六.一般人の読破率1%
行商人の男との約束通り、朝、俺とミラはローダンという男のもとを訪れた。彼らはかなり大きなキャラバンを組んで各地を巡る行商団であり、俺たちはその中の馬車の一つに同乗させてもらい、西の大砦町『ヘヴィサイド』を目指す。
本来、西へと向かう道はゲーム終盤で通るのが正規ルートだ。そのため道中の敵はかなり強く、崖沿いや渓谷など地形的にも厳しい経路を通る必要がある。
今回は行商団と同行しているので、多少の敵やダメージはフォローしてもらえる。 ただ、彼らの力を借りて低レベルで無理やり突破したとしても、その後の敵に歯がたたないのではやっていけない。NPCの力を頼りつつ、自分のレベルを上げることも考えておかないといけないのだ。
「親切な方たちで良かったですね。それに、大勢でいるとやっぱり安心できますし」
荷馬車に揺られながらミラが言った。薬草だの食糧だの酒だの武具だのがぎっしり詰められた荷台の隅で、彼女は身体を縮めて座っている。
「狭くない?」
俺は同じ馬車の荷台の縁に腰掛け、後方を眺めながら聞いた。
「心地いい、とは思いませんが、乗せてもらっている身ですから。贅沢は言いませんよ」
「そうか、ミラは偉いな。俺はもう既に尻が痛いよ」
道が悪いこともあり、馬車はかなり鋭く揺れながら進んでいる。自分の足で走らなくてすむのは有り難いが、これはこれでしんどい……。
ちなみに、単純な移動速度だけで言えば、馬車に乗るより自分で走ったほうが早い。しかしこの低レベルで自力で西へ向かうのは正直キツく、多少の鈍行は後で取り返せるから、ここはおとなしく馬車に揺られるがままになるのがセオリーだ。
RTA的には、数少ない休憩ポイントと言えるかもしれない。
身体の痛みを紛らわせるため、俺は昨日の夜中に謎の女から受け取った懐中時計を取り出した。
それは電光掲示板のように時間を表示し、今もタイムをカウントし続けている。
たぶん、俺がこの世界でRTAとして走っているタイムだと思う。過去の俺の記録と比較しても、今ここに表示されている時間は、ちょうど馬車に乗って西を目指す時くらいのタイムなのだ。
どうしてこんな時計が存在するのか。なぜ彼女は俺にこんなものをくれたのか。彼女は何者なのか。わからないことだらけだが、昨晩の彼女の話によれば、結局のところ俺がやるべきことは変わらないらしい。
なるべく早くこの世界を救い、元の場所へ帰る。つまり、このままRTAを続行すればいい。
当然、彼女が何者なのか、という疑問は拭えない。昨日の話しぶりから推測するに、おそらくは俺と同じように、この世界とは別のところからやってきたのだろうと思うが……いかんせん確かめようがない。ただ、俺が受けた印象だけで判断するならば、彼女は嘘をついていない、と思う。
実を言うと、このタイマーを貰って以来、俺は俄然やる気を増していた。やっぱり現在のタイムが見えると張り合いが出る。それに何より、今のタイムはかなり好記録なのだ。……このまま突っ走ろう。そして今度こそ1位を目指すんだ。
「敵襲だ! 11時の方向、『水トカゲ』の群れだ!」
行商団の先頭から警告の声が上がった。俺は時計を懐にしまい、荷馬車から身を乗り出して前方を確認する。遠くの方から、地を這うような水色の塊が近づいてくるのが見えた。
「なんですか、あの不気味な生き物は?」
ミラは俺の隣に顔を出して、正面のモンスター群を見るなりそう言った。
「あれは水トカゲだ。二足歩行をする人間サイズのトカゲで、全身がスライムみたいに半透明でぶよぶよしている。単体でも強いのに群れて行動することが多くて、しかも切断系の攻撃がとにかく効きづらい。今の俺のレベルじゃとても敵わないね」
「でも、このままだと私達と衝突しますよ?」
「そのために行商団と同行してるんじゃないか」
俺は馬車の先頭にいる、この行商団の長ローダンの方を示した。彼は迫りくるトカゲの群れを見据えて、自分の背丈ほどもある巨大なハンマーを構えていた。
「あの人、戦う気なんですか?」
ミラが心配そうに言った。
「だいじょうぶ。ローダンさんめちゃくちゃ強いから」
「そうなのですか?」
「調子がいいときは一人で全滅させられるんじゃないかってくらい強いよ。遠距離攻撃と回復の援護があればさらに安定する」
ローダン自身のパラメータも高いのだが、彼が装備している武器が打撃系のハンマー+雷属性で、水トカゲに対してべらぼうに相性が良い。完全にこのイベントのために用意されたお助けキャラみたいなもので、素直に頼るのが攻略の近道だ。……まれに、運が悪くてすぐ死ぬこともあるけど。
一行は馬車を止めた。
モンスターの群れとの衝突に備え、戦える者が前に出て戦陣を構えた。ローダンを筆頭に、近接武器を扱うものが壁を作り、弓や魔法を使えるものが後方に控える。
近づかれる前に遠距離攻撃で敵の数を減らし、生き残って向かってきたやつを近接で叩く戦法だ。
「俺達も参戦するぞ」
俺は弓を構え、後方の遠距離部隊の中に混じった。
「私は皆さんの傷を癒せるように、前の方にいたほうが良いのではないでしょうか」
俺のすぐ後ろに待機しているミラが、小声で聞いてきた。
「ミラは俺の専属ヒーラーだからここで良い」
「そ、そうですか」
ミラは本当にそれで良いのかと少し訝しげな表情をしたが、それ以上は何も言わず静かに待機を続けた。
確かにこの行商団は回復が貧弱で、バフ役兼ヒーラーの僧侶が一人いるだけなので、全員生存させようとするとプレイヤーとミラの二入が完全にヒーラーとして立ち回らなければならない。しかし今回は団長のローダンさえ生き残っていればいいし、そもそも俺は低レベル過ぎて回復も近接も大したことはできないので、おまけ程度に弓でチクチク攻撃するだけだ。
水トカゲの群れが射程圏内まで近づくと、射手達が一斉に攻撃を開始した。矢が敵の塊に降り注ぎ、確実にダメージを与える。少し遅れて、今度は魔法部隊が攻撃を開始した。水トカゲに相性の良い雷魔法を中心に、デバフを交えて敵の戦力を削る。そして俺はその様子を注視した。
「あの、皆様もう攻撃を始めていますが……ハルキ様は何をしているのですか?」
「ダメージ計算」
ミラの質問に俺はそっけなく答えたが、これはかなり集中力を要する作業なので仕方ないのだ。
今の俺が弓矢で与えられるダメージはごくわずかで、これで水トカゲを倒すなんてとてもできない。だからHPギリギリで生き残った敵だけを攻撃して、確実に敵を殺す必要がある。というのも、このゲームでは自分の攻撃でトドメをささないと経験値を得られないからだ。
弓が当たったときと魔法が当たったときのエフェクトは微妙に違うから、水トカゲの体に注目していれば遠くからでもどっちの攻撃があたったか判別できる。あとはトカゲの体力とダメージの回数から残りのHPを計算して、殺せそうなやつを弓で射てばいい。もちろん全部が上手くいくわけじゃないが、ここでレベルを少しでもあげておくとこの後がかなり楽になるから、なるべく頑張りたいところだ。
「右端弓1、2、魔法全体、左弓1、右弓3、右半雷……」
「ハルキ様が真剣な表情で呪文のような何かをつぶやいています。声をかけづらいです……」
互いの前線は既に衝突しており、ローダンがハンマーを振り回してトカゲ共を叩き潰す音が響いている。他の者も善戦しており、何人か負傷した味方モブがいるものの、全体的に見て戦況は好調だ。
前線のごたごたをNPC達に任せ、俺は着々と弱った水トカゲを射止めていった。自分と敵のレベル差が大きいこともあって、少し倒しただけでも結構な経験値になる。
ローダンが最後のトカゲを叩き潰し、獲物を高く掲げて勝鬨を上げた。
「モンスターを全て蹴散らしたぞ! 俺たちの勝利だ!」
結局、行商団が敵モンスターを全滅させるまでの間、前線が崩れるようなことはなく、俺は終始自分のレベル上げに集中することができた。このエリアの本来の適正レベルには及ばないものの、不慮の事故死を防げる程度には成長できたといえる。
「やりましたねハルキ様。これで先に進めますよ!」
勝利の余韻に浸るミラと行商団を尻目に、俺はそそくさと近場のドロップアイテムを物色する。水トカゲが落としたアイテムだけでなく、戦死した味方モブの遺品もしっかりと漁り、回復ポットやいくつかの換金アイテムを回収した。RTA走者たるもの、利用できるものは徹底的に使い切る。
ローダンの指示の下、行商団はすぐに出発の準備を進め、死んでいった仲間の弔いもそこそこに、一行は再び西を目指して馬車を走らせた。
「いいペースだな。次の目的地についたらレベリングをするつもりだけど、いつもより早く済むかもしれない」
先ほどと同じように荷馬車に揺られながら、俺は今後のプランを練っていた。この世界に来る直前、俺はこのゲームのRTAをやっていたわけだが、その時のプレイではこのレベル上げに時間をかけすぎてしまったのだ。前回の反省を踏まえ、次のチャートを微調整していくことがRTAの記録を伸ばすうえで重要なポイントだ。ここは念入りに作戦を立てて起きたい。
……本当ならプレイしながらじゃなく、ゆっくり落ち着いた状態で考えるべきなんだけど……まさか自分自身がゲームのキャラとして実際に走り回ることになるとは。
岩がちな赤土の道を進み、次第に傾斜がきつくなり始め、一行は切り立った崖の道を川に沿って上流へと進んでいった。行路はさらに細くなり、馬車が一台ようやく通れるくらいの幅になると、行商団は1列になって進むことになった。近くに川が流れているものの空気は乾燥しきっており、前を行く馬車馬が地面を蹴るたびに土埃が舞い上がる。
「ふう、このあたりは空気が乾燥しているんですね。さっきの水トカゲは、水分たっぷりに見えましたが」
「あいつらほぼ海水だから、飲めないぞ」
「飲みませんよ! ちょっと喉が乾いただけです」
ミラはふくれっ面をして、革袋から一口水を飲んだ。それから少し考えた様子で、
「……あのトカゲ、海の生き物なんですか? この山を超えて、もっと西まで行かないと海はないですよね」
「あいつらは、本当はもっと西の、海沿いのモンスターなんだよ。あの辺ではモンスターの技術格差が進んでてさ、下級モンスターの中には住処を追われたりするのもいて、生息分布が乱れてるんだ」
「ぎじゅつかくさ、ですか?」
この世界ではおよそ聞き慣れないであろう言葉に、ミラが聞き返す。
「イカとかタコの頭足類って頭が良くてね、人類の比じゃないテクノロジーを持ってるんだよ。下級生物の身体をパッチワークしてキメラを作ったり、脳を改造して電波で操れる軍隊にしてみたり、卵から養殖して遺伝形質を弄られたり」
「よくわかりませんが、なにか悪魔的な所業が行われれていることはわかりました」
「ほんと、悪魔みたいなもんだ。奴ら、人間なんて実験体としか思ってないから、近くの町から何人も攫って、見るも無残な、まー酷いことやってるよ」
「あう、それはあまり聞きたくなかったです」
「でも、これからそこに向かうんだぞ?」
「な、なぜですか」
「そりゃあその悪魔みたいなイカタコを討伐しなくちゃいけないからね」
俺たちが今向かっている西の地域にもダンジョンがあって、そこの大ボスが件の頭足類コンビなのだ。ミラに説明したように残虐非道なマッドサイエンティストで、ゲーム内屈指の大悪党として名を馳せている。明らかにこのゲームの世界観とはかけ離れたオーバーテクノロジーを持ってるんで、前の世界ではいろんな考察が飛び交ったりもした。実は未来から来ただとか、異世界の存在だとか、BADエンドの主人公の成れの果てだとか……。
まあとにかく、これからの当面の目的は、このボスを倒すために色々と準備をすることだ。
「……ハルキ様って、本当にこの世界を助けてくれるつもりなんですね」
「最初からそう言ってるだろ」
「ふふ、そうでした」
ミラは何故か楽しそうに笑って、それから俺をじっと見た。
「頼りにしてます」
「……まあ、俺は好きでやってるだけだから」
どんなにシナリオが壮大になっても、誰かを救っても、殺しても、泣いても、笑っても、結局のところ俺はゲームをやってるだけなんだよな。……でも、どうなんだろう。ここまで現実と同じようにこの世界に生きてしまったら、もうただのゲームとして割り切ることはできない気がする……。
……いや、やめよう。
俺はもう既に、ゲームでなければ許されないことをやってきてるし、これからもそれが必要になる。
引き返す気はない。これからも迷わず進む。クリアするまで。最速で。