10.地上人類の正体
「君たち地下人類に分かるように言うならば、俺は”原初の地下人類”だ」
子孫を残す相手以外とは会わないとはいえ、地下人類がある程度繁栄しているからには、その大元となった祖先が存在する。言われるまでもなくそのことを灯は理解していたが、改めて言われると驚かざるを得なかった。特に、目の前の自分より年下であるようにしか見えない少年が自分よりもずっと先の時代の存在であるという事実に、愕然としていた。
「……どういうこと」
だからこそ、灯の口からはそんな単純な言葉しか出てこなかった。
「そのままの意味さ。君は到底似ても似つかないと思っているかもしれないが、間違いなく俺の遠い子孫の一人というわけだ」
「とても信じられないな。それに仮にお前が僕の先祖だとして、どうして今生きているんだ」
「落ち着けよ。今から俺が、順番に話すんだから」
威厳のある声。話している相手を強制的に黙らせる力が、彼の声にはあった。いろいろ言いたいのに、灯は口をつぐんでしまった。
「聞き分けがいいな。昔の梢は、それはそれはなだめるのに苦労したものだが」
「……」
「地上人類が滅亡したというのは、事実であり嘘でもある。実際、氷河期の波が押し寄せたのは日本が最後で、一時期世界人口は二人まで減少した。君を真っ向から裏切るような事実はないから、安心するといい」
「……その二人が」
「俺と梢だ。つまり梢も君と血がつながった、遠い祖先なんだよ」
全く分からなかった、とまたも灯は愕然とした。自分はこの人と結ばれ、子孫を残すんだ、と本能で感じ取れるのであれば、逆にこの人は血が近いから避けるべきだというのも本能で分かるのではないかと、灯は思っていた。遠いとはいえ、直線的につながる祖先ならばなおさら。
「まあ、分からなくても仕方ない。何せ梢はごく最近まで、コールドスリープ状態だったんだからな。肉体や精神はほとんど眠りについた当時のままだが、実質死者のようなものだ」
「コールドスリープ……」
「指数関数的に人口が減少し始めて、早々に諦めて死を選ぶ人間もいたが。何とか自然環境の変化に抗う策はないかと、寝食を忘れ技術開発に勤しんだ連中もいた。俺や梢も、その中の一人だ。だが人間が生きていけないほどの極低温になる地域は広がってゆく一方で、最終的にはブリザード吹き荒れるこの関ケ原が、地球上で最も『暮らしやすい』場所になった」
身体を刺してくるような寒さ。ロシアや北極、南極は極寒だというから、ここも人が住めないというわけではないだろう。しかしそれでも、ここがその昔『最も暮らしやすい場所』であったとは、灯には到底思えなかった。
「俺も梢も、自分たちの代で人類が生き残るための技術を完成させられないことは、分かっていたよ。だから子どもたちに託して、時間を引き伸ばすことにした」
「子どもたち……」
「俺と梢は、十六人の子どもをもうけた。人間の成長を早める技術はすでにあったから、すぐに全員立派に育った。そして期待通りに、人類が生き残るための技術が完成した。それが」
「身体を溶岩に変えられる能力……」
「間違ってはいないが、足りないな。特別な能力を手に入れ、厳しい環境の中で人間という形に囚われず生きることを選んだんだよ。それは溶岩だけではない。溶岩、スライム、氷、岩、砂、雷、バクテリア、塩、火山灰。初めは九つあった。それを俺と梢、子どもたちを合わせて十八人で分け合ったのさ」
灯に口を挟む余裕はなかった。自分を含めた地下人類が知らない話を、次々と聞かされている。咀嚼するので精一杯だった。そんな灯に彼――恒が、畳み掛けるように告げる。
「だが、今は溶岩とスライムの能力しか現存していない。なぜか? ちょうど、寒冷化の傾向が少し緩まって、能力が必要ではなくなったからだ。初めの何年かは全員で地下に行き暮らしていたが、やがて子どものうちの一人が地上に戻っても生きていけると言い出したんだ。最終的に地上へ行くのと地下に残るのと、ちょうど八人ずつで真っ向から対立した。その責任を取って、二度と地下には戻らないことを条件に、俺は八人を連れて地上で暮らすことを決めた」
「……今地上人類がいるということは、実際に住める環境になったんだね。東京は真夏らしい暑さだった」
「暑さと言っても、君たちからすれば相変わらずの極寒だろう。まあ実際、今この瞬間まで数百年間、当時よりはずいぶんマシな気候になった。しかしどうだ。東京は真夏だが、この関ケ原は吹雪。昔は北半球と南半球でしか季節の違いが出なかったが、今は季節が地点ごとに異なる。東京が真冬なのに神奈川が真夏、埼玉が晩春というのはもはや常識だ」
「……どうしてそんなことになるんだ」
「さあ。強いて言うならば、どこかで人間の栄枯盛衰を見ている連中の怒り、じゃないか?」
「そんな哲学のような話は求めてないよ」
「しかし神の存在を絶対視する宗教は山ほどあるからな。神はいない、などと断言できるのは俺たちくらいのものだ。しかも俺たちでさえ、神がいないことを証明できはしない。神がいることを証明できないようにね」
恒の家のつくりは頑丈なはずだが、時折ごう、と外の風の音が聞こえる。それは地上という世界が今もおかしい状態であり続けているという証拠であり、灯の心の中の複雑さを表現しているような気もした。
「話が逸れた。俺が地上に出た代わりに、梢は地下人類として暮らしてゆくことを決めた。そして十六人の子どもたちが仲間割れをしたことが気がかりだった俺と梢は眠りについて、未来を見届けることを決めた。そして偶然にも、俺と梢はほぼ同時に眠りから目覚めたわけだ」
「必然ではなく?」
「どれくらいで目覚めるか、設定することもできたが……仮に百年後にしたとして、せっかく俺たちが残したはずの人類が滅亡していたら、いくら何でもがっかりするだろう? それに絶望だってするかもしれない。それなら、滅んでいても経った年数のせいにできるくらい、遠い未来で目覚めるようにしたんだよ」
梢は相変わらず意識があるのか、ないのか分からないような表情をして、恒の方を見ていた。その目で見つめる男が、自分の夫だと認識しているのだろうか。本当に、灯のことを忘れていないと言い切れるのだろうか。虚ろなその眼差しが、灯を視野に入れているとは到底思えなかった。
「長くなったな。結論を言おう。地上人類は生きている。俺と梢の子どもの半分が、つないだ命でな」