主義者と趣味者
東風は早速、機関紙「フロント」の論稿にてこの自分の危機感を表そうとした。タイトルは「主義者と趣味者」である。これが彼の共産趣味に対する宣戦布告となったのである。タイトルからして直接的な批判ではないが、この論文では「主義者」と「趣味者」では世界への指導力において絶対的な差があることを主張している。
「主義者」はその思想を元に人生を行動するものであるのに対し、「趣味者」はあるコンテンツに対して浸るだけであり、人生においては副次的なものとして扱われる。
これに「共産」という語がつくとどうなるか。
「共産主義者」は最終的には労働者階級の支配を目的とし、革命的闘争を求める(*1)。
一方、「共産趣味者」は確かに共産関連の知識量に関してはもしかしたらプロの活動家より多く、多くの文献をストックしている可能性がある。また、サブカルチャーの知識に関してはとても叶わないであろう。ところが、それは人生の寄り道に過ぎず、人生のすべてが共産主義に染まっているわけではない。それゆえ、直接的な行動に対して共感を示しつつも距離を置く、または嘲笑するかのような態度がとられているのである(*2)。何かしらのデモを行ったとしても、参加せず、インターネットで嘲るのである。知識をストックしたままで、何もしないということは果たしていかがなものであろうか。
東風は各人の人生における共産主義の地位の高低差が最大の違いであるとして本論を締めくくった。また彼はこの論考をフロントの党員読者だけでなく、多くの人に読んでもらおうとtwitterやFacebookにて拡散した。
大反響を呼んだが、オタク界隈からの反発もまた多く、そして読者諸君も知るあの言葉達が出てきた。「表現の自由の侵害」、「言論弾圧」、「コンテンツ潰し」であると。投稿した1週間後、東風の自宅に頼んでもいない大量の発注品が送り付けられている。
「なんだ、これは...」オタクの怒りを買った東風は住所を特定されたのである。東風は、オタクの反発を鎮めるべく次の論文を執筆することにした。
(*1)カール・マルクス著、金塚貞文訳、柄谷行人付論『共産主義者宣言』(2012、平凡社)参照
(*2)赤色土竜新聞第2号(2000.1.1)、河上イチロー著『サイバースペースからの攻撃』(雷韻出版、1998年)を参照




