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桃源郷物語  作者: 秋山 楓
第2話『桃源郷の魔女』
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第4章

「あたしは不幸だよ」


 誰もいなくなった広場で、莱夢さんは切り株の上に腰を下ろし、煙草を吸い始めた。俺は雑草が生え極まる地べたに座り込むのも抵抗を感じたので、彼女の正面に立つ。


 野盗たちを一人残らずノックダウンさせた後、莱夢さんが「今度この山に入ってきてみな。このあたしが直々に良い死神を紹介してやるぜ」と世にも恐ろしい形相で宣ったところ、彼らは一目散に逃げていったのであった。どうやら名を上げることよりも、自らの命を尊重できる連中だったらしい。


 てかこの人が本当に死神と知り合いであっても、俺は驚かないだろうな。


「あたしは不幸だ」


 もう一度言われた。しかも今度はやや断定形に強調さが増して。


「常識的に考えてみな。不老不死ってのは、一つの場所にずっと留まることはできねえんだ。周りの人間たちが徐々に成長、そして老いていくのに、一人だけ変わらずのままだと気味悪がられて迫害されるようになっちまうからな」


 理屈は分かりますが、冒頭が大いに間違っています。不老不死を常識化すんな!


「その割には、けっこうな有名人ですよね?」

「あたしの名が知れてるのは悪名だよ。それとスタイル? どちらにせよ、街で住むのには疎ましがられる存在には違いない」


 悪名とスタイルね。その二つの単語だけで、莱夢という人間の八割は表せてると思う。


「だからあたしは年月とともに場所を変え、今は人気のない隣の山に落ち着いている。だけど分かるか? 想像できるか? 七百年だぜ? 一体あたしが生まれた時の何代目の子孫が今現在を生活してるんだよ。正直、死にたいと思ったことが何度あったことか」


 黙って聴く俺を通り越して、莱夢さんは遠い目で狭い空を仰いだ。その眼はどことなく「疲れた」と言っているようだった。


「でもね、凛はそんなあたしよりもっと不幸だ」

「凛が?」


 思いもよらない人物の名を聞き、俺は少しだけ驚いた。


「あたしは不幸だけどね、それなりに楽しいことはあったよ。こんな性格だから、行く街行く街で友達も簡単にできるし、失敗はしたけど最初はそれ以上ないほどの大恋愛も経験した。長くともそれなりに思い出の深い人生だった。

 けど凛の場合はどうだ? お前、何日か一緒に暮らしてみて分かったと思うが、あいつ、ほとんど家から出ないんだぜ。街にだって、月に一度必需品の買いに行くくらいだ。あの歳だったら寺子屋に通っていてもおかしくはないのに、あいつは生まれてからこの方そんな所には顔も出したことがない。本当に友達もまったくいなくて、ずっと一人きりだった。いやずっと白蓮と二人きりだった。

 しかしそれもどうだ。自分の世界に唯一存在するおじいちゃんすら二年前に失って、あいつはどれだけ悲しんだと思う? どれだけ泣いたと思う?」


 だんだんと棘のある口調になってきて、最終的に莱夢さんは咥えていた煙草を指で折った。ただ、その怒りの矛先を見つけられていないようだった。


「あんな捻くれて引っ込みじあんな性格だから、自分から進んで人と触れ合うようなことをしようとは思わないだろう。一人じゃなにもできねえ馬鹿な女だ。

 でもね、あたしは凛には幸せになって欲しいと思ってる。恩も義理もねえが、……義理っていえば、あいつが五歳の時から関わっている責任ってやつか? まあどちらでもいいけど、とにかく凛には幸せになって欲しい」

「……」


 それはもしかしたら、本当はできるかもしれなかった自分の子供に対しての愛情みたいなものなのだろうと思ったけど、言葉に出すのは躊躇われた。莱夢さんが自覚していなさそうだし、言ってもどうせ否定されるだろうから。


「でも……凛の幸せを願ってるんなら、なんでこんなことしてるんですか?」

「こんなことって?」

「罪歌桃を狙う野盗退治です。あいつ、自分の存在意義を失って泣いていました」

「凛に今の奴らを撃退できる力があると思うか?」


 煙草を眼球に近づけられた時とはまた違う威圧感を受けた。正直、その視線だけで射殺されるかと思った。


「無茶言うなよ。凛は白蓮の孫ってだけであって、修行は何一つしちゃいねぇんだ。下界にいる女子高生となんら変わらねぇぜ。そんな餓鬼が、今の盗賊たち相手に勝てると思うか?」

「……いえ」


 無理だろう。武器さえ持っていなければ、俺一人でも抑え込める自信はある。それだけアイツの身体は軽かった。


「罪歌園の管理なんかやめて街で暮らせばいいのに、あいつは聞く耳ももたねぇ。おじいちゃんの意志を継ぐっつってな。ホント、馬鹿だよ」

「もしかして凛が莱夢さんのこと嫌ってるのって、しつこく街で暮らせって助言したからなんじゃないですか?」

「よく分かったな」


 ちょっと驚いたように、莱夢さんが眼を見開いた。


 まぁ、アレだな。親に勉強しろと言われて余計にやる気を失くすようなものだ。凛も恩はあると言っていたし、心の底では嫌ってはいないのだろう。目上の人からの指示をウザいと思ってしまう、思春期特有の反抗的態度だ。気難しい凛の性格なら特に。


「二年前なら白蓮がいたから、あたしがでしゃばる必要はなかったんだけどな」

「もちろん凛は知らないんですよね? 莱夢さんが野盗を退治してるって」

「知らないはずだよ。知ったら何か言ってくるはずだし、お前に自分の存在意義がどうとか言わんだろ。それに……あたしがあの子に恩を着せるようなマネをしたくないんだよ」


 それで野菜を渡す時も変身してるわけか。たとえ莱夢さん本来の姿でも、無理矢理押し付ければ凛だって嫌々受け取るとは思うんだ。この人も、たいがい素直じゃないなぁ。


「なんかムカつくこと思われた気がする」

「熱ッ!」


 この女、俺の手を灰皿代わりにしやがりましたよ! 


「ま、なんにせよだ……」


 どっこいしょとでも言いそうなほど緩慢な動きで、莱夢さんは立ち上がった。


「これが今のところあたしが知っている凛のすべてだ。質問か何かあるか?」

「じゃ、一つだけ。なんで俺に話したんですか?」

「あぁ、いやな、ちょっと変だと思ったんだ。お前さ、罪歌桃を食べたから下界へ帰れないって凛に言われたんだろ?」

「えぇ、そうですね」

「それ自体は間違っちゃいねぇが、罪歌桃を食べた時の解決法を、アイツが知らないわけがないんだ。絶対に白蓮から聞いてるはず。なのにお前に教えず、あまつさえ毎食罪歌桃を出し続けた。これがどういう意味か解るか?」

「……いえ」


 下界へ帰る方法は確か、身体の中にある罪歌桃を物理的に排出されるのを待って、禊で罪を洗い流す。だったっけ。その後も罪歌桃を摂取し続けるということは、帰られる時期がそれだけ先送りにされるということだ。


「おそらく凛はね、お前に帰ってほしくなかったんだよ」


 事もなげに、莱夢さんはそう答えた。


「……どうして凛は俺に帰ってほしくなかったんでしょうか?」

「んなもん、寂しいからに決まってるだろ。だからお前に凛の素性を話した。アイツが置かれている状況を理解した上で、凛と仲良くやってほしいと思ってな」

「はぁ」


 じゃあアンタ、帰る方法教えちゃダメだったんじゃないか?

 まぁ一生帰れないかもしれない俺の不安が解消され、今後の生活にゆとりが持てたことは否めない。


「てなわけだ。お前も水汲みの仕事があるから、あまり時間取らせちゃ悪いし、ここらで終わりとするぜ。付き合ってくれてアリガトな」

「いえ」

「また近いうちに、差し入れ持って凛の屋敷にお邪魔するわ。んじゃ、バイビー」


 今時遅れてる女子高生すら言わないような別れ文句を残し、莱夢さんは歩いて森の中へと消えて行ってしまった。


 なかなか嵐のようなという形容詞が似合う人だったが、俺は少しだけ安心した。離れて暮らしているとはいえ、凛の理解者が一人でもいて本当に良かった。


「さて……」


 帰る方法も知れたことだし、考えをまとめるのは後にしよう。今は水汲みだ。日没までに完了しなくちゃ、凛にどやされる。


 仕事仕事と鼻歌を歌いながら、軽い足取りで莱夢さんとは反対方向へ歩こうとし……重大なことに気がついた。


「ここ……どこだ?」

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