青想
気付いた時、目の前には青空があった。波の音が聞こえる。身を起こすと眼下には大海が見えた。体の節々が痛む。岩の上で寝ていたようだ。身体のそこら中にすり傷も出来ていた。私は隣の男に話しかける。
「おい、馬鹿野郎。」彼の頭を叩く。
突然に起こされた彼はひどく気分を悪くしその元凶に視線を合わせた。そして私を睨み付けた。 寝起きとは思えないほど素早い動きで起き上がり私の足に蹴りを入れてくる。私は避けた。
「避けるんじゃねぇよ。」強い口調で話しかけてくる。
「避けたんじゃない、お前がトロすぎるだけだ。寝ぼけた間抜けの蹴りなんて亀でも避けられる。」海の風が二人を強く打っていた。彼の目つきがさらに鋭くなった。
私は喋りすぎたようである。油断していたのかもしれない。彼は掴みかかってきた。
「野郎。」怒りに満ちた目で私を押し倒してくる。私はバランスを崩し、背中の岩肌に背中を打った。彼の両手が私の首に伸びる。
「お前なんてクソ弱い奴はなぁ。」声を震わせ彼は言う。急速に頭に血が上り視界が狭くなる。私は慌てて両の腕を振り回し、彼に打ち付けた。
「相手にするだけ時間の無駄なんだよ。早くくたばりやがれ。」開いた彼の口に私の手の甲が当たった。彼が怯み体が起きたところですぐさま蹴飛ばし起き上がる。
彼の口からは血の混じったよだれが垂れていた。
今すぐにでもこいつを仕留めよう。私は腰に手を動かした。しかしそれは空を掴むだけであった。腰にあるはずのものがない。どこかで得物を無くしてしまったようである。
彼の方を見る。彼もまた腰に手を当てていた。ああ不幸な。彼は獲物を落としてはいなかったようだ。私を睨みつけ真っ赤な顔で撃鉄を下ろし、銃口をこちらに向ける。
私は慌てて射線から逃れようとする。しかし、寝起きの体はなかなかしたがってはくれなかった。足元の岩場につまづき、もつれて転ぶ。側頭部を強く打ってしまった。
星が飛ぶ視界の中、銃口がこちらに合わされるのを見る。絶望に染まる私の顔を見据え彼は引き金を引いた。
しかし銃声はならなかった。彼の銃はバカになっていたらしい。命は繋がったようだ。私のこめかみを血の混じった油汗がつたう。
束の間現れた静寂は、速やかに立ち去って行く。
急いで立ち上がる私に彼は手に持った拳銃を投げつけてくる。私の頭部を打ち付けんと飛び出したそれは、しかし大きく軌道を外して背後にある崖下の海に落ちていった。
波が岸壁に打ち付ける音が聞こえる。
「ざまぁ。」私は声をひねり出す。そして彼に掴みかかった。彼も私の胸ぐらを掴む。互いに押し倒そうと押し合いになる。
そのままもつれ合いながら二人は岩壁のへりへと近づいていく。時には頭突きをかまし、時には手を首に持ち替え頰に一発打ち込む。知らずのうちに私と彼は崖っぷちまで来ていた。
突然彼の手が緩む。
不意の事態に平衡を失った私は、蒼い海へと投げ出される。私の全身から血の気が引いた。
一閃の風。
私は辛うじて彼の胸元にしがみつく。私の手が彼の服を掴んだ直後、その襟が彼の首を強く捉えた。突然かかった重量に対応しきれず彼もまた平衡を失う。そのまま絡まりあいながら二人は眼下の海へ吸い込まれていった。頭上に紺碧の海が口を大きく開けていた。水しぶきがあがる。
照りつける太陽とは対照的に藍色の海はとても冷たかった。夏の海の冷たさが私の心臓を狙っていた。必死に手足を動かして、岸壁へとへばりつく。上に登ろうかと見上げて見れど無理そうだ。打ち付ける波が私を貫き、絡めとり背後へと引きずり込もうとする。また岸壁に押し付けようとしてくる。なんとか横方向へと進んで行き。海岸を見つけることができた。
怪物を振り払い最期の力で崖の上へとよじ登る。精魂力尽き私は満身創痍の体を角ばった岩石の上に横たえる。隣を見ると何故か彼もいる。向こうも気づいたようで互いに睨み合った。だが両者共に息も絶え絶え。喧嘩を再開するのももう少し先だろう。
光り輝く青空を目に焼き付けた後、私は眠りに落ちていった。