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1.外の世界へ

 人類は滅亡した。


 二足歩行で、知恵を生み出すだけの頭があり、火を発見したのをきっかけに発展してきた種。それを人類と定義するなら、確かに人類はもういない。


「……ふう」


 住まいであるシェルターの中で、銀色の髪に煮えたぎるマグマのような色の瞳をした少女が、寝起きの目をこすりながらため息をついた。


「またそんなつまんなさそうにして。(あかり)らしくないよ」

「……もっともらしいことを言う前に、まずはそうやって、窓の隙間から堂々と入ってくるのをやめてほしいな」


 銀色の少女――灯は、五センチもない隙間からするりと身体を滑らせて入ってきた深緑の生命体に話しかける。その生命体はスライムのような見た目だが、寝転ぶ灯のすぐそばまでやってくると、深緑の髪と瞳をした人間の少女に姿を変えた。


「わざわざ正攻法で灯の家に入るのも、何だかしゃくで」

「君は一度常識というものを学び直した方がいいよ、(こずえ)


 人類はいない。しかし人類に似た種がいる――客観的に見れば、こうなるだろう。人型の彼女たちは、先ほどの人類の定義からは少し遠ざかっている。


「灯、いつものを頼みたいの」

「はいはい」


 灯の返事はいつにも増して下向きだった。灯が伸ばした右手を変貌させ、どろりと滴る溶岩を梢に近づけると、梢もまた右手を粘性のある触手に変化させ、「手だったもの」どうしを絡ませた。梢の手を通して、灯は溶岩を送り込む。梢が熱がることはない。ただ、灯のエネルギーを受け取り、満足そうにする梢の姿がそこにあった。灯もまた、何日かに一度の習慣ということもあって、特に何かを考えてはいなかった。


「うん、やっぱり灯のエネルギーをもらえて、嬉しい」

「それは嬉しいじゃなくて、ありがたいじゃないの?」

「ん、そうかも。やっぱり嬉しいってどんな感じか、よく分かんないね」

「……まあ、それに関しては僕も同じなんだけど」


 平凡で、特にこれといった能力も使えない、純粋な人間がもうこの世界に存在しないというのは、紛れもない真実である。

 かつて食物連鎖の頂点として、栄華を極めた人間。滅亡した理由は単に、縄文期以上の氷河期が到来したからという、到底抗えないものだった。ただ、それはあくまで地上において、の話。暖かい、あるいは暑いくらいの地下には灯や梢のように、かつての人間のような種が生き残っていた。


「結局私たち、何のために生きてるんだろうね」

「……!」

「どうしたの?」

「いや。僕もちょうど、同じことを考えていたから」

「へえ……私も灯のエネルギーをもらってるから、センチになるタイミングが一緒になったのかな?」

「それはどうかな……」


 灯は夕食を作るべく立ち上がる。いわゆる昼過ぎの時間に起きて、それから夕食を作って食べる。そのまままた夜には寝る。それが灯の一日だった。


「灯、ご飯は?」

「今から、作ろうと思ってた。ちょっと待ってて」

「はーい」

「……というか、さっきエネルギーをあげたばかりなのに。ご飯までたかるつもりなの?」

「今日はそういう気分じゃない?」

「まあ、そうと言えばそうかな」

「まんざらでもないんだ。じゃあごちそうになります」


 灯はため息をついた。二人は出会ってからというもの、ほとんど毎日灯の家でご飯を食べている。その割に梢は特に灯の家で手伝いをすることもなく、外をぶらぶらして、食事の時間になれば戻ってくる。灯は何もないこの世界で、梢がいったい何をしているのかほとんど知らなかった。シェルターを出たとて、殺風景な地獄しかないというのに。


「灯は、どうして私たちが生きてると思うの?」

「……分からない」

「かつて生きていた地上の人類の遺伝子を、後世に残すため。それとも、他の理由かな」

「それが違うことは、分かる」

「……あ、同じだね。私も、何か違うなぁ、って思ってた」


 本当なら、人類がかつて繁栄していたという生きた証拠であり続けるため、と答える方が彼女らとしては正しい。しかしそれは、自らの存在を否定するのと同義だった。たとえ灯と梢以外の大多数が、その使命を全うすることだけ考えているのだとしても。

 人間はどうしようもなく傲慢で、どうしようもなく図々しかった。自分たちが絶滅するかもしれないと分かった時、人間は他の動物たちと違ってもがきにもがいた。なまじ知性があるばかりに、どうすればあがき抵抗できるのかを知っていた。だから今、灯たちがいる。


「でも違うとしたら、何だと思う?」

「……その先までは、あんまり考えたことがないかもね」

「そうなの?」

「梢にはありそうな言い方だね」

「私はね、地上でおいしいご飯を食べるため。そう思ってる」

「何それ。そんなの地上に行かなくたって」

「変わるよ。だって、地上にはここよりもずっとおいしいご飯があるって、私信じてるもん」

「でも今の地上なんて、荒廃した街しかない。いくら人類が滅びてからしばらく経ったって言っても、元の自然に還るまではもっと、途方もない時間がかかるはずだ」

「それがね。実は人間は滅んでなんかいなかった、って話。前に聞いたの」

「嘘だ」

「ホントだって」


 梢が突拍子もない話をするのは、珍しくない。そしてほとんどは、梢本人でさえどこで聞いてきた話なのか分からない、信憑性に欠けるもの。だから灯には、梢が伝聞形で話を始めたら冗談を聞く構えになる、という習慣がついていた。


「じゃあ、会ったことがあるの?」

「ない」

「ないんじゃダメだな」

「でもでも! 嘘じゃないんだって」

「誰に聞いたのさ」

「……分からない」

「ほら」


 灯はため息をつく。いつものことだと分かっていても、そうしてしまう。そして梢は少ししゅんとしてみせる。


「でも……灯は外の世界に出てみたいとは、思わないの?」

「外の世界、ね」

「私たち、このままでいいの? このまま大きくなって、子孫を産んで。一生地下で過ごすなんて、私やだよ」

「やだって言ったって……それが僕たちの運命なんだし、仕方ないんじゃないの」

「灯は……それでいいの」


 梢の問いに、灯ははっとさせられる。当たり前と思っていたことを否定されて、しばらく思考が止まってしまった。自分たちは生まれたら成長して、子孫が作れる歳になればその通りにして。ただ単調に、次の世代へとつなげてゆく。そこに昔地上に生息していた人間らしさなんてものはかけらもないし、これまでもずっとそうしてきたのだから、今さら変えられやしないと灯は思っていた。灯たちの存在意義を根幹から揺るがす。梢の好奇心から来る単純な問いかけは、それほど重い意味を持っていた。


「だって……仕方ないじゃないか。僕たちに何ができるっていうんだ。もう、人類が地下にやってきて何百年経ったかも分からなくなってるのに。僕たちは地上での生き方さえ、忘れてしまったんだ」

「そんなことないよ」


 灯は自分の反論が完璧だと思っていた。地上にこだわる梢の気持ちが全く分からなかった。確かにこのまま子孫を産むだけしか自分の存在価値のない人生は嫌だ。だけどなす術がないのだから仕方ない。そんな諦念さえ、梢はまるっきり否定してきた。灯は呆然とするしかなかった。


「そんなことない、って」

「確かに地上は夏でもここよりずっと寒いから、また地上に慣れるには時間がかかるかもしれないけど……でも、忘れてはないはず。私たちのDNAのどこかに残ってる」

「……だと、いいけどね」


 梢はしきりに地上に行きたがっていた。そして灯は、どうしてそこまで地上にこだわるのか分からなかった。灯はおそらくもどかしい、悔しいと表現するのであろう気持ちを抱いていた。

 梢には実績がある。梢の野生の勘と言うべき予感は、だいたい当たるのだ。一度梢のように、道端で倒れていた人を二人で助けたことがあったが、その時も家にこもっていた灯を、梢が無理やり連れ出したからこそ見つけられた。梢が今夜はまずい気がする、と言った時はおかずにする食材が家になくなっていて慌てた。梢は何度も灯を困らせてきたが、同じだけ助けてきた。


「こんな仕組みは、私たちの代で終わらせなきゃいけないの。こんな生活を、人生を、次の世代に引き継ぐわけにはいかない。灯も、協力してほしい」

「……分かったよ」


 ここまで聞いてもなお、灯は地上に行くメリットが感じられなかった。昔のような極度に発展した都市の姿はまず見られないだろうし、仮に地上で人類が生きていたとしても何を学べばいいのか分からない。もっと有意義に命の時間を使う方法なんて存在するのか。

 その答えは、次の日には分かってしまった。出来る限りの分厚い服を着て、灯と梢は地上へ出た。地上は事前に調べたところ、夏という暑い季節だったが、それでも二人にはひどく寒く感じられた。そして二人がまず目の当たりにしたのは。


「……すごい」

「これは……?」


 話に聞いていたのとまるで違う。地上時代最後の姿よりもむしろ発展した、あちこち人の行き交う大都市・東京の様相がそこにあったのだった。

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