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12.明るい未来のために

「梢……っ」


 恒に感情をすべてぶつけたかったように、灯は梢にいろいろ言いたかった。が、梢は本当に何も覚えていなかった。恒に再会して初めて、当時のことを全部思い出したのだろうということが、表情からすぐに分かった。だから幼子が母親に泣きつくように、涙を流しながら声にならない声を絞り出すことしかできなかった。


「僕は間違ってたのか? 地上に来なければこんな思いをせずに済んだのか? 君が純粋な気持ちで地上に行きたいと言った時に、引き止めればよかったのか……?」

「……灯は、何も悪くないの」


 たったそれだけの、子どもをあやすような言葉が、梢が発したという事実を乗せるだけで重たくなる。『缶詰』を這い出てまだ五年も経っていないような灯とは違う。缶詰の中で十分すぎるほどに成長してようやく出られる、そのシステムを作り出した張本人。凍える眠りについていたとはいえ、数百年の間地下人類を見守ってきた存在。灯の知る、楽観的でいつも灯のご飯に頼りきりな少女は、もうどこにもいない。


「きっと私も、恒の言うことを聞いて、みんなを連れて地上に出ればよかったの……。あの時、地上が住める環境に戻るなんて絶対にあり得ないって意地を張って、地下に残ることにこだわった私のせいなの」

「梢……君は本当に、記憶がなかったのか? 本当にさっき、恒のことを思い出したばかりなのか?」

「それは本当なの、信じて……恒の顔を見てさえ、はっきりとは思い出せなかった……」

「……君が作った地下人類のシステムには、どんな意味があったんだ? 君は地下人類をただ子孫を残しつなぐだけの機械のような存在にして、何がしたかったんだ?」

「……私は、みんながすごく好きなの」


 何気ないことで泣いて笑って、困ったことがあっても他人のために力を貸して助け合える。そんな人間たちのことが、梢は大好きだった。たとえ恒と二人きりになっても、その考えは変わらなかった。社会のあらゆることに対して機械化が進み、人間の存在意義が問われるようになる中で、人々はいつしか愛情を持って子どもを育てるということ自体に意義を求めるようになった。そして多くは、そんなものに意味はないと断言していた。それでも梢は、希望を捨てなかった。子供を虐待する、放置することしかしなくなった人間たちから先に死んでいき、誰より子どもを大事に想っていた梢が最後に残ったからこそ、自分が残す子孫にはそんなことをしてほしくないと思っていた。梢はおおよそ、そのような意味のことを言った。


「だから、みんなが死ぬのがすごく嫌で……何としてでも生き残ってもらわなきゃって、思ったの」

「……それで、こんなシステムを?」


 灯は、それが悲しいことだとは思わない。虚しい気持ちにもならない。そう感じられるほどの感情の豊かさがないからだ。地下人類は生き残ることを優先するあまり、感情さえも丸ごと過去に置いてきてしまった。その結果が、灯だ。それは意図せずして負の感情を学んだ今の灯にとっても同じ。梢以外の地下人類を知っているわけではないが、灯がそう推察することは容易だった。感情が豊かならば、もっと今の地下人類のシステムは別な形で存在しているだろうからだ。こうも何世代にもわたって子孫を淡々と残し続けるだけの存在にはならなかっただろうし、仮にそうなりかけたとしても、灯の何世代も上で方向が変わっていたはずだ。


「たとえ辛い時期があっても、それがずっと続くわけじゃない……何とか生き延びた先に、私よりもずっと賢くて、知恵のある子たちが、解決策を見つけてくれると思ったの。……そう思うことしか、あの時はできなかった」


 あまりにも無責任すぎやしないか。そう言いかけた灯の口は、開いたまま何も発声せず止まった。それしか正解がないのなら、自分は梢と同じ行動に出るのではないか。そう考えられるようになるほど、地上に出てから灯の受け取った情報は多かった。やったことは少なくても、囲む景色が、見かけた人が、何もかも地下のそれとは違っていた。


「……梢が、――君が、おいしいご飯を食べたいから地上に行きたいと言ったのは、本心からだったのか」

「……私は本心からしか、ものを言ったことはないわ」


 確かに、地上の食事を経験してみれば、地下でのそれがあまりいいものではなかったと分かる。味や香りを楽しむものでは決してなく、ただ腹を満たすためだけ、栄養を適量摂取するためだけの食事。もしも地下にいるままだったら、それを疑問に思うことすらなかっただろう。梢は昔地上にいたからこそ、自分が目覚めた今、地上での楽しい食事を思い出したくて灯に提案したのだ。


「……だから、地上人類がちゃんといるって分かって、嬉しいの。ずっと眠っていたせいで、記憶はあやふやだったけど……恒がちゃんと命をつないでくれていたって分かった今、この瞬間に生きられていることが嬉しい」

「……じゃあ、地下人類はどうするんだ。君がただ種の保存だけを優先して作り上げたシステムで生き残ってきた、僕たちは」

「地下人類は、地上人類と和解できる。とにかく生きて、明るい未来を見てほしかった。だから、こんなシステムのひどさに気づいて悩んでほしくなくて、地下人類の感情は鈍くしてしまったけれど。でもみんなの心の奥底には、絶対に優しさが残ってるはず。みんなで助け合って、支え合って、前向きに生きていけるだけの優しさが。だってみんな、……大切な、私の子どもだもの」



「残念ながらそう簡単にはいかないようだぞ、梢」



 灯が梢の言葉に何も返せないでいると。灯たちを二人きりにすると言っていた恒が、いつの間にか目の前にいた。恒の顔には悲壮感が少し混じっていた。それは灯が感情を学んだがゆえにそう見えたのか。


「……地上人類の素晴らしさに気づき、また地下人類だからこそできることを学んで、互いに手を取り合い生きていこうと誓う。地下人類全員が、本当にそう考えると思うか?」

「……どういうこと」


 恒は梢から灯に視線を移し、それから少しうつむいて言葉を続けた。


「地下人類が次々と、地上に出てきている。梢、お前の後を追ってな」

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