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桃源郷物語  作者: 秋山 楓
第1話『孤独な管理人』
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第1章

「……冗談じゃ……ねえぞ」


 まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。


 富士山の登山が有料化してから久しい。とはいえ、額そのものは小学生のお小遣いでも足りるくらいだ。毎日の通勤通学並みに訪れることがない限り、出し惜しむほどの値段ではない。

 そう、俺は今、単身で富士山の登頂に臨んでいるところだった。

 四つある登山口のうち一番初心者に適したルートを選び、意気揚々とバスから降りて五合目からスタートしたのだが……。


「い、息が……」


 六合目を過ぎた辺りから、さっそく息が乱れてきた。いかに日ごろの運動が不足しているのかがよくわかる。さすが日本一の山。人間ごときが御山を制覇しようなどとは烏滸がましいにもほどがある、と無理やり納得しようにも、俺の四倍近い年齢の方々がずんずん先へ行ってしまうので情けない。まだ六合目。本当の地獄はここからだというのに。


 ともあれ、どうして俺が富士山を登頂することになったのか。その理由は、祖父の残した遺言にあった。


『カズキよ。仙人になれ』


 このアホらしい遺言に笑い転げるどころか二の句も告げられなくなった俺はなんと、祖父の意を汲むことにしたのだ。つまりあれだ、仙人になろうとしたわけだ。

 けど文章そのものを本気にしたわけではない。祖父の遺言通りに従おうなんて気まぐれを起こした理由は、遺言書の続きにある。


『桃源郷にいるわしの友人、()白蓮(びゃくれん)に弟子入りし、仙術を学べ』


 つまり桃源郷ってところには、祖父の旧友である仙人がいるのだろう。そこで問題になるのが、桃源郷とは一体どこに? ということだ。その答えは最後の文章にあった。それは桃源郷に行く方法だった。


『通行手形を持って、その国一番の高い山を登れ』


 馬鹿らしいことこの上ないね。


 通行手形とはたぶん、遺言書と一緒に金庫から出てきた木の札のことだ。書かれている文字は達筆すぎて読めないが、他に何もないのだからこれ以外には考えられない。


 そしてその国一番の高い山ってのは、もちろん富士山しかないよな、この場合。日本だからいいけど、これって他の国だったらどうなっていたんだろうか。本格的な登山家か、珍獣ハンターでもない限り不可能だろう。


 とまあこの一連の流れが、俺が仙人なんて馬鹿げたものになろうと気まぐれを起こした理由だった。


 つまり端的に言えば、昨日から夏休みということも手伝って、富士山登りの一人旅行ってわけだ。ま、高二の夏休みなんて暇で暇でしょうがないし、まさか科学の発達した今のご時世、桃源郷なんて異世界が存在したとして、発見されていないわけがないだろう。


 そう、俺は端から桃源郷なんて信じていないわけ。


 ボケたじいさんの下らない戯言だと思って、一日二日かけて富士山を登ろうという算段だったのだ。高校生のうちに、これくらいは経験しといてもいいと思うし。

 だから軽い気持ちだったんだけどな。


「あ、暑い。目眩が……」


 もう限界だった。これほどまでに運動不足だったとは、今後の生活態度を本気で考え直さなくてはならないな。


 そんな後先の計画なんて立ててる場合じゃない。マジでやばい、目の前が霞んできやがった。淡い桃色の霧が周りを覆い、さっさと俺を追い抜いて行く他の登山者との間を遮断するように、それはさらに濃いものへと変わっていく。


 って、ちょっと待て。桃色の霧ってなんだ? 富士山にそんな現象があるなんて聞いたことないぞ。それともなにか? 疲労によって、俺の頭がパラダイス気分に浸ってるってわけか?


 振り返る。が、今まで歩いてきた砂利道は無くなり、数メートル先も見えない。桃色の濃霧によって、俺は完全に孤立してしまった。


「くっ……」


 どうすることもできず立ち尽くし、恥も省みず助けを呼ぼうとした瞬間、それは起こった。視界がぐらりと揺れたのだ。まるで霧に強烈な催眠作用でもあるかのように、意識が遠のく。ついには片膝を地面につき、身体の自由が完全に奪われるのと同時に、意識もぷつりと途切れてしまった。


 まさか富士山を上り始めて一時間足らずで遭難するなんて……。

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