14.この気持ちを知らない
「……っ!」
急に目が覚めた。目を開けて、周りが真っ暗なことに灯は気づいた。続いて手探りで、すぐ隣に梢がいることを知った。
「梢っ……梢!」
「うん……」
梢を起こして、そこで初めて、自分が拘束されていることに気づいた。梢も同じらしかった。
「すぐに縄を焼き切るから、……」
記憶は車掌に発砲され、地下人類と気づかれたところで途切れていた。とすれば、そのまま捕まり、列車の中に押し込まれたのだろう。二人の声を何とかかき消さない程度の列車の音が聞こえているから、それは明らかだった。となれば、まず動けるようになるのが先決。灯はここで能力を使わずしていつ使う、とすぐに右手を溶岩に変えた。のだが。
「焼けない……っ」
「たぶん……地下人類の能力に対応した縄なの」
「そんなものが……?」
地上人類は本当に、地下人類が生きていることを今知ったのだろうか。とてもそうとは思えない技術の結晶だった。恒が知らなかったというだけで、後の地上人類を生み出した子孫たちは、地下人類が溶岩とスライムの能力を受け継ぎ、自分たちとは違う方法で繁栄しているかもしれないという知識を教え継いだのだろうか。だとすれば、辻褄は合う。
「……どうすればいいんだ」
何もできないでいる間に、目を覚ましたことに勘付いたのか、発砲した車掌が入ってきた。慌ててまだ気を失っている素振りを見せたが、遅かったらしい。また気絶させられるか、と灯は思ったが、何もせずに車掌は去っていった。荷物室らしいその空間の扉が完全に閉まったのを確認して、灯はため息をつく。そんな灯の様子を見て、梢が全身に入れていた力を抜いた。
「……灯」
「……」
「私たち、どうなるんでしょうね」
「……分からない」
状況は絶望的と言ってよかった。柱にくくりつけられた縄は見た目以上に固く、手で地道にほどくということも不可能に見えた。このまま列車は東京へ向かう。地下人類が出てきて、攻撃を始めているとするならば、すでに東京は阿鼻叫喚となっていてもおかしくない。自分を縛る縄一つさえ何とかできない自分が、東京に行って一人でも助けることができるだろうか。自分の前に立ちはだかる大きな壁のことを、灯は考えていた。そんな灯に、梢がぽつり、ぽつりと話しかけた。
「……私ね、寿命が近いの」
「……っ」
「たとえこのどうしようもない戦争を止められたとしても、私はもう一年ももたない。もしかしたら、一か月も、いや……明日、死ぬかもしれない」
そう告げる梢の表情は疲れ切っていた。もう何年も病に臥せっている、と言われても納得できる顔だった。生まれてこの方、灯はそんな梢を見たことがなかった。灯の目に映る梢はいつも元気そうで、灯の作るご飯をたくさん食べてくれて。灯のように周期的に体調が悪くなるということもなく。出会った時は自分と同じくらいの歳だろうと思っていたのに、行動は何から何までもっと小さい子どものようで。灯のはるか上の祖先だと分かって、大人っぽさが見える今でも、あどけなさはまだ感じられていたのに。
「私は恒と一緒に、地下に移り住んだ第一号だから、地下の温度に対応しきれていなくてね。……溶岩を時々摂取して、身体を慣らす必要があったの。でも溶岩は身体にとって毒でもあって……あなたから溶岩をもらうたびに、喉が苦しくなっていくのが分かっていたの」
「……」
「私はもう長くない……だから、灯には危険なことをしてほしくなかった。私なら、もう昔のように子どもたちに未来を任せることはできないから。いつ、死んでも」
「そんなことを言わないで」
口をついて言ってから、灯は自分が抱く気持ちに気づいた。能天気で、何を考えているのかよく分からない梢。けれど、梢が悲しそうに、あるいは深刻そうにするところを灯はこれまで見たことがなかった。そしてそんな梢は見たくないと思った。ただの友達とか、そういう存在ではもはやない。ずっと昔の先祖というのが事実だが、それも今の灯が欲しい話ではない。
「僕は……梢がいなければ、地上に出ることはなかった。他の地下人類と同じように、自分がどうして生きているのかも分からないまま、誰かと子孫を残して、自分が生きた証も残すことなく死んでいた。そんなシステムを作ったのは梢だけれど、それでも梢がいなければ、僕はこうはならなかった。僕は……これで、いや、この方がよかったんだ」
「灯……」
「だから……梢には死んでほしくない。だって、こんなところで死んだら……僕は、まだ梢と一緒にいたいのに」
「でも、私は」
「僕は、……梢のことが、すごく大切なんだ」
その気持ちを何と言うのか。灯はもっと端的に言い表せる言葉を知らなかった。胸が苦しい。梢が自分の元から離れてどこかへ行ってしまうと考えるだけで、心が締めつけられる感じがする。
「ありがとう。……その言葉だけで、十分よ」
列車が終点に向けて速度を緩め始める。それにつれて、爆発の音、銃声が大きくなる。
「歩け」
どうして車掌がそんなことをするのか。あるいは本当は車掌ではなく、これまで何をしていたかも分からない男が列車を乗っ取っていたのか。今さらそんなことを考えても仕方ないが、そう思わずにはいられなかった。
「(地上人類との戦争をやめさせるなら、この人を攻撃するわけにはいかない)」
たとえ自分たちをこんな目に遭わせた人間でも。それでも地上人類と地下人類という目で見れば、ただの人間だ。
連れられた先には、どういうわけか地上人類が山ほどいた。まるで今から、灯たちに演説でもさせるかのようだった。
「こいつは地下人類の始祖だ」
それだけで、その場の地上人類が敵対するには十分だったらしい。灯たちに、無数の銃口が向けられた。温度などまるで感じない、ただ人を殺すためだけにあるもの。しかもそのどれもが、車掌だった男が持っていたものと全く違っていた。証拠はなかったが、地下人類にも効くのだろうと灯には分かった。
「撃て」
「……っ」
地上に出て、ここまでこの世界の真実を知って。地上人類も地下人類も、それぞれに思惑があったことを学んで。そのくせ、死ぬ時だけは今までと同じようにあっけない。結局、自分が今までしてきたことに意味はあったのだろうか。そんなことを考える暇さえないか――諦めて、目をつぶる。
「がっ……」
すぐそこで人の声がして、目を開ける。目の前には、向かってくるはずだった銃弾を全て受け止め、倒れる少年の姿。
「恒……っ!」