幕間・後(無責任)
それは、膝丈ほどのもので、(墓石)のようであった。
一見、模様に見えたものは、文字であった──知らぬ記号である。
しかし、末尾の一行だけは、「ボビー・ボム」若者が口にした通りの文字が刻まれていた。
「その男は、王都の魔術師だ」イブキは云った。
「宮廷お抱えか?」
「あれはもうヒトでなかろうよ」
「なんだって?」
「魔術を使うと、腹の中で赤い石が作られる。しばらくすれば消えるが、立て続けに魔力を使えば、石の成長は止まらない。そんなものを腹に置けるモノをヒトと呼べるか?」
「見たことあるのか?」
「触れば分かる」
イブキは自分のみぞおちに手を当て、「この辺りだ。切ったら確かに石が出た」
「ええ……」
(切ったのか)若者が引いた。
「わたしは治療だと理解した。あいつは研究だと云った」
「魔ヶ珠だったか」
「好奇心の結晶だな」
「でも、ヒトだろう?」
「いや。あれは魔だ」
それからぽつりと、「学があるのも、考えものだな」
イブキは膝をつき、石版に顔を寄せた。
「若造、読めるか? わたしには、さっぱりだ」
若者は首を振った。「知らない。見たこともない文字だ」
「おい、銀馬」イブキは呼びかけた。「これを見せたかったのか。読めねば意味がない」
ぐにゃり、と、一角獣の躰がゆがんだ。
銀の肢体が波打ち、白い影を写し、輝いた。
ほどなくそれはヒトの女の姿に固定化された──銀の裸体である。
豊かな胸と絞られた腰。高く張った広い尻から、すらりと伸びた足が特に美しい。
──なんじゃ、こやつ。
ズルにも程があるじゃろ。イブキは憤慨した。見せ付けおってからに。
腹立たしかったので、すっかり鼻の下を伸ばした若造の頭をぽかりと叩いた。
やましさを隠しきれなかった若者は、逆らわなかった。
ぽかりと二度も叩かれた。
「とにかく──、」と、イブキは石版に手を伸ばした。
考えがあってのことでなかった。
ただ、触れて、その感触を確かめてみたかっただけである。
「その手を引っ込めなさい」
銀の女が云った。
「ああ?」
遅かった。イブキの指は石版に触れ──途端に、彼女は雷に撃たれたようにその場に崩れた。
「大丈夫か!」若者がイブキを支え、「ルーシィ!」銀の女を呼んだ。「どういうことだ?」
「それは思念文字。情報が大きい。ヒトが触れると、その奔流に呑まれるわ」
「一言あっても良かったじゃないか」
ぐったりとした女剣士の躰を抱いて、若者は金属女に不満をこぼした。
「魔術師がわたしたちを起こし、そして三人に分けた」
……ホウ、そんなことがあったのか。
イブキは意識を取り戻していたが、(若い)男の腕の中と云うのが、まあ、わりと気分が良かったので、ジッとしていた。
硬くてしなやかな腕や、厚い胸板の感触が特に良い。
「石碑にあるのは時空の綻び」
風が捲く。骨の木が、からからと音を立てて転がる。頭蓋が割れ、顎に残った歯が散った。
舞い上がる骨の欠片で視界は真っ白に埋もれ、獣の咆哮を思わせる重い地鳴りがした。
「うへー!」
若者が腕に抱いてた剣士を放り出した。「いてッ」
イブキは、わりと本気で怒った。「何をする!」
「うへー!」
若者が尻餅をつき、指をさした先──骨の風の中に、ずんぐりとした影が現れ、崩れた。
(マ=ン・マ……)
舌足らずな、か細い声がした。
それは、ヒトの背丈を優に越える巨大な銀の赤子のようであった。
丸い頭と小さな胴。突き出た丸々とした短い手足。腹這いで揺れる首を起こし、ずるずるとにじり寄った。
その塊の表面は、どうにか體を維持しようと、膨れては萎み、歪み固まりまた溶け、内から外から対流しているようであった。
(マ=ン・マァ……)
ずるずると銀の赤子は、ルーシィに近づいた。
(ああ……)と、ルーシィは心の露とばかりに嘆息した。(此処よ)
「──お前の子か」
イブキが訊ねる。
「そうでもあるし、そうでもないわ」
赤ん坊の頭を、両手で抱くようにしてルーシィは云う。「妹がヒトを唆し、わたしを捕らえた」
「仲の悪い姉妹だな」
「そもそも、ひとつを分けたのがヒトの所為でもあるのよ」
そうだろか?
確かに、きっかけは、あの手癖の悪い魔術師かもしれない。が、どうしたって、ヒトと同じ枠で考えるべきでなかろうに。
「ヒトと交わってしまったがために、わたしたちも変わってしまった」
「そうか」
訊きたいことは山ほど合っても、どのように訊ねればよいのか、見当もつかなかった。
そもそも自分は何か、或いは何を知りたいのか?
いや、違う。
「なぜ、わたしたちを此処へ連れてきた」
「この子を連れ出すのと同じ質量を戻すために」
「なに?」
「向こうへ行って貰うわ。終わったら引き戻すから」
ルーシィの言葉が終わらぬうちに、足下の積み重なった骨と骨とが、がらがらと崩れ始めた。
「待て、」
イブキは留まろうとしたが、たたらを踏み、足は流砂のような骨の木々に呑まれていく。
「勝手が過ぎるぞ」
「仕方ないでしょう、向こうでがんばって」・ㅂ・)و"
無責任か!
(あなたたちには特別に不死の力を授けます)
骨の砂に呑まれながらルーシィの言葉を聞いた。
(使うか使わないか、その選択は任せましょう)
(呑むだけで、最後の姿を元にするから──)
暗転。
──後編へ、続く。
炎の日Ⅱ#8(最高のケツ)
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