趣味者による力強い思想への悪影響
論文「主義者と趣味者」により、オタクらへの宣戦布告を行った東風共助、彼は論文で彼らを懐柔させようと試みるが、彼の固い信念により作られた論文はオタクらへ更なる怒りを増幅させる。
東風は共産趣味オタクの嫌がらせから逃れるべく、別の街に引っ越した。しかし、twitter等のSNSは削除することなく、猛然と自論を展開していく。さらに、オタクへの意見に反論して、騒動を鎮めるべく機関紙「フロント」にて新たな論文を提出している。しかし、結果としてそれはオタクらをさらに挑発する内容であった。今度は「趣味者による硬派的思想への悪影響」である。
東風は嗜好者が科学者や芸術家と同様に人生の主役としてとらえない限り(*1)、いずれ忘れ去られるものであると改めて強調している。共産主義者は科学者や芸術家と同様に、強い信念を持ち、人生の目的としている。それゆえ、プロレタリア作家は政治闘争、階級闘争も構いなく前衛的であるがため、共産主義を嗜好していたものとは言えない。
さらに、共産主義の特質から趣味者による悪影響を懸念している。共産主義思想は上述の通り、理想の社会の実現のため、階級闘争が必要となる(*2)。単なる、言論での闘争ではなく力を背景とした闘争もやむなしとしている。真なる革命の際の手段だ。果たして趣味者どもはこのステージ来ることができるのであろうか?
東風は趣味者と称する彼らのツイートを見てきており、一見、革命の本質を理解しているように思えたが、結局のところ彼らがネットでの前衛的発言は、発言そのものに魅力に感じており、すなわち、発言することで自らを勇ましい存在であるという自己満足感しかないのだ。彼らに今すぐ、階級闘争を起こせというわけではない。しかし、己の私利私欲のためしか、力強い発言しかしない彼らは革命の遺伝子を劣化される恐れがある。彼らが無造作に「総括、革命」等を発言していくだけで言葉の重みが薄れるのである。
以上のように論文を締めくくった。この論文が「フロント」に出された直後、共産趣味オタクどもは一斉に黙り込んだ。東風の勝利である。また、思わぬ人から感想が述べられることになる。保守の思想家である右辺進である。
(*1)小宮豊隆 編『寺田寅彦隨筆集(第1巻)』(岩波書店、1947)を参照
(*2)石田潤一 「マルクスの国家論 : 階級闘争理論の変遷に関する考察」学生法政論集3巻(2009)参照