!?」
「かしこまりました。お客様は?」
「……じゃあ、ブルーベリーパンケーキを一つ」
「承知いたしました。しばらくお待ち下さいませ」
どこか懐かしさを感じるお店に入って席に着くと、注文を取りに現れたのはアンドロイドだった。が、人間独特の温かさが感じられなくてようやく人間ではないと判断できただけで、歩き方や喋り方、表情に至るまで人間そのものだった。
「ここまで、進化したんだね」
「ロボットの話?」
「うん。人間とまるで変わらない」
「だねー。あと違うところって言ったら、子孫を残せないことくらいなのかも」
「子孫を残せない、か……」
それを聞いて灯は、梢に話を振ったのを少し後悔した。子孫を残すというのは、今の灯たちにできる数少ないことの一つであり、唯一の存在意義。それを思い出してしまって、梢が言うところの「センチ」になった。
「あ、ごめん。余計なこと……言っちゃったね」
「大丈夫。そんなに深刻には考えてないから」
「そうやってまたごまかして。よくないよ、そういうの」
「え……?」
「灯は私のパートナーなんだから。困ったことがあったら、お互い様でしょ?」
「僕が梢のことをパートナーだと思ったことは、ないんだけど」
「えー、ひどい!」
そんなことを言っているうちに、灯たちのパンケーキが運ばれてきた。それは灯たちの普段の食事とは比べ物にならないほどきれいで、おいしそうで。灯でさえ、頂上にたっぷり乗ったホイップクリームに目が釘付けになってしまった。
「いただきます!」
梢の喜びに満ちた声が、お皿が置かれる前に響く。