前編_01(額に一本角)
〈前編〉
その日、山道を歩いていると、茂みから現れた一頭の馬と行き合い、いたく肝を潰した。
馬は銀色に輝き、額に一本角を持っていた。
ユニコーン、つまり一角獣である。
なんと美しい生き物であろうか。
中天から注ぐ晩春の陽光を、全身で弾いていた。
ほう、と見惚れていると、馬はおもむろに首を下げ、いきなり角を突き出してきた。
「やめやめやめ」
角を逃れ、後退った。
「自分は未婚である」
馬を相手に、いい年をして、宣言するのが少し悲しかった。しかし銀の馬はさらに角を突き出してきた。
「やめやめやめ」
止めて貰えなかった。
「ひどいっ」
自分が一体何をしたと云うのか。足がもつれ、「ぎゃっ」派手に尻餅を搗いた。
「おい、ルーシィ。やめな」
男の声がした。どこか興がっている声音はなかなか心地よく、ちょっぴり心がときめいた。
一角獣は顔を上げ、ぷいと横を向いた。
声の主は栗毛の馬に乗った若者であった。
青年と呼ぶには幼さの残る顔立ちで、少年と呼ぶには恵まれた体躯をしていた。
黒い肌は黄金のように輝き、服の上からでもしなかやかで、強靭な体つきがわかった。
そして奇妙にも、窮屈そうであった。
今にも皮膚を突き破り、大人の男が飛び出さんとしているようである。
頭はどうしたことか、鳥の巣のように膨れておる。珍妙な髪型だ、と思った。
「ぴよ」
黄色い小鳥が飛び出た。
見間違えたと思い、目をこすった。
「ぴよ」
見間違いだと思うことにした。
まあ、悪そうなヤツではない。たとい外れたとしても、さして脅威にならんじゃろ。
「俺はゴール」若者が馬から降りながら云った。「ペニー・ゴール」口元から白く輝く歯が零れた。「ガンスリンガーだ」
尻餅を搗いている女に手を差し出した。
その手を借り、立ち上がりながら「イブキ」と、名乗った。
「イブキ?」
ガンスリンガーの若者は少し考え、ふと、「もしかして、角斬りおフキか?」
「あ、ああ」
イブキは思わず首肯する。
「マジか!」若者は白い歯を煌めかせ、素晴らしい笑顔を見せた。イブキは、胸の奥が小さく弾むのを感じた。
なぜ嘘を吐いてしまったのか。いや嘘だろうか?
母の名、フブキ・イブキを騙ったわけではない。相手が勝手に思い違いしたのだ。
「嘘だな」
バレるの早ッ。
「角斬りのおフキには、変な訛りがあるって話だったと思う」
「そ、そうでゴ、ゴザるな」しまった、たどたどしい! これは怪しさ満点だ!
「ふうん?」若者が眼を眇めた。「おれが聞いたところじゃ、それをを克服した、と」
「ああそうだ」イブキはキリッと応えた。「克服した」
「本物だ!」
若者は目を大きく、輝かせた。
あれ? チョロすぎないか。
イブキはさすがにかわいそうに思った。
「ぴよ」
若者の髪から小鳥が飛び出した。
「その……訛りを笑われてな」イブキは咳払いひとつ、「努力したのだ」いかにもな話をでっち上げた。
「そうだったのかぁ」と若者はしんみりとした。「頑張ったんだなぁ」
「ああ」イブキは頷く。「頑張ったのだ」
「しかし、こんな所で伝説に会えるとはなぁ」と若者が眩しそうに云う。「結婚を機に引退したと訊いていたが……」
「そうらしいな」他人事のように云う。実母とは云え、まあ、ぶっちゃけ他人事だ。
若者の目に再び疑念が宿るのを見て取った。
イブキは思った。まあ、バレたところで、大したことであるまい。すまんのう、とでも云っておけば充分じゃろ。
「とても子持ちには見えない」若者が云った。
「それは褒めてもらったと云うことか」刀の柄に手をやった。
「いやいや」若者は慌てた。「そんなつもりは──、」
「そうか?」つい意地の悪い目を向けてしまったが、慌てる若者がおかして、やはり思わず笑ってしまった。
「まあ、わたしの郷里の出身は、わりかし幼くみえるらしい。お蔭で相手の油断を誘える」
すると若者は、「確かに」納得した。
マヂちょれェ。イブキは思った。こいつ、けっこうアホだぞ。
普通に考えて、母と自分を間違うわけがなかろうが。母は一線を退き結婚し、、あまつさえ娘ふたりを鍛え上げ、送り出しておるのだぞ?
しかし、とイブキは思った。それともわたしは実年齢以上に見えるのだろうか。
その考えは、とても哀しい気分になるので、どうにか胸の奥の奥に閉じこめておこうと躍起になった。
「ぎゃっ」不意に尻に鋭い痛みを感じ、イブキは飛び上がった。
銀の馬が角で突いたのである。
「やめやめやめ」
後退りながらイブキが手を突き出すと、銀の馬は鼻を鳴らした。
こやつ、馬のクセに鼻で笑いよった。めっちゃ感じ悪いぞ?
イブキは若者を見遣り、「この馬は何なのだ」問うた。
と、その時。
「わたしと一緒に来なさい、イブキ」
女の声がした。
はて。馬が喋ったように感じたが。
若者を見ると、彼は頷いた。
「そうか」イブキは彼の栗毛の馬に近寄り、「お前か」
また角で尻を突かれた。
「やめやめやめ」
イブキは尻を擦りながら、「なんなのだ、この馬は」若者に涙ながらに訴えた。「手加減ナシなンですけどォ!?」
「彼女はルーシィ」若者が云った。「良く分からんが、ついていかないと、いけないらしい」
「ほう?」イブキは挑むように銀の馬を見た。「何故に?」
銀の馬はぷいと顔を背けた。マヂ感じ悪ィ。
「あんたも選ばれたようだな」若者は馬の背に跨がりながら云った。
「つまり、オヌシも?」
「そうらしい」
イブキは少し考え、「断る」
云った瞬間、体が宙に舞った。尻を突き上げられ、イブキは一回転し、すとん、と銀の馬の背に落ちた。
おいおいおい。
尻は痛いが、驚きが勝った。
若者がひゅぅ、と口笛を吹いた。「お見事」
いやいやいや。
これは拉致とか誘拐だのと、穏やかでない話じゃなかろうか。
「ぴよ」
若者の髪から小鳥が飛び出した。