一.1000回走れるRTA
「やはり、行ってしまわれるのですね」
大気が震え、大地が唸り、空間を彩るテクスチャーがバラバラと剥がれ落ちていく。
今まさに生まれ変わろうとしている世界。その中心は、男と女の二人だけだった。
「貴方がいなければ、この世界はきっと、滅びの運命を辿ることになっていたでしょう」
女性はその美しい瞳を寂しげに伏せて、男の背中に言葉を続けた。
「……この世界に、留まる気はありませんか?」
意を決して彼女は問いかける。
大切な人と離れたくない。
その一心で、彼女は初めて想いを告げた。
「私と一緒に、もう一度、この新しい世界を……、生きてくれませんか?」
絞り出すような訴え。しかし、男は振り向きもせず歩みを進める。
「……そう、ですよね……そのためにここまで来たのですものね」
追いかけることはせず、彼女はただ、征くべき道を進む男を見送る。
「少し……いいえ、とても寂しいですけれど……」
その声は既に、男には届いていない。
「あなたと一緒にこの世界を旅できたこと、私、絶対に忘れません」
まばゆい光が辺りを包み、男のシルエットだけが画面に映る。メインテーマの大サビがフェードインで流れ始め、同時にカメラが男のシルエットに近づいた。画面が黒で埋まり、スタッフロール。
そしてタイトルコール。
最終入力と同時にタイマーストップ。
”Welcome back to your 『ARfA WORLD !』”
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あ~! 駄目だった~!」
俺は思いっきり椅子に寄りかかり、一つ大きくため息をついて、モニターに映るチャット欄を眺めた。
『また駄目だったね』『どんまい』『これって自己ベスト?』『1位と10分差か』『いやこの記録は十分すごいぞ』『おつかれー』……
俺はネットの動画配信機能を利用して、RTA、つまりゲームのタイムアタックに挑戦するプレイ動画を生放送で流していたのだ。
今回の記録はかなり良かった。実際、自己ベストも更新してる。だけど俺は全く喜ぶ気になれない。理由は至極単純で、1位に及ばなかったからだ。
「はー、やっぱり一位の壁は高いなあ」
俺が走っているのは『ARfA』という名前のアクションRPGで、ちょっと古いゲームだが独特のシステムとリプレイ性の高さで根強い人気があり、最近になって大きなバグ技が発見されたこともあって、RTA界隈がかなり盛り上がっているタイトルだ。
基本的にはオフラインで遊べるゲームなのだが、スコアボード機能が用意されていて、クリアタイムを投稿することができる。一応、俺も今回の記録を投稿した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
[Awakened Rift from Avaritia : Scoreboard]
Rank Player Time
1st Jun XX:YY
2nd Haruki XX:YZ
3rd
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・
・
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『Haruki』が俺のプレイヤー名だ。結果はご覧の通りの2位。かなり長いことこのゲームをプレイしてるけど、一度も1位になったことがない。いやまあ2位でも十分すごいはずなんだけど、せっかくここまで来たんだから1位を取ってみたいもんだ。
ちなみに現行1位がどういう人なのかは全く知らない。かなり初期から1位に居座ってるから、たぶん相当古参のガチ勢だと思う。廃人かな。
『今日はまだ続けるの?』
配信の視聴者からコメントが来た。
今日は朝からずっとRTA配信を続けていて、リセット連発したり休憩挟んだり雑談したりで、もうすっかり夜中になってしまった。
「今回の配信は……まー、一応あとでアーカイブに上げるかも。とりあえず今日の配信はこれで終わります。見てくれた皆さんありがとうございましたー。また次回があれば見ていってください。さようならー」
俺は配信を終了し、もう一度椅子に寄りかかる。
……1日配信は流石に疲れたな。もうこのまま寝るか。いや、腹が減ったな。そうか、変な時間に休憩したから今日は二食分しか食べてないんだっけ。
「よし、コンビニでなんか買うか」
……生放送の名残で、どうでもいい独り言を口走ってしまった。まあ、いいや。気兼ねない男の一人暮らし。誰に聞かれるわけでもなし。
俺は財布とスマホだけ持って家を出た。
街灯の少ない暗い夜道を歩きながら、俺は今日の自分のプレイングを振り返る。
何度か大きなミスがあってリセットする場面もあったけど、最後の走りに関してはかなり良かったんだよな。序盤の運ゲーも調子よく突破したし、迷宮の壁抜けが三回目で成功したのはかなり早い部類だった。強いて悪いところを上げるとしたら……なんだろう、ああそうだ、途中の稼ぎがちょっと長すぎたんだった。でもあれは結果的に無駄になったけど、回復アイテムの消費量次第ではあれぐらい必要になるんだよな。もっと攻めたチャートを組まなきゃ駄目か? でもこれ以上切り詰めるとリセット数が倍増するだろうし……。結局、もっとプレイスキル磨けって話になるか。
俺は頭の中でイメージトレーニングを始めた。ゲームを起動し、タイトル画面で「NEW GAME」を選択すると同時にタイマースタート。このゲーム唯一のムービーシーンであるOPが始まる。何故か飛ばせないところがRTA的には不便だが、昨今の映像至上主義ゲーム群に比べたら割と短いOPだ。もう何度も見たせいで、脳内で細部まで再現できる。
……暗闇の中を男が歩いている。どこか物憂つげで、考え込んでいるようにも見えるその男は、しかし足取りは確かで、BGMのドラムンベースと歩調があっているのが少し滑稽だ。男が顔を上げると、そこには広大な世界が広がっている。緑の広がる牧草地、荒れ果てた渓谷、猛々しい波が打ち寄せる海岸、はるか水平線の先にはドラゴンのシルエットが飛び交い、街の人々は時に豊かに、時に厳しい自然に苛まれながら、確かにそこに生きていた。
しかし突如として平穏が脅かされる。大地が轟き、空が裂け、そこには認識できない外来的な悪意が顔を覗かせていた。人々はこの世に生を受けてから今に至るまで常に聞こえ続けていた祝福の歌が途絶えたことに気づく。
世界が絶望に沈む中、とある教団の一派が、人里離れた山奥で恐ろしい儀式を執り行っていた。地面に原始の文字で魔法陣を描き、周囲にいくつかの古びた立石を置く。漆黒のローブを纏い、分厚い教本を手にした男が合図を出すと、集まっていた教徒たちは一斉に自らの手に短剣を突き刺し、流れ出す血を天に捧げ、祈りを唱えた。
男は裂け目に飛び込んだ。男の身体は宙に舞い、原始の世界へと落ちていく。
彼の落下する先には光が溢れている。彼の視界は次第に光で埋め尽くされ、そのまま画面がホワイトアウトしてビビーーーーーーーとけたたましいクラクションの音が鳴る。あれ、クラクション? なんだこれ?
顔を上げると、正面から巨大な光が迫ってきていた。え、なんだ、あれは、俺はどこを歩いているんだ、あれはトラック? 俺が見えてないのか、いや、クラクションが鳴ってるんだから気づいてはいるはずだ。つまり俺がぼんやりして道路のド真ん中を歩いてたもんだからトラックと正面衝突しそうになってて向こうもこっちに気づくのが遅れたのか慌ててブレーキを踏んだけど間に合わないあれこれって轢かれるてか死ぬんじゃねヘッドライトの光で視界が真っ白
「あれ?」
気がつくと俺は倒れていた。なんだ? たしか俺はトラックに轢かれそうになって……轢かれたのか?
俺は慌てて身体を起こす。轢かれて跳ね飛ばされたのかと思ったが、身体はどこも痛くないし、道路じゃなくて地面の上に倒れていたみたいだし、そもそも周りの景色がおかしい。
辺りの地面には読めない文字で書かれた魔法陣みたいな模様がびっしり書き込まれていたが、あちこちに黒いシミのようなものが飛び散っていて殆ど見えなくなっている。その周りには古ぼけた立石が囲うように置いてあり、更に外側は山奥のような森が広がっていた。
空は暗く、微かな星明りに紛れて、縦に大きく、裂け目が空いている。
……見覚えがある場所。いや、何度見たかわからないぐらい慣れ親しんだ場所だ。
スタート地点。俺が散々プレイしたゲーム、『ARfA』の主人公を最初に操作することになるスタート地点、ここはその場所に驚くほど酷似している。
俺は死んだのか? ここはまるで、ゲームの中の世界だ。
俺は立ち上がって、服についた泥を払った。……初期装備だ。俺の着ている服がいつの間にかゲームの主人公の初期装備になっている!
「何がどうなってるんだ!」
ガサッ。ガサッ。
思わず叫ぶと、山森の茂みの中から何かが現れた。
『リフター』だ。……そう、俺はこいつを知っている。影のように真っ黒な生き物で、長い前足と短い後ろ足で猿のような動きをする。つまり、このゲームのチュートリアルで蹴散らすことになるザコ敵だ。
ひょこひょこと迫ってくる敵に向かって俺は剣を構える。あ、剣も持ってた。そうか、これも初期装備か……いやそれで納得していいのか? だが待て、考えてる場合じゃないぞ!
俺は全力で剣を振るい、影のザコ敵をぶった切った。ゲームと全く同じ動き、でも手に伝わる感触は紛れもない現実の感覚で、俺は自分の心臓が跳ねるように鳴っているのを感じた。
俺は魔法陣の外側を時計回りに移動し始める。チュートリアルの敵は1体目を倒すと更に何体か追加されるのだが、出現位置が固定だからこうやって動くのが1番早く倒せるのだ。
いつの間にか、いや、始めからか? とにかく俺は今まで積み重ねてきたゲームの知識をフル動員して、このチュートリアルを『攻略』し始めていた。
当然、疑問は拭えない。というか意味のわからんことだらけだ。しかし俺は急いで雑魚どもを蹴散らしている。急がねばならない気がする。なぜか? そんなの決まってる。この異常事態において、俺はゲーマー、というよりはむしろRTA走者としての精神に突き動かされていた。
リフターを全員倒すと、俺は間髪入れずに茂みに飛び込み、細い山道を駆け下りる。
もしも、ここが、本当に、あのゲームと、同じなら……、この先に、町があるはずだ。
俺は息を乱しながらひたすら走り、そしてついに森を抜けた。
目の前に、小さな町がある。
このゲームで最初に訪れることになる町。
人々は農作や交易で生計を立て、貧しいながらも活気のある暖かい町。
一度でいいからこんな世界に生きてみたいと、何度も夢想した町。
それが、ある。
心のざわつきが、一つの確信になった。
俺はゲームの世界に来たんだ。何度も冒険し、何度も救い、何度も記録を狙い、そして何度も悔しい思いをしたこの世界に。
理由はわからない。これが現実かもわからない。でもそんなことはどうでもいい。
俺がここで果たすべきたった一つの使命。
「……今度こそ、最速でこの世界を救う」
俺は確固たる決意を持って、町へと走り出した。
夢ならどうか覚めないでくれ。
俺は今、夢にまで見た世界に来てるんだから。




