第三十四話 破壊の起源⑥
「私……こんな風になってたんだ……」
洗面台の鏡に映る自分の体を見て、そんなことをぽつりと呟いてしまった。
私の家には鏡は、全て酔った父親が割ってしまったので、ちゃんと自分の体を確認したのは久しぶりだった。
でも……相変わらず、汚い体。こんな綺麗な家には不釣り合いだわ。
そんなことを思っていると、扉が開けられた。
「美保ちゃん、タオル置いておくわね。あら……そんなに怪我していたのね」
タオルを持ってきた竜也くんのお母さんは、私の体を見て驚いた顔をしていた。
「もう、こんなに可愛い子を殴ったり蹴ったりするなんて……信じられないわ」
そう言いながら、鏡と向き合う私を後ろから抱きしめてくれた。
「私が……可愛い?」
これのどこが?
「十分可愛いわ。私の娘にしたいくらい」
「私も……竜也くんのお父さんやお母さんが私の親だったら良かった……」
こんな優しいお父さんやお母さんが私にいたら、私はとても幸せな人生を送れていただろうな。
「ふふふ。美保ちゃんがそう望むなら、喜んで私は美保ちゃんのお母さん似なるわ。私たちをお母さんて呼んでちょうだい」
「お母さん……」
私がそう呼ぶと、竜也くんの……お母さんは、嬉しそうに微笑んだ。
「ふふふ。よしよし」
お風呂から出てくると、竜也くんが私を寝る部屋に案内してくれた。
「この布団で寝てくれ」
「布団……」
「そう布団だ」
「私……布団で寝ても良いんだ」
部屋の端で丸まって寝ていた昨日までの私は、まさか布団で寝られる日が来るとは思いもしなかった。
ああ、これがお布団か……。ふかふかしていて、温かい……。
「え? あ、ああ、そうだな。今日からはこの中でぐっすり寝ると良い。電気は消して寝る?」
「どっちでも良い」
「それじゃあ、常夜灯だけつけておくよ。何かあったら、俺は隣の部屋で寝ているから勝手に入ってきて起こしてくれ」
「わかった」
「それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい……」
三ヶ月後……。
「竜也、お母さん、お父さん。おはよう!」
朝起きて、日課となった挨拶を皆にする。
最初はなかなかお母さん、お父さんって面と向かって言うのは恥ずかしかったけど、三ヶ月も言っていれば慣れてしまうものだ。
あと、いろいろとあって法律上でもお父さんたちの娘となれたのが大きいのかもしれない。
お父さんたちの養子として認められ、国に……この人たちの娘になって良いよと許されたような気がした。
「おはよう。今日も元気そうで父さん嬉しいよ」
「そうね。顔の腫れも随分と治まって本当に良かったわ」
「今日から久しぶりの学校だけど、大丈夫?」
怪我の治療が全て終わり、今日からまた学校に通うことになった。
おかげさまで、今は体のどこを触っても痛くない。こんなこと、物心をついてから初めてだ。
「うん。竜也と同じクラスなんでしょ?」
「そうだよ。まあ、もう三年生なんだし、クラス替えなんてしないから心配するなって」
「そういえばそうだった。私たち……あと半年で卒業なんだね」
あまり学年とか気にしたことなかったけど、もう私は中学から卒業しないといけないんだ。
「中学を卒業したら、竜也はどうするの?」
「特に考えてないな……。たぶん、家から一番近い高校に通うんじゃないか? 高校に入ったら、本格的に体を鍛えたいし、通学時間はなるべく短くしたいな」
「あなた、ジムに入ってからそればっかりね。そんなに楽しいの?」
最近、竜也は近くにある格闘技のジムに入り、毎日のように通っている。
「もちろん。俺を教えてくれているコーチが凄く強えんだ」
そう言う竜也の顔は、凄く楽しそうな笑顔だった。
私も……そこに通ったら、楽しくなれるのかな? ……行ってみたい。
「ねえ、その近くの高校って頭が良いの?」
「そんなことないと思うぞ。大学に行けたら褒めて貰えるくらいの高校だったはず」
「それじゃあ、私も頑張れば入れる?」
私は生まれてこの方ちゃんと勉強というものをしたことがなかった。
そもそも、教科書とか隠されたり捨てられたりして、手元には勉強に使える物が何もなかった……。
「美保の成績は知らないけど……。まあ、進学校ってわけでもないし、これから半年頑張れば入れるんじゃないか?」
「そうなんだ。それじゃあ私、半年間頑張って勉強してその学校に行く」
「あ、ああ。頑張れ」
「ふふふ。私たちも応援するわ。勉強でわからないことがあったら、遠慮なく竜也に聞いてちょうだい」
「え? 俺? トオルとかの方が……」
「そうだな。竜也も人に教えられるくらい頭を良くしておけば、高校に落ちる心配しなくてすむだろ?」
「竜也、お願い!」
私も、竜也に教わるのが一番良い。
門井くんが優しいのは知っているけど、やっぱり私はまだ家族以外とまともに話すこともできないから……。
「わかったよ。美保のために頑張るか」
「ありがとう。あと……もし、私がその高校に入学できたら、竜也が通っているジムに行かせて!」
「え? 美保、人を殴ったりできるのか?」
私の提案に、お父さんが驚きながらも心配そうな目を向けてきた。
「たぶんできる。殴られるのは怖くないから、向いていると思う」
「まあ……本人がやりたいって言うなら止めはしないけど……何かやりたい理由があったりするのか? 言っておくけど、ジムのトレーニングってめちゃくちゃきついぞ?」
「私のちょっと前の生活に比べればマシだわ」
いくら過酷とは言っても、あれより地獄だとは思えない。
「そ、そうだな……」
「えっとね。私、もっと強くなりたいの。もう、あんないじめられているだけの弱々しい人生じゃなくて、竜也くんみたいな誰にも負けないかっこいい人生を生きたい!」
本当は、単純に楽しそうだからという理由だけど、それだと格好がつかないので、それらしいことを言ってみた。
「ふふふ。良いんじゃない。美保ちゃん、趣味らしい趣味もないし、何か打ち込めることが一つでもあるのは良いことだわ」
「そうだな。美保の人生だ。自分の生きたいように生きると良い」
私のそれらしい理由が効いたのか、二人は優しく笑いながら承諾してくれた。
「えっと……俺、別に誰にも負けないわけじゃないぞ? むしろ、大会だと負けてばかりだ」
竜也は、私に負けないって言われたことを気にしているのか、そんな予防線を張ってきた。
「そうなんだ。でも、竜也なら、絶対いつかは世界一を取れるわ」
ダメよ。私の憧れは憧れでいてくれないと困るわ。
「いや、それは……」
「あらあら。竜也、頑張って期待に応えないとね」
「せ、せめて日本一じゃダメ?」
「ダメ。竜也は絶対に世界一になる」
竜也なら絶対に世界を取れる。
「わ、わかったよ……。これから死ぬ気で頑張らないとな……」
「頑張って。私も、半年遅れちゃうけど頑張って追いつくから」
「ふははは。母さん、俺たちの息子と娘がチャンピオンベルトを巻いて帰って来る日がくるかもしれないな」
「そしたら、二人のチャンピオンの母としてインタビューされたときのために、今日のことをメモしておかないと」
「ああ、それなら今の二人を写真撮っておこうよ。きっと、高く記者が写真を買い取ってくれるぞ~」
「良いわね! 二人とも、そこに立って! お父さん! こういうときの一眼レフでしょ!」
お父さんの何気ない提案にお母さんが乗り、急遽写真撮影が行われることになってしまった。
「わかったわかった。すぐに取ってくるから、三人でポーズを考えておいてくれ」
「了解。ふふふ。どういう感じにする?」
「いや……俺たち、これから学校なんだけど?」
「ふふふ。諦めなさい。お父さんに車で送って貰えれば十分間に合うわ」
竜也が学校を理由に断ろうとするも、お母さんは有無も言わせず竜也を私の横に立たせた。
「それじゃあ、一枚だけだからな?」
「それはお父さんの腕次第ね。ほら、二人ともまずはファイティングポーズよ」
「まずはって、絶対何枚も撮る気じゃないか」
「細かいことを言っていると美保ちゃんに嫌われるわよ。ほら、ポーズポーズ!」
「よーし! お前ら、かっこよく写真を撮ってやるからな!」
ふふふ。いつか、今日の写真を懐かしむ日が来るのかな?





