二.僕にこの子を汚せというのか
最初の町『オーパス』に足を踏み入れると、RPGによく見られる中世ファンタジー風の家々や人々の生活が確かなディティールで俺の目に飛び込み、自分がゲームの世界に入り込んだのだと改めて実感した。本来ならもっとじっくり探索して町の雰囲気を堪能したいところだが、俺は既に最初の目的地に向かって走り出している。
町の北端にある小さな教会にやってきた俺は、正門を無視して裏手に回り、庭の手入れをしている女性に声をかけた。彼女の名前はミラ。おっとりしたシスターで、このゲーム(ARfA)における最初のフォロワー、つまり仲間にできるキャラクターだ。
「あら、初めまして。旅の方でしょうか?」
俺に気づいた彼女は作業を中断しこちらを向いた。ミラはこのゲームにおけるメインヒロイン的な立ち位置であり、当然、容姿も端麗だ。素朴な修道服に身を包みながらも女性らしさを備えたスタイルで、瑞々しいブロンドヘアーとクリっとした瞳がとても可愛らしい。そんな彼女に面と向かって話すことになり思わずどきりとしたが、俺はぐっとこらえてセリフを送った。
「旅ではないんだけど、訳あってすごく急いでいるんだ。とりあえずついてきてくれ」
「え? あ、ちょっと……!?」
俺は彼女の手を引いて教会の敷地から連れ出し、そのまま再び町中へ走り出した。どうせストーリーは全部知ってるんだ。会話なんて全部スキップじゃい。
「あ、あの、困ります! 私……」
「教会の資金繰りが上手くいってなくて、領主に売り飛ばされそうなんだろ?」
「……! どうしてそれを?」
「そりゃ知ってるさ。領主をとっちめて、君を自由にすることがこの町の必須イベントなんだからな。まあ、安心してくれ。俺が最速で助けてやる」
俺たちは町の中心にある広場を越えて、道具屋がある十字路を東へ曲がった。
「ええと、お尋ねしたいことはいろいろとあるのですが……とりあえず、なぜ貴方は、『斜め』に走っているのですか?」
「これは√2走法だ」
「るーとに……?」
ああ、当たり前のように斜め走りをしていたけど、知らない人もいるよね。
「多くのゲームではプレイヤーの移動速度を直交座標系で表現していて、その前後方向と左右方向はそれぞれ独立してるんだ。例えば、↑キーを押すと前方向に速度が1加算されて、←キーを押すと左方向に速度が1加算される。ここで↑と←を同時に押すと、前と左の両方向に速度が1加算され、プレイヤーはそのベクトルの和、つまり左斜め前方向に√2の速度を持つことになる。これにより、斜めに走るだけで通常の約1.4倍の速度で移動することができるんだ」
「??????????」
俺の解説もむなしく、ミラの頭には大量の?マークが浮かんでいる。
……まあ、いい。とにかく移動の際は、特に断りがなければ俺は斜めに走っている。
ちなみに、どんなに早く移動してもフォロワーははぐれたりせず、きちんと追いついてくる。
「はあ、はあ……。こんなところまで来て、一体何をするおつもりですか?」
斜め走りの俺に難なくついてきたミラ(彼女は普通に走っている)が、息を弾ませながら聞いてきた。
町を東に抜けると小さな森があり、俺たちはその入口に立っている。ここは町の領主であるガーレンの所有地で、ゲーム内ではそのまま『領主の森』と呼ばれている。要は最初のダンジョンだ。
「この森でやることは、①入り口の憲兵を無理やり突破 ②宝箱からお金を回収 ③最深部で領主をぶっ殺す」
「ああ神よ。迷いなく罪を3つも重ねようとする哀れな青年をお救いください」
「お前も共犯になるんだよ!」
「た、助けて!」
俺は嫌がるミラを無理やり引き連れて、森を守る2人の憲兵に近づいた。彼らは道を塞ぐように並んで立っており、本来であれば先に町を探索し然るべきフラグを立てなければどいてくれない。
しかしフォロワーであるミラの当たり判定を利用し隙間にめり込むことで、憲兵を無理やりすり抜けることができる。ミラを連れてここまで直行したのはそのためだ。何も知らない彼女に協力させるのは酷だが、記録のためなら仕方がない。
「ミラ、こっちに来てくれ。左の憲兵と道の間に身体をねじ込むんだ。ほら、もっとくっついて。そう、その辺り、もう少し奥かな。よし、そこでオーケー、じゃあ、しゃがんでくれ」
「あの、これは一体なにを」
壁の判定と憲兵の間にミラを置き、しゃがませる。そして俺はミラを飛び越えるようにジャンプした。
「きゃあ! 痛い! 重いです!」
「耐えるんだミラ。君の上にジャンプで乗ることで、落下した俺の身体が君の当たり判定に押され憲兵にめり込む」
「うう~~~~!」
ミラのうめき声と共に俺の位置がぐりっとスライドし、身体が憲兵に重なった。
「よし! 一発で成功したぞ! ありがとう、ミラ!」
ここのすり抜けは単純な割に成功率が低く、ほとんど運ゲーなのだ。序盤ということもあり、調子が悪いとここでリセットすることもざらにある。
「へ? あ、いえ、どういたしまして……?」
困惑するミラを置きざりにして、俺は森の中へ進んでいく。
「あ、ちょっと! 私を置いてかないでください!」
「ある程度進んだらワープして付いてこれるから安心してくれ!」
「意味がわかりませーん!!」
ミラの叫びを背中で聞きながら、俺は森のマップを思い出す。基本的には最短ルートで最深部を目指すことになるが、途中で宝箱を開ける必要がある。序盤にしては大金が入っており、多少寄り道してでも回収するのが鉄板ルートだ。
また道中に出てくるザコ敵は全て無視する。ルート上にいてどうしても避けられない敵は、前転回避で脇を通り抜けることで対処可能だ。
そういった感じで森の中を走り抜け、俺は目的の宝箱にたどり着いた。
「人様のお金に手を付けるだなんて……ああお許しくださいお許しください」
いつの間にか俺に追いついてきたミラが懺悔を捧げている。宝箱に入ってるんだから別にいいじゃないかと俺は思うのだが、敬虔なシスターにとってはこれも非道徳的な行いに映るらしい。まあ、フォロワーに拒否権はないし、言われてやめるつもりもないんだけど。
「このお金は世界を救うために必要なんだ。神様もお許しになるだろう」
「どこの悪党のセリフですか!」
俺は再びミラを連れて、今度こそ森の最深部へと向かう。道中はザコ敵がたまに湧いてくるくらいで、特に謎解き的なギミックはなく、ルートさえわかっていればどうということはない。ただ、森のボスである領主との戦闘は少しキツイ。ここまで敵を全く倒していないからレベルが上がってないし、買い物もアイテム回収もしてないから装備も貧弱だ。
「よし、領主に挑む前にここで準備するぞ」
俺たちはボス手前のエリアまで辿り着いた。ここはいわゆる補給エリアで、回復ポイントやセーブポイントがあったりする。この辺りは割と親切な作りのゲームだ。
さて、準備といっても現時点でできることは限られている。普通に攻略するならこの森で集めたお金で装備を買うのだが、そのためには一度町に戻る必要があるのでタイムロスになってしまう。
そこで、フォロワーの初期装備を利用する。
このゲームの装備品は生成時にランダムで性能が決まるため、まともに集めようとするとひどい運ゲーになる。しかし仲間キャラは最初から固定の装備を持っており、しかも性能がいい。1分1秒を争うRTAにおいて、これを利用しない手はない。
「というわけで、ミラ。服を脱いでくれ」
「え? は、え!?」
俺はそそくさと自分の服を脱ぎ、そのままミラの服に手を掛ける。
「君の装備は優秀なんだ。だから俺が着る」
「ちょ、ちょっとお待ちください……、あ、あ、きゃー! きゃー! やめてぇ……!」
俺は有無を言わさずミラの装備を剥ぎとる。フォロワーキャラの持ち物は全てプレイヤーの管理になるから、彼女に拒否権は無い。
俺は修道服に身を包み、代わりにミラは下着姿になった。
「よし、領主様とご対面だ」
「ひどい……もうお嫁にいけません……」
俺は涙ぐむミラを連れてボスエリアに突入した。俺の初期装備を彼女に着せてやることもできるのだが、後で換金するから二度手間になる。許せ。タイムのためだ。
森の最深部にはわざとらしく開けた空間があり、その中心にオーパスの町の領主、ガーレンが立っている。
「くっくっく、まさか君のような浮浪者に勘付かれるとはね。でも、この場所を知られたからには生かしておけない。ここは一つ、僕の儀式の実験台になってもらうとしよう」
このセリフはもちろん俺に向けたものだ。
途中のシナリオをすっ飛ばしてるせいで唐突に聞こえるが、とどのつまり、領主が悪いことしてるからぶっ殺せ、って話だ。
俺は残りのセリフを全てスキップし、剣を構えて領主に突っ込んだ。
「あ、あぶない!」
ミラが叫ぶのと同時に、ガーレンは俺を目掛けて大剣を振り下ろしてきた。切っ先が俺を捉える瞬間、前転する。
大剣が俺の身体を真っ二つにすり抜けた。
「きゃあ! ……あ、あれ?」
「大丈夫だ。このゲームの前転回避には数フレームの無敵時間がある。タイミングを合わせればノーダメージで突破できるんだ」
俺はミラに説明しながら体勢を整える。
そしてそのまま領主の正面に立ち、ひたすら剣で切り続けた。攻撃されたら前転でフレーム回避。
ぐしゃ。
「いてえ!!」
……たまに回避失敗するけど、ミラの修道服のおかげでダメージはさほど受けない。めちゃくちゃ痛いし血もだばだば出てるけど、ゲーム的には回復の必要もない程度だから大丈夫へーきへーき。
「おらあ! 最初のボスらしくさっさと死ねぇ!」
ある程度体力を削ったら、回避を捨ててゴリ押しする。相手の攻撃をバンバンくらうからほぼ瀕死になるけど、このあとのイベントで全回復するから問題ない。
しばらくノーガードの切り合いを続けると、ガーレンが思い出したように悲鳴をあげた。
「ぐうおおおおおおぉぉぉっっっ!」
「はあ、はあ、よし、ようやく倒したか」
1分に満たない戦闘だが、実際に剣を振るって(しかも切られて)戦うとかなりしんどい。RPG主人公の偉大さをこんなところで思い知ることになるとは。
「か、勝ったのですか?」
ミラが恐る恐る尋ねてくる。
「ああ、あとはこいつの死体から魔導書を奪い取るだけだ」
ガーレンという男は田舎の冴えない領主なのだが、古代の魔導書を手に入れたことにより力をつけ、様々な悪事を働いていた。という設定だ。俺は死体の持ち物を漁り、古びた分厚い本を拾い上げた。
「魔導書……? なぜ領主様がそのようなものを?」
「これがラスボスに挑むために必要になるんだよ」
「ラスボス……?」
この世界の各地には空間を切り裂いたような『裂け目』がいくつも存在しているのだが、それがこの魔道書の力によって生み出されている。全部で五冊ある魔道書をすべて集め、ラスボスに繋がる裂け目を開く、というのがこのゲームの大まかな目的だ。
俺は手にした魔道書をぱらぱらとめくってみた。が、さっぱり読めない。古代の文字で書かれているという設定だから、仕方ないな。
「この魔導書は太古の魔導師が書いたもので、強力な魔法とか薬とか、危ない情報が色々載ってるらしい」
書かれてる文字はわからないが、、ゲーム知識として、内容がどんなものかは知っている。
「読めるのですか?」
「読めないよ。読む必要もないし」
「え……?」
イベント専用のアイテムだから、自分で使うことはない。とりあえず所持してるだけでオーケーだ。ミラはさっぱりわからんという顔で困惑しているが。
「とりあえず、帰るか」
「ああ、おいて行かないでください」
俺たちは町へと向かった。