13.対立
地下人類が自分たちの後を追って、次々に地上に出てきている。灯がそう聞いた時、まず初めに梢の表情をうかがった。そうすれば何が起きているのか把握できると学んだことが、皮肉にも地上に来ての収穫だった。そして梢の表情は、驚きと焦りに満ちていた。
「地下から地上に出てくるのは一本道だ。地下人類にとって未知のルートを通っているところを目撃すれば、好奇心でついていくのは自然なことだろう」
「でも、ちゃんと出口はふさいだはず……」
「お前はそう思っているかもしれないが、事実地下人類が出てきている。そして、全員が灯のように地上人類のことを好意的に捉えるとは限らない」
「……僕が地上人類のことを、好意的に捉えたことはない」
「だが、梢の意見に賛同した。地上人類の生き方に順応するにせよ、これまで通りの生活を続けるにせよ。地上人類という、同じ人間であることくらいしか共通点のない存在を認め、時に協力して生きていく。はっきりと言葉にはできなくとも、心の奥底ではそう考えているはずだ」
「……」
「そしてそれは、隣に地下人類の祖先である梢がいたからこそ、生まれた考え方だ。俺の言いたいことが分かるか」
そこまで言われ、ようやく灯も状況を理解した。恒と梢ただ二人になった時と同じような気候のこの関ケ原ならともかく。地下人類にとって寒いのには違いないが、温和な気候の東京の発展した姿を見れば、どう思うだろうか。その行き着く先は、梢が言葉で発した。
「……地上人類に対する、恨み」
「そうだ。自分たちが単調な命のサイクルを繰り返していた間に、地上人類はここまで華やかで、彩りのある生を送っていた。初めて東京の姿や忙しなく動く人たちを見れば、そう考えるだろう。羨みから、すぐに恨みへと変わる。梢の苦しい決意や、地上人類が経てきた苦難など関係ない。地上人類が生きている。そして自分たちよりいい生活をしている。彼らには、それだけで十分だ」
「でも……!」
「ああ」
梢の言いたいことは全て分かっていると言いたげに、恒が制した。
「誰が悪いわけでもない。仮に、梢が絶対に他の地下人類に知られない方法で灯と出てきたとしても、いずれ地下人類は自分たちの人生がおかしいことに気づく。梢ほどの賢明さを地下人類とて持っているだろうから、地上に出る方法が露見するのも時間の問題だった」
「……どうすればいいの」
「……分からない」
一人の恨みがそう大事になることはない。だが大人数となった時、それは戦争という形でより多くの人間を巻き込む。灯もそれを理解した。
「地下人類が戦争を仕掛ければ、地上人類も自分たちとは異なる人間たちの存在を知る。それから大義名分を得たと、あらゆる手段を使って攻撃するだろう。理由はいくらでもある。自分たちと違って不可思議な能力を使うことも、排除の目的になりうる」
「止めなきゃ」
梢の行動は早かった。灯と恒が瞬きをする間に、家を出て走り出していった。ただの人間である恒はもちろん、身体を任意のタイミングで溶岩に変化させられる灯でさえ、声を出すのが遅れた。
「どこに行くんだ」
「……たぶん、東京だ。僕が梢なら、そうする」
「梢一人の力で止められると思ってるのか」
「……そんなの、無理に決まってるじゃないか」
灯は地上人類も地下人類も、どれくらいいるのかなど知った話ではない。が、地上人類が恒と梢の子孫八人から始まって、数百年経っているのなら、一人の力では到底止められないような規模になっているはずだ。それは地下人類も同じ。かつて世界中を恐怖と混乱に陥れた大戦が二度起こったというが、それほどにはならなくとも十分甚大な規模になる。そして何より、今地下人類と地上人類が戦争をすることはもっと深刻な意味を持つ。
「……僕は行く。梢を一人にするわけにはいかない」
「たとえ流れを止められなくてもか?」
「ああ、そうだ。……僕が。僕が、梢の楽観的な意見にやんわりと賛同したせいなんだ」
相も変わらず人間を生かす気のない雪模様の関ケ原に、まだおぞましい、人間臭い足音はしない。それを幸いと呼ぶべきか、まだ呑気に構えていると言うべきなのか。能力を捨てた地上人類がこの環境で生きられるとすれば、それは恒だけだろうと考えながら、先ほど降りたばかりの駅まで急ぐ。
「(梢だって、この状況で能力を使っても意味がないことくらい、分かってるはずだ)」
地下人類が持つ能力は、溶岩とスライムだけ。しかも溶岩がほとんどであり、身体をスライムに自在に変化させられるのは、梢の言い方からして彼女しかいない。地上よりずっと暑い環境ではスライムよりもそちらがいいと、地下人類も子孫にバトンを渡す中で学習したのだろう。だとすれば、そんなに高頻度で来るわけでもない列車だから、まだ追いつける。
「梢……!」
「灯……」
灯の考えた通り、梢はまだホームらしき場所に立っていた。人が住んでいないせいで手入れがまともにされていないのか、何とかホームだと分かる程度に廃れていた。
「……灯も、来るのね」
来るなとは、梢は言わなかった。どう言われようと行くという意思を、灯の目から感じたからだろうか。
「僕が、力になれるのなら。僕がじっとしてるわけにはいかない」
灯とて、他の地下人類と同じ立場であれば、『いい暮らし』をしているように見える地上人類を恨み、戦争に加担していただろう。地下人類の中で灯だけが、地上人類もまた血反吐を吐くような努力を重ね、死を乗り越えてやっと今ここにいることを知っている。地下人類が地上人類を憎む理由が『現在の』暮らしの違いである限り、灯には戦争を止める責務がある。そう感じていた。
「……結局、私は昔と何も変わってない」
「え……?」
「あの時私が、恒を引き止められていたら。地上人類が生まれるのはもっと遅くなって、こんなことにはならなかったかもしれない」
「でも、人類が滅ぶか滅ばないかという問題を前にしたら、仕方ないことだよ」
「今だって、私は灯を止められない。もう人間の生存には関係ない私ならともかく、灯は」
「もういいんだ」
灯は梢の手を握って言い切った。梢は一瞬黙って、うつむいたが、それでも何か言いたげだった。雪を跳ね除け、列車が到着してもそれは変わらなかった。
「チップをご提示ください」
列車が止まると、乗客二人の姿を認めた車掌がそう告げた。灯は一瞬背筋を冷やしたが、すぐに梢が手の甲を差し出した。それはもともと、梢が持っていたであろうチップ。灯も関ケ原に来るために作った偽造チップが入った手を差し出した。
「……っ!」
いずれもエラーを示す異音が鳴った瞬間。車掌は二人に向けて発砲していた。硝煙が立ち昇るのを認めた時には、二人ともそれぞれの能力で銃弾を体内に吸収していた。そして至近距離で発砲されたにも関わらず無事であるということが、『地上人類でないことの証明』になってしまった。
「地下人類だ! 捕らえろ……!」