プロローグ
祖父が死んだ。
ただ享年八十九歳とそこそこの大往生であり、ずっと一緒に住んでいた口うるさい祖父が突然いなくなったことに多少の寂しさは感じるが、悲しいかと問われれば、俺は二秒ほど考えてから首を横に振ることができる。人間だって生物だ。いくら医学が発達したとはいえ、いつかは必ず死ぬ。そういう意味では、老衰だった祖父は生物として最も幸せな死に方をしたんだろうなと思う。
だから俺は悲しまない。むしろ、やっとうるさいジジイがいなくなったことで、肩の荷が下りた爽快感の方が大きいかもしれない。不謹慎だけれども。
順当である祖父の死に問題点があるとするならば、それは我が祖父は変な人だった、ということだ。生前から意味不明なことを言うジジイではあったが、それは死ぬ間際までそうだった。つまり遺言。今際の際、祖父は横で看取る俺にこんなことを言いやがった。
――カズキ、仙人になれ。
なんじゃそりゃ。アホか。
そして弱々しい手つきでとある物を俺に渡し、祖父は事切れたのだった。
渡された物は鍵だった。何の鍵なのかは教えてくれなかったので分からない。どこか扉の鍵なのか、はたまた宝箱のような物を開けるものなのか。
いや、そういえば一つだけ心当たりがある。外に出ることの少なかった祖父のことだから、自室で使う鍵である可能性が高く、また祖父の部屋は和室だから鍵は必要ない。そして俺は知っている。というか話だけは聞いていた。
祖父の部屋の畳の下には、金庫が隠されているらしいのだ。
通夜と葬式が恙なく終了して数日後、俺は荷を整理するという名目で、祖父の和室へと入り畳を引っぺがした。マジであったよ、金庫。
渡された鍵がこの金庫の物であることは、火を見るより明らかだ。しかしどうしたものか。鍵を渡されたってことは、俺に金庫を開けろって解釈でいいんだよな。いや、もしかしたらこの金庫は決して開けてはならず、その番人の役目を俺は祖父から譲り受けてしまったのかもしれない。この中には桜井家が代々守り続けてきた魑魅魍魎が封印されて……。
なんてね。そんな漫画みたいな馬鹿げたことが現実にあってたまるか。万が一、いや億が一そんなことがあったとしても、この鍵は祖父から親父に渡っていたはずだ。そして俺は親父から譲り受けていただろう。
ま、考えていてもしょうがない。鬼や蛇でも出ない限り、再度封印は可能だ。遺産めいた物だったら、それから親に相談すればよい。
いや、どうかな。祖父はあまりお金を貯めない人だったから、遺産と呼ばれる代物が入っているかも怪しい。もしかしたら生前の思い出が詰まっているかもしれないが、だったらちゃんと墓前に供えてやるよ。とはいえ、こういう金庫みたいな厳重に保管されているものを開けるとなると、ちょっとは心弾むものだ。
金庫を取り出し鍵を合わせ中身を確認したところ、中からは達筆な文字が書かれている木の札と、きちんと体裁を整えた遺言書が出てきた。
木の札はとりあえず横に置くとして、まずは遺言書を開く。こういうものは開ける前に親や弁護士にでも提出するべきなのかもしれないけど、いや大丈夫。なぜなら封筒の裏には、俺への宛名が書かれていたからだ。
封筒の中からは、きちんと折りたたまれた和紙が一枚出てきた。その一行目には、大きくこう書かれているのであった。
『カズキよ。仙人になれ』
……いよいよもって変な人だったんだなあ。