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桃源郷物語  作者: 秋山 楓
第3話『森の主』
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第1章

「今日あたり、街へ行くわよ」


 ある日、いつものように日の出とともに起床すると、朝食を運んできた凛が唐突にそう言った。寝ぼけた頭だからか、もしくは『街』という単語に馴染みがないからか、布団の上で上体を起こしただけの体勢で、唖然としながらついつい聞き返してしまう。


「街?」

「そう」

「なにしに?」

「必需品を買いに、よ」

「どうやって?」

「一昨日に伝書鳩を飛ばしたわ。事故が起こっていなければ、今日くらいに牛車が来てくれるはず」

「……どこに行くって?」

「だから街だって!」


 ペシッと後頭部を叩かれた。良い目覚ましだ。

 しかし街かぁ。俺が桃源郷を訪れてからというもの、凛の行動範囲は屋敷内と罪歌園しかなかったから、てっきりこの閉鎖的な空間でずっと過ごしているもんだと思ってた。けどよくよく考えれば、確かに石鹸やら食器やら、他の人と交流が無ければ手に入らない物もたくさんあるよな。


「早くご飯食べて顔洗ってきなさい。いつ来るか分からないんだから」


 いつ来るかも分からない交通機関かぁ。現代日本ではありえないことだな。いや、他の国では、時間通りに電車が来ないどころか、本当に電車が来るかどうかも怪しい国があるとかないとか。


 凛に急かされ、用意を済ませた。とはいっても外行きの服装なぞ持っていないので、いつもの恰好だ。街の文明が二百年前の日本だと仮定すると、洋服姿はおそらく目立つかもしれないが、まぁ気にしないでおこう。

 正直、横で牛車を待つ凛よりはマシだと思った。


「お前、街に出るってのに法衣かよ。お洒落はしないのか?」

「着物の着付け、一人じゃできないもん。貴方、やってくれるの?」


 できるわけがない。四回以上言っても無理だと思った。


「そうそう、貴方にも少しお金を渡しておくわ。何か欲しい物があったら買いなさい。でも、あまり大きな物はダメよ。こっちの荷物も持ってもらうから」


 ま、荷物持ち要因であることは最初から気づいていたけどね。

 凛が懐から小さな巾着袋を取り出した。中から小銭の音がする。五円玉色の和同開珎みたいな貨幣だが、刻まれている文字は日本語ではないようだった。


「桃源郷の通貨の価値は分からないけど、金なんて持ってたんだな。どうやって稼いでるんだ? 罪歌桃を売るわけにはいかないだろ」

「おじいちゃんの遺産よ。慎ましく生きて行けば、一生困らないくらい遺してくれたわ」


 遺産ねぇ。片や多大な生活費、片や変な木の札。この差はどこで生まれたんだろうか。

 そして待つこと数十分、東の太陽が山々と完全に離れた頃、ようやく牛車がその姿を現した。


「おはようございます、李さん。いつも御贔屓にありがとうございます」

「わざわざこんな山奥に出向いてもらって、申し訳ありません」

「なぁに。白蓮さんが健在の時からの付き合いですからね」


 二頭の牛に引かれ、御者台の老人が爽やかに挨拶をしてきた。俺も軽く会釈はしたのだが、実は内心ではビビっていた。


 牛といえば、白と黒のまだら模様で温厚な動物、くらいにしか捉えてはいなかった。しかし目の前で牛車を引く二頭の牛は、想像からかなりかけ離れている。灰色の肌には模様はなく、普通の牛よりも一回り大きい。そして目を引くのが、頭に生えた立派な角。牛は牛でも、水牛の類だった。


 だが一番驚いたのは、俺の横に立つ李凛という生き物だ。

 コイツがまさか、人に頭を下げるなんて……。


「おや? そちらの彼は見かけない顔ですな」

「えぇ、彼は居候です」


 と、凛が俺の素性を簡単に説明してくれた。

 老人は俺の存在自体にはなんら疑問を持たなかったようだが、じっくりと俺の顔を眺めた挙句、不思議そうに首を捻った。


「はて、どこかでお会いしたことがありますかな?」

「俺と、ですか? そんなはずはありません。俺はつい先日、初めて桃源郷を訪れたんですから」


 そして行動範囲は凛と似て、屋敷内と森の中の泉くらいしかない。この前、莱夢さんに退治された野盗の中に老人がいたのなら話は別だが、それ以上の人間とは会ったことがなかった。

 老人の疑問にいち早く気付いた凛が、助け舟を出した。


「たぶん彼本人ではなくて、彼のお爺さんなんじゃないでしょうか。彼、杜甫劉の孫なんですよ」

「おぉ、なんと甫劉さんのお孫さんでしたか。確かにその通りじゃ。そっくりです」


 大げさに手を叩いた老人が、嬉しそうに言った。なんか照れる。

 ということは、祖父は昔、桃源郷で暮らしていたのか。


「いやぁ、懐かしい。甫劉さんと白蓮さんは、それはそれはやんちゃなお方たちでしてねぇ。わしが寺子屋に通い出した頃はすでに大人しくなっておりましたが、悪戯と学術、二つの意味で都ではとても有名でしたなぁ。それはもう多くの武勇伝を……おっと、年寄りの昔話は長くなって仕方がありません。時間を盗られる前に、早く荷台にお乗りなさいな」

「え、えぇ……」


 つい最近まで呆けた老人と一緒に暮らしてたので、この手の話が長くなることは知っていた。自分の祖父ならともかく、初対面の相手はどうすればいいのか迷っていたところだ。自分から切り上げてくれる辺り、この御者さんは良い人なんじゃないかと、勝手に思ってしまった。


 二人で牛車に乗り込む。老人が座席のことを『荷台』と称したことについて、なんとなく納得がいった。人力車や馬車のように人が乗るスペースがあるわけではなく、ほとんど箱のようだった。少し大きめのリヤカーの中に、小汚い座布団がいくつかと、申し訳程度の手すりがあるだけだ。


「山道だからね。あまり上品でも意味がないのよ」


 乗り込んだ際、凛が説明した。

 なるほど。確かに上品さを捨て、極限まで丈夫さを追求したような造りだった。


「さて、そろそろ出ますぞ、御二方。けっこう揺れますんで、舌噛まないように気を付けてください」


 老人が水牛に鞭打つと、牛車がのろのろと動き出した。

 身構えてはいたが、思ったより揺れは弱かった。凛の言葉のニュアンスから、何度も街へ降りていることが窺えるから、自然と道が慣れたのかもしれない。

 車輪が小石を踏むなどの不意打ちに気をつけながら、少し気になっていることを凛に訊いてみた。


「管理人が罪歌園から離れちゃっても大丈夫なのか?」

「問題なし。陽が落ちる頃には帰るし、私が出かけるのは気まぐれだから、留守を狙ってくるとは思えない。それに……二年間なにもなくて、今日に限って大きな事件があるとも思えないわ」


 口ぶりからしても、凛が莱夢さんの行いに気付いているようには見えなかった。

 やや無言が続く。十数分ほど車輪の音を聞き、新緑映える木々を眺めていた。が、景色は一向に変わり映えしない。どの辺りまで山を下りたのだろう。


「なぁ、街ってどれくらいで着くんだ?」

「時間を計ったことはないけど……いつもは同じくらいの時刻に屋敷を出て、街につく頃は陽が真上に昇ってたわ」

「牛の調子にもよりますが、だいたい一時と一刻ほどです」


 聞こえていたのか、御者の老人が答えた。

 凛の表現ですでに嫌な雰囲気を感じ取っていたが、計算してみる。一刻は三十分。一時は確か、一刻の四倍だったから……二時間半かぁ。痔になりそう。

 しかしながら、それほど長い時間、凛と面を向き合うのは初めてのような気もする。


「凛。今さらだけど、俺が桃源郷に来た目的を、そろそろ成し遂げようかと思ってる」

「桃源郷に来た目的って?」

「俺はじいさん……甫劉の遺言を尊重して、白蓮の弟子になるために来たんだ。けど白蓮はすでに亡くなっていた。この時点で遺言を守る必要はなくなったわけだけど、せっかく桃源郷に滞在しているわけだから、仙人のなんたるかを修得しても損はないと思う。だから俺が凛の元へ弟子入りして、白蓮ほどではないにしても何か教えて……」

「あー、無理」


 言い終える前に拒否られてしまった。

 意気込みが強かっただけに、出鼻を挫かれた気分だ。


「実は私も仙術については何も教えられてないの。おじいちゃんが死んじゃったの、私が十三歳の時だったからね」

「そうなのか?」

「うん。だから仙術を学んだというよりも、仙術の基礎を学ぶために必要な鍛錬内容を教えてもらったくらいかな」

「仙術の基礎を学ぶために必要な鍛錬内容……」


 また回りくどい言い回しだなぁ。

 昔テレビで観たコントで例えるなら、私の職業は漫画家のアシスタントの卵です。いやいや、それじゃあただの素人だから! アシスタントが漫画家の卵だから! ってな感じか。


「鍛錬内容その一、規則正しい生活をすること。その二、肉は食べない。その三、身の回りの整理整頓をすること。その四、家事を行い体力をつけること。……とりあえず、幼い私に課した課題はそれだけだったわ」

「結局、その二までしか実践できてなさそうだな」

「しょうがないじゃない。どうせ私は要領悪いし、師匠がいないから本当に正しい道に進んでいるかも分からないし……」


 不貞腐れた顔の中に、どこか悲しげな感情も溶け込んでいるようだった。

 ん、待てよ。


「ってことは、俺が日々行ってる家事とか、そのまま修行になってるってことか?」

「そういうこと。悔しいけど、貴方は私よりずっと手際よくこなしてるわ」


 おぉ、なんか褒められた。ちょっと嬉し恥ずかし。

 となると、先は長いかもしれないが、このまま桃源郷で修業を続けていれば、そのうちすごい術とか使えるようになるんじゃないかな!

 などと妄想に浸っていると、目の前でジトーッとこちらを睨んでいる凛に気づいた。


「修行を行う大前提として、あらゆる欲は捨てることね」

「よ、欲?」

「言っとくけど、下界の小説の中にあるような派手な術は存在しないわよ。下らない妄想はさっさと捨てること。それに死ぬまで仙術を学んだところで、自由自在に術を操ることなんてできないわ」

「そうなのか?」

「そんなことができるのは、おじいちゃんと杜甫劉と新都の元帥様と、えーっと……」

「あらゆる術を自由自在って意味なら、その御三方のみでしょう。逆にその御三方に対抗できる力を持つ有名な御仁は、奈落の牛魔王様と哪吒太子くらいでしょうかねぇ」


 御者の老人が会話に食い込んできた。


「もちろん分野ごとに極めた専門家は数多くいます。しかし彼らはあくまでも専門家。人の一生という短い期間で、すべての分野を極めた天才は、後にも先にもその御三方だけでしょう」

「七百年生きてる魔女も、完璧に極めたのは薬学と結界術の二つだけだってさ。あとは全体的に地道に勉強してるらしいわ」


 かぁー、なんか深い世界だな。と感慨に耽るも、当然といえば当然か。

 中学校でさえ、国語、数学、理科、社会、英語の五教科を筆頭に、その他の文化科目があった。高校へ進学し、国語は現国と古典、理科は物理と化学と生物……など、細かく枝分かれしていく。基礎のみを学び修得するのは簡単だが、それらすべてを極めるとなると、どう考えたって八十年やそこらでは不可能だろう。


 莱夢さんも絶賛してた通り、我が祖父は本当にすごい人だったんだなぁ。


「で、今から行く街が、新都って場所なのか?」

「違う違う。ただの最寄りの街。新都は人間が住む街の中心地で、もっと遠い場所にあるわ。私も行ったことはない」


 いわば首都みたいなものか。

 しかし気になったのが、凛がわざわざ枕にした『人間の』という修飾語。先日、莱夢さんに連れだって観戦した野盗退治を思い出す。あの中の何人かは人間ではなく、妖怪だった。


「やっぱり妖怪が住んでる街もあるのか?」

「あるわよ。人間の新都に対する妖怪の都が、奈落って場所。罪歌園を挟んでずっと東にある。人間と妖怪の住む地域は、完全に線引きされているわ。とはいっても、新都を含めた人間側の街にも、二割くらいは妖怪が占めてるけどね。逆もまた然り」


 妖怪が普通に闊歩してるのかぁ。


「はっはっは。安心してください、下界から来たお兄さん。妖怪が人間を喰う時代は、とうの昔に終わっています。わしが生まれてから、妖怪が起こす残虐な事件は一度も起こっとりゃしませんよ」


 ただし人間街側の情報だけですがね。と、御者が笑った。

 確かに老人の気軽さを見る限り、少なくとも街が殺伐としているようなことはないのが感じ取れた。


「世間知らずの私だって、何度も街で買い物してるんだから。何事も起こらないわよ。貴方は荷物持ちに徹してればいいの」


 ふんっと、凛が鼻で笑う。

 不安は去ったが、ちょっとばかり不満が募った言葉だった。

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