前編_03(野伏せり)
ヒトは黒い髭をぼうぼうにし、髪を頭の上でまとめた、日焼けと垢染みた赤ら顔のずんぐりむっくりの男であった。欠けた歯を見せ、にやりと笑う。
獣人は、四ツ耳の猫だった。濃い茶に黒い筋の毛並みで、体つきは細身の女であった。黄色い瞳をらんらんと輝かせ、こちらもまたにやりと笑う。にょきっと鋭い牙が見えた。
喋る生き物は、牛の躰にヒトの頭を持っていた。禿頭で、辛気臭そうな若い男の顔をしており、垂れ目の上の眉も、辛気臭そうにハの字に垂れている。
「ホウ」イブキは銀の馬の首を軽く叩き、その背から下りた。「おもしろい取り合わせだの」
「なんの」髭の男がにやにやと笑う。「こいつがな」と喋る生き物を一瞥し、「案内してくれるのだ」
「アタイらのシマを荒らし廻ってるのはアンタかい」猫女が、鋭い爪の指を曲げ、しゃっと引っ掻く真似をした。
「島でなくて山だ」髭男が訂正した。
「同じだよ」猫女は意に介さず。
そして、辛気臭い人牛は、太い息を吐いた。
「その若者がわたしの腹に弾を撃ち込む」はああ……と、辛気臭い息を吐くのであった。
「おう、若造」イブキは、彼女に次いで馬から下りる若者に声をかけた。「ご指名だ。あの気色の悪い喋る生き物は、お前に譲ろう。外すなよ?」
「あんなにでっかい的だ」まかせろ、と若者は請け合った。辛気臭い喋る生き物は、「ああ、」と哀れっぽい声を漏らす。
「おい、くだん」髭男が、辛気臭い喋る生き物を、慰めた。「その厚い皮ではじき返せるだろう?」
「いいや」くだんと呼ばれた辛気臭い喋る生き物は、やはり辛気臭く自分の死を予言した。「わたしは死ぬ、そして食われる」
「なんてこったい」猫女が自分の額に手をやる。「今度ばかりは、あんたのお告げが外れることを願うよ」
喋る生き物は、「それは無理な願いだ」辛気臭い息を吐く。
「よし」イブキは若者に、口を動かさず、顔も向けずに、しかし確かに聞えるように囁いた。「ふたりはわたしがやる。ウシは任せた。仕留め損なったら折檻だ」
「なんだって?」若者を待たず、「あッ」イブキが野伏せりたちへ向かって鋭く叫ぶ。「気をつけろ、蝮だ!」
ハッと、野伏せりたちは自分たちの足下を確認した。
「今日は牛鍋だ!」イブキは宣言するや、地を蹴り、鞘を払った。「若造、間違えてもわたしを撃つでないぞ!」
「ちょっと、」待て、と若者が云い終わらぬ内に、髭男の首が飛んだ。
イブキは返す刀で猫女に肉薄した。
「ちぃッ!」猫女は、猫の敏捷さと躰の柔らかさで、紙一重、後ろに跳ね、逃れた。
イブキは空を切った刀を再び返し──前のめりに踏み込むや、跳躍するようにして胴を払った。
「ギャッ」猫女のぱっくりと切り裂かれた腹から臓腑が溢れ出た。血で濡れそぼった腸が、押さえる手をぬらぬらと滑り、ぼたぼたと溢れる。
「あああ……」猫女は膝を突いた。
タアン……と、銃声が山に谺した。
タアン、タアンと立て続けに三発。喋る生き物の巨体はぐらりと揺れ、どうっと倒れた。
「わたしは死ぬ……そして食われる」
前脚を折り、喋る生き物が辛気臭く云う。
「そうだな」イブキは猫女の首を突き、肩を蹴り飛ばして絶命を見届けると、喋る生き物に向き直った。「いただきます」
ウシの躰から、ヒトの首が落ちた。
「さて」イブキは猫女の服を剥ぎ取り、刀を丁寧に拭って鞘に納めた。「牛鍋じゃ」
「俺は遠慮する」
顔の色をなくした若者を、「ばかっ」叱り飛ばした。「こいつが食えと云うのなら、食うのが道理だ」
「そんなことあってたまるか!」
しかし、イブキの作る牛鍋のにおいに、彼の若い腹は素直だった。
「……うめぇ……! うめぇよ……!」
半ば火傷しながら、若者は牛鍋を喰らう。器こそは携帯金属鍋だが、木の枝を削って作った粗末なカトラリーは、とうてい食器とは呼べまい。
「手づかみとか蛮人か」イブキは汁をすすった。「茶碗一つに箸二本、たったこれだけの荷物を惜しむのがよく分からん」
若者の持っていた豆を煮て付け合わせにしての食事であった。
「うめぇんだよ……、あったかいんだよ……」
若者はがつがつと喰らった。
腹がくちくなると、「さて」イブキは荷物をまとめて、火を消して、「今日は店じまいだ」
まだ日は高い。
「もう?」と訊ねる若者に、「ああ」と頷く。
そして、銀の馬を従え、真っ直ぐと案内した先は、川の渓流の外れに湧く温泉であった。
立て看板に、「一湯八文」、函がひとつ。桶が逆さに積まれている。
温泉は、石を積み上げ、川の上流側から分流を作って引き込み、程よい温度になるようできていた。
「恥ずかしがることがあるか、馬鹿め」裸になったイブキは、せせら笑った。「銀馬、荷物をみておけ」手拭いを肩にかけ、湯気の中へ向かった。
銀の一角獣は、微動だにもせず、銀の瞳でジッと追った。
イブキは、カネを弾いて函に放ると、「ごめんなさいよ」桶を取った。
掛け湯をして手拭いを絞り、頭に乗せて湯に浸かる。
「ああ……」自然と声がこぼれる。「おい、若造。せめて背を流してくれんか。ひとつ三助を頼まれてくれんか」
「なにを」若者は気色ばんだが、湯に上気した女の肌に、再び背を向けた。「自分でやれ」
「なんじゃい」しかしイブキは、機嫌よく空を仰いだ。
銀の馬が首を上げた。茂みから、三人の男が現れた──見るからに野伏せりである。手にはそれぞれ、刀、槍、鉈と得物を持っている。
「おお、先客だ」男のひとりが云った。
「おお、先客だ」イブキは返した。「先にいただいておる」
ゴールは腰の銃に手をやったが、抜く前に男たちは各々の得物を仕舞った──どういうことだ?
男たちは裸になると、順に函にカネを放り、桶を手に取り、掛け湯をし、股座を洗って、「ごめんなすって」湯に浸かる。
「ああ、いい湯だな」
「ああ、いい湯だ」
「姐さん」野伏せりのひとりが訊ねる。「今日の釣果はどんなもんで?」
「さあて──」イブキは両手で湯を掬い、顔をざぶざぶと洗う。「すっかり汚れも落ちてしまってな、忘れた。そっちはどうだ?」
「おけらだ。ここ暫く気性の荒い山猿が出るというので、すっかり萎縮してしまう」
「ボウズか、ははっ」イブキは笑った。「亀の首が腹の下に潜り込んだか。おマシラ様なら祀っておけ。あれは祟るぞ」
「まったく、どんな山猿なのか」男のひとりが首を捻る。「おい、兄さん」若者に呼びかけた。「あんた、何か知らんか、見なかったか?」
若者は首を振った。「知らない」
「なんだ、あの野郎は」野伏せりのひとりが不満げに云う。
「わたしの連れだ」すまんの、とイブキは謝る。「湯に来て浸からぬ、とんだ出歯亀、野暮天だ」
「そうか、そうか」男たちは、ひゃっひゃっと好色そうに笑った。「おい、兄さん、肩を揉んでくれんか。かわりに、いい思いをさせてやるからよ」
答えに窮する若者に代わり、「すまんの」イブキが応える。「見ての通りだ、あまりからかってやるな」
「ほうら! 風呂に覗きに来ているヤツは、こうだ!」
男たちは石を投げたり、重ね手の水鉄砲を飛ばした。
「やめっ」
若者は茂みの奥に逃げ込んだ。
イブキは、はははと笑った。「そのくらいにしてやってくれ」
「まあ、姐さんがそれでいいなら」
「何の問題もなかろう?」イブキはお終いとばかりに手を振り、男たちに向かって雫を飛ばした。
ふと、ひとりがイブキの指に気が付いた。
「姐さん、その手は──」
「ああ?」イブキは自分の手を初めて気付いたかのようにしげしげと見て、そして広げて向けた。指が二本、欠けていた。
「あんた、もしかして、」
「野暮はよせ」とは云うものの、「どうにも、それでは収まらぬようだな」
男たちはごくりと唾を飲んだ。
「いいだろう」イブキは口の端をにやりと吊り上げ、「土産話を、ひとつ披露してやろうか」
「いいのか」
「なあに、たいしたことでもない。いいか?」
同じ湯に浸かる男たちに、否やはなかった。
「山猿が都を追い出された、ただそれだけの話だ」と、イブキは手拭いで顔をひと撫でして、また頭に乗せた。