五.この混沌の時代に、無職であることは許されなかった
「お前が噂の冒険者か。いつか来るだろうとは思っていたが、なるほど、話で聞いた印象よりずいぶん若く見えるな」
屋根をすり抜けて家の中に不法侵入すると、家主が俺に向かって喋り始めた。かなり年配の男性だが、かつては魔導書の秘密を探り各地で活躍した英雄で、今でもその頃の面影を残した鋭い顔つきをしている。
家に入るとこのようにすぐイベントが始まるのだが、本来ここに入れるようになるのはシナリオ終盤だ。そのためこの家主は俺が冒険者として各地で活躍してきたという前提で会話をしてくる。
「この家ではまず、ツボを割ってドーピングアイテムを入手する」
俺は家主の話そっちのけで家を荒らし始める。こいつの話はすべて終わらないとイベントが進行しないので、どうしても待ち時間が生じる。だったら家の中をあされるだけあさってアイテムを回収しないともったいない。
「魔導書を求めてここを訪ねてきたのだろうが、あいにく、私はもうあの薄汚い負の遺産に関わるつもりはない」
「お、タンスに良いブーツが入ってるじゃないか。履き替えておこう」
「ハルキ様、話を聞いてあげてください」
残念ながら、この家主の話をまともに聞く走者は一人もいないだろう。話は長いし、スキップできないし、一度訪れたら後のイベントにも関わらないので、この家のことはちょっといいものがある宝物庫くらいにしか思われていない。俺は奥の部屋に入って木箱を漁る。
「私が解読を進めた燐装飾の魔導書は、その成果を全て弟子に託してある。彼の協力を得るために私が一筆書くくらい構わないが、彼がお前のことを認めるかどうかは別問題だ」
「あー自然治癒+の髪飾りがあるねえこれはうまい。ミラ、これ付けとき」
「あ、ありがとうございます……。あの、話を……」
「なるべくなら、私は人と会わずひっそりと余生を過ごしたいのだ。この手紙を受け取ったら速やかにここを出ていって、私のことは他言しないでほしい」
「う~ん。今回の宝物庫はなかなか当たりだったな」
「ハルキ様、まだ間に合いますからどうか人の道に戻ってきてください」
家主の話が終わると、俺はすぐさま家主の手から手紙を奪い取り、そのままワープの魔法で街の入口に飛んだ。
「よし、これでこの街でやることは大体済んだ」
俺はミラを連れて、今度は街の外壁を沿うように西へ進んだ。
「急に魔法で場所を変えられると、ちょっとびっくりします」
ミラがやや不満げにつぶやいた。
「そのうち慣れるよ。それより、これから戦闘があるから気合い入れてくぞ」
ラコンの街の西側、起伏の激しい荒れた土地の中に、交易の要となっている馬車道が縫うように伸びている。この道をずっと辿っていくと西側の各所に行けるのだが、途中の岩石地帯に魔物が巣食っていて、今は交易が途絶えている。ラコンの街の道具屋が困っていたのはこのためだ。
「この辺は岩石のせいで道が入り組んでて走りづらいんだ。引っかからないように気をつけて」
巨大な岩の合間を進みながら、俺は後方のミラに声をかける。
「どうしてそんなに道の端っこを走るのですか? 真ん中を通ればいいのに」
「ルートを最適化するとこうなるんだ」
「謎です。ハルキ様の言うことはいつも謎に満ちています」
ミラが軽くぼやき始めたが、彼女はしっかり俺に続いて道の端を走っている。
「お、そんなことより魔物が出たぞ。ここは全滅させないと次のイベントが発生しない。全員ぶっ殺すぞ」
俺は剣を構えて、周囲の湧きポイント(敵が出現する場所)に目を走らせた。
ここに出てくるのはインプという下級の悪魔だ。本来は臆病な性格で人間の前には姿を表さないのだが、裂け目の影響で好戦的になっている。という設定だ。
この敵は序盤の戦闘イベントとして用意されているので、かなり弱めに設定されている。それでなくても、街で強めの装備を揃えたRTA走者の敵ではない。
俺たちの周りを、小悪魔が取り囲んだ。
「俺はノーガードで突っ込むから、回復は頼んだ」
俺はミラにそう告げると、近場のインプめがけて切りかかった。山賊から良い剣を奪っておいたおかげで、一撃で倒せる。こういう細かな時短の積み重ねが重要なんだねえ。ざしゅっ。ざしゅっ。
「ああ、ハルキ様がお怪我を! 回復! 回復!」
一体一体は弱いものの、数が多いせいで背後から攻撃を食らうことが多い。そういった細かなダメージを消費無しで回復してくれるので、ミラは欠かせないのだ。
生傷の量産と高速治療を繰り返しながら、俺は周りのインプ共を蹴散らした。
「ほい、討伐完了」
「……はあ、ふう、疲れました……」
回復魔法を唱えっぱなしだったミラが、杖で身体を支えながら息を切らしている。
「ありがとう、ミラ。今後もこういうゴリ押しが続くから、よろしくね」
「もう少し、自分の身体を大事にしてください……」
インプを全滅させると、最後に倒したインプがアイテムを落とす。俺はすぐさまそれを拾い上げた。
「おや、ハルキ様。その小包はなんですか?」
「これはインプに襲われた行商人の荷物だよ。これから持ち主に返しに行く」
「!? ハルキ様が善行を……!?」
「俺をなんだと思ってるんだ」
「あ、すみません。今までの行いからして、てっきりそのまま私物化するのかと」
「盗むこともできるけど、ただの小ポーションだから普通に買えるんだよね。それよりこれを持ち主に渡すと、お礼に馬車で西まで運んでもらえるから、そっちのほうが恩恵が遥かに大きい。というか、今のインプ討伐はそれが目当てだ」
「……そうですか。……そう、ですか……」
何故か悲しそうな表情をしているミラを尻目に、俺は岩場の道を更に進んだ。
少し長めの、あまり代わり映えしない道中が続く。俺たちは黙々と走り続けて、西の空に日が沈みかけた頃、目的の町に辿り着いた。日が見えるうちにここに着くのはかなり順調なペースだ。
「ここに、さっきの荷物の持ち主がいるんだ」
俺はミラに説明した。町と言ってもかなり小さく、いくつかの宿場と小さな店が集まっただけの簡素な場所だ。住民も少なく、ここにいる人のほとんどは旅人や行商人で、その多くは一息入れるために一時的に立ち寄っているだけだ。
俺はインプから取り返した荷物を片手に、町中へ走って行く。この荷物の持ち主はラコンの町に向かうところをインプに襲われ、荷物を奪われ、この町まで逃げてきたのだがどうにもならず、ひとり途方に暮れている。
「やあ、客だぞ」
俺は件の行商人に雑に話しかけた。彼は背の高い痩せ型の青年で、辺りをキョロキョロ見回したり、手をちょこまかと動かし続けたり、なんとも頼りなさそうな雰囲気を醸し出している。それでも彼は行商人らしく、立派な馬と荷馬車を所有していて、各地を回っていると思わしきそれなりの装備を携えていた。
俺に話しかけられた商人は、驚いた様子で応えた。
「あ、あ、どうも、あ、すいません。今、その、品物を切らしてしまっていて……」
「これだろ? 取り返してきたよ」
俺は荷物を彼に手渡してやった。
「え、あの、これは、……私の商品? あのインプ共から取り返してくれたんですか! ああ、なんとお礼を言えばいいのか!」
行商人の青年は荷物を受け取ると、心底喜んでいる様子で小躍りした。
「役に立てたようで何よりだ。ところで、俺たちは西に行きたいんだが」
俺としては彼のややオーバーなリアクションには特に興味もないので、さっさとこちらの要求を告げる。
「西、ですか。本当なら荷物を取り返していただいたお礼に、馬車で連れて行って差し上げたいところですが、僕はラコンの町へ向かうところですので、逆方向なんですよ」
青年は少し考えてから、何かを閃いた様子で言葉を続けた。
「そうだ。私がお世話になっていた行商団の方が、ちょうど西へ向かうところだったはずです。私が話を付けて、あなた達を一緒に連れて行ってもらえるよう頼んできますよ」
「助かる」
「いえ、いいんですよ。荷物に比べたら大したことじゃないですから。出発は明日の朝だったはずですので、今日は宿場で休んで、明日の朝、行商人のローダンという男を訪ねてください。経緯は私が説明しておきますので」
よし、これで西へ向かうのが楽になる。俺たちは行商人の男に別れを告げると、近くの宿場へ向かった。
本走のチャートとしてはここで初の宿利用となる。通常のプレイであれば体力や魔力などが回復する重要な要素だが、RTAにおいてはアイテムやイベントなどを駆使して回復してしまうので、宿を利用することは殆どない。今回にしても、宿に泊まる目的は回復ではなく、ゲーム内時間を明日の朝まで進めることだ。
テントのような簡易的な店が多いなか、宿場だけは屋根付きのしっかりとした木組みの建築物で、多くの旅人を泊められるように細かく部屋が別れている。
俺たちは宿場に入って受付でお金を払い、部屋の鍵を預かった。宿は2階建てで、1階の真ん中は焚き火を中心に添えたロビーのような共用空間になっており、他の宿泊客たちで賑わっている。1階の奥側と、2階の殆どが宿泊用の部屋になっていて、俺達にあてがわれたのは2階の角部屋だった。
「今日はここに泊まるのですね。こういう宿屋さんは初めてなので少しドキドキします」
部屋に入るなり、ミラが少しはしゃいだ様子でそんな事を言った。
宿と言っても大したものはなく、狭い部屋に簡素な寝具と、せいぜいランプが壁に吊るされている程度だ。当然食事や風呂などもなく、近くの川から宿の裏まで用水路を引いているから、必要に応じて各自そこから水を汲み、身体を拭いたり顔を洗ったりする仕組みになっている。
「まあ、ここでやることは特にないから、さっさと寝て明日の朝まで時間を飛ばすぞ」
食事だの風呂だのといった生活的な部分は、設定として補完されてるだけで、別にシステムとして導入されてるわけではない。
実際、ゲーム内においては寝具で休憩を選ぶとすぐに画面が暗転し、そのまま朝を迎えることになる。
俺は原作に準拠し、すぐさま寝具に身体を横たえて、そのまま眠りについた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜中、俺は目を覚ました。
辺りは真っ暗で、ほとんど何も見えない。ぼんやりした頭のまま体を起こすと、薄手の毛布がめくれ落ちた。すぐ隣からはミラの寝息が聞こえてくる。
そうか、寝具が一つしかないのにどうやって二人で寝てるのか疑問だったけど、普通に一緒に寝てたのか。いや、そんなことより、どうして俺は目を覚ましたんだ?
一瞬、夢でも見てるのかと思ったが、そもそも今までの状況が夢みたいなもので、むしろ夢から覚めたのではないかと考えたが、隣にミラがいる以上、やっぱりここはゲームの中のままなのだろう。
少しずつ思考がはっきりしだし、俺は今の状況の奇妙さに気づき始めた。宿屋に泊まり、朝を迎える前に目を覚ます。そんなイベントはこのゲームに存在しないはずだ。だとすると、"今"俺が見ているこの時間は、なんだ? 本来であれば朝までスキップされるはずの時間。ゲームとしては存在しないはずの時間……。
ゲーム内の演出としてカットされているだけで、実際にはこういった隙間の時間が存在している? ゲームをプレイする側が意識していないだけで、ゲーム内の存在にとっては、当然この世界の時間というのは連続的なものであろうから、こういう合間の時間を知覚できてもおかしくない……のか?
考えてわかるはずもなく、俺は諦めてもう一度横になり、そのまま眠ろうとした。答えが出ないことに悩んだって、時間の無駄だもんな。理屈が通ろうが通るまいが、俺はあるがままのこの世界を受け入れるだけだ。
再び意識が薄らいでいった時、今度は物音が聞こえた。部屋の入口とは反対側の壁に、四角い木の板が貼られた場所があり、そこからコンコンと音がなっている。 この板は内側に少しだけ開くようになっていて、窓の役目をしているものだ。
窓の外から、誰かが叩いている? でも、ここは2階だぞ。
俺はミラを起こさないようにこっそり寝具から抜け出して、窓の方に歩み寄った。
「誰かいるのか?」
小声で俺は問いかけた。
ノックの音が止まり、つかの間の沈黙の後、外から答えが帰ってきた。
「窓を開けて」
女の声だった。
こんな夜中に2階の窓を外から叩く女だなんて、どこかの怪談にでも出てきそうな状況だが、不思議なことに、俺は女の声を聞いて少しほっとしたような気持ちになった。
「君は誰だ?」
「お願い、窓を開けて」
「なぜ?」
「渡したいものがあるの。急いで、時間がないわ」
有無を言わさぬ調子で女は畳み掛ける。
「ちゃんと説明してくれ。納得のできないことはしない質なんだ」
壁を挟んで向こう側、姿の見えない女に対して問いただす。警戒している、というわけではない。ただ、この女は何か重大なことを知っている気がする。俺のゲーマーとしての勘がそう囁いているのだ。
女は考えているのか、少し間があって、それから答えが返ってきた。
「あなた、外の世界から来た人でしょ?」
「そうだ。なぜ知っている?」
「"この時間"に活動しているからよ。"今"は、この世界に存在しないはずの空白の時間。この世界に元から生きている者は、決して空白の時間を認識することはできないの」
「なら君も、外の世界から来たのか」
「その話は後、それより今、この世界には深刻な危機が訪れているわ」
女の声は緊迫したもので、しかし淡々とかつ明瞭に、俺に重大なことを伝えようという意思が見て取れた。
「それを救うために俺は走り回っているんだ」
「シナリオの話じゃないわ! あなたがこの世界に呼び出されてしまったことがそもそもおかしいのよ。この世界は本来、用意された出来事を延々と繰り返すだけの閉ざされた世界。それなのに、あなたのような外からの介在が生じてしまった」
閉ざされた世界というのは、ゲームのことを指しているのだろうか。疑問を口にするまもなく、彼女は一気にまくし立てた。
「今はまだ既存の展開をなぞっているけど、あなたの行動次第では、この先何が起こるかわからないわ。世界崩壊のシナリオより、もっと悲惨なバッドエンドに向かってしまうかもしれない。だからなるべく早く、あなたには元の世界に戻って欲しいの。方法はわかってるでしょ。クリアすればいいのよ! それも、なるべく早くね!」
……このゲームをクリアしろって? それもなるはやで?
「そんなのとっくにやってるよ」
「そうみたいね。だからこれを渡しておくわ。窓を開けてちょうだい」
俺は木の板を手前に引いて窓を開けた。この板は上側を軸にしてほんの少しだけ回転する構造になっており、限界まで開いても手が通るくらいの隙間しかできず、相変わらず彼女の姿は見えない。
「これ以上開かないらしい」
「十分よ」
女は窓の隙間から、銀色に光る丸いものを垂らした。
それは懐中時計だった。
俺は時計を受け取ると、その古めかしい見た目に反して、デジタル表記のタイマーが表示されていることに気づいた。
「なんだこれは」
返事はなかった。
慌てて聞き耳を立てたが、窓の向こうにすでに彼女の気配はない。
「なんなんだ、一体」
俺は受け取った時計を眺めた。タイマーは止まったまま動かず、ボタンのようなものも見当たらない。薄暗い部屋の中で、薄緑のデジタル数字が弱々しく光っている。
はて、このタイマー、どこかで見たような。
なんとか思い出そうとしたものの叶わず、時計をくれた張本人もいないのでどうにもならず、結局俺はまた寝具に戻り、眠ることにした。
次の日の朝、俺が目覚めると、タイマーが動き始めた。
その瞬間俺は気づいた。これは、俺が元の世界でRTAを走っていたときのタイマーだ。表示されている時間は、おそらく、今現在の、俺の……記録……?