表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
共産趣味批判論  作者: 平成おやじ
5/5

共産趣味者は国家社会主義者

 右辺との対談を終えた東風は、いよいよ共産趣味を完璧に批判する単著の執筆にとりかかった。


東風を取り巻く状況は大きく変わっていた。東風による思想の純粋化は共産党内でも大きなうねりとなっており、SNS上で共産趣味オタクに真っ向から自己批判を求める党員も多く出てきた。


むろん、表現の自由に対する反論がまだ確立されていなかったため、言論弾圧の何物でもなかったが、思想の純化のためには表現の自由を否定やむなしとの意見が共産党内で強まっていた。これにおける詳細は次項で説明していく。


一方、東風は別の観点から共産趣味者を別の観点から糾弾する内容を載せている。それは、共産趣味は国家社会主義者ではないかということである。東風は最終的には国家、グローバル企業の完全解体で人民共同体という国家より少し緩い組織体制による支配の確立、すなわち、無政府状態の世界の完成を目指すことが共産主義社会であるとしている。それゆえ、個人崇拝体制や官僚主義が本質であった旧共産圏は共産主義国家ではなく実はナチス・ドイツの言う民族社会主義とは異なる国家社会主義であると考えている。


共産趣味者はどうであろうか、彼らは共産主義者が用いるフレーズを好むだけでなく、共産圏諸国のプロパガンダポスター、国旗、国歌や軍歌、軍事、服装、アネクドート、指導者等を好んでいる。これらは国家があることを前提にして成り立っており、思想の内容、実現のための方策これらについて何ら興味を示していない。それどころか、敬遠している。


これらのことから、彼らはマルクスの言う真の共産主義者とはいい難く、国家社会主義者に近い。なお、国家による社会主義社会の実現は人間性によるものとされている。すなわち、人間を信用できるものとされる性善説的観点からマルクス主義社会が実現できるのであって、性悪説に基づくと、国家による管理が必要とされるのである。東風は、性善説に立っていたが、思想の純化が完全なものとされなければ、実現に難しいとの考えを示している。


共産趣味者と共産主義者の明確な区別を終えた東風は、最後にサブカルをつぶすことは表現の自由に当たるのかという最大の山場を取り組む。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ