Visitor 鍛冶職人ヨルギア
特別な人間しか入ることの出来ない店がある。
その店は、どこの世界とも繋がっていて、どこの世界にも属していない。
ある世界では王宮の地下に、別の世界では空に浮かぶ島に、また別の世界では魔物が棲む洞窟の奥に、店への入り口はある。
入り口はどこの世界も同じ、焦げ茶色の一枚板の扉。少し錆びた銀色の取っ手を手前に引くと、チリンチリンと扉の内側に括りつけられた鈴が鳴る。
扉をくぐる瞬間、客は空気が変わるのを実感する。具体的に何がとは言えないが、店には客をほっとさせる力があった。
薄暗い店内でスポットライトを浴びてるカウンター。吸い寄せられるように座ると、どこからともなく仮面を被った店員がカウンター越しに現れ、一礼と共にこう言うのだ。
「いらっしゃいませ、ようこそBar《洞》へ。ご注文は何になさいますか」
「何でもいい、とにかく強い酒をくれ」
「畏まりました」
仮面の店員は数百はある瓶の中から三本を選び出し、氷の入った淡い水色のグラスにそれぞれ違う量を注ぐとバースプーンで軽く混ぜ、カウンターにそっと置いた。
出されたグラスを勢いよく煽る今日の客は、とある世界の鍛冶職人、ヨルギア。太い腕と手のひらのタコが、彼の仕事ぶりを物語っている。
「……美味いな」
「恐れ入ります」
「……俺は何をしているんだろうな」
ヨルギアが中身が半分に減ったグラスをカウンターに置くと、氷がカランと音を立てた。
「何かお悩み事ですか」
「まあな、自分のしてきたことに疑問を持ち始めたんだ。いや、もう後悔と言った方がいいかもしれない」
「どうぞ、お話し下さい」
ヨルギアは仮面の店員の声に慈愛を感じた。この人間になら全てをぶつけられると思った。
顔は分からないが、声から判断しておそらく六十代の男。自分の親くらいの年齢だろう。
何を言っても受け止めてくれる。そんな絶対的な安心感が彼にはあった。
「……俺は武器職人だ。剣や槍を作っている。だが、俺は人が殺し合うのが見たくて武器を作っているわけじゃない。人を守るため……俺が武器を作ることで誰かの命が救われる、そう信じているからだ」
だが、現実は自分の思いとはかけ離れている。そのことを思うとヨルギアは眼の奥が熱くなった。
ぐい、と酒を煽る。
「こいつなら、と思った人間にだけ武器を作ってきた。だが、誰一人として俺の想いに応えてくれた奴はいなかった。口では人を幸せにすると言いながら、手は剣を振り下ろしている。人の命よりも理想や大義を大事にする奴らばかりだった」
人を殺すための道具ではなく、人を守るための道具として剣を使ってほしい。
職人仲間からは鼻で笑われた。腕は一流でも、考えは甘すぎると。もっと世界の今の状況を知るべきだと。
言われるまでもなく世界の状況なら知っている。争いが争いを呼び、毎日誰かがどこかで戦っている。そして、毎日誰かがどこかで死んでいる。
だからこそ、人が死なないように、より強い武器を作っているのに。何故誰も理解しようとしないのだろう。
「ふと気付いたんだ。俺は人殺しなんだってな」
人が死なないように願っていても、実際には自分の作った武器で大勢の人が死んでいる。それはつまり、間接的に人を殺しているということではないのか。
そのことに思い至ったとき、剣を打つ手が止まった。振り上げた槌を剣に打ちつけることが急に怖くなった。
鍛冶場を出て目的もなくふらふらと彷徨い歩き、気が付けばこの店の扉の前に立っていた。
「お客様は剣を作ることを止めるべきではないと私は思います」
黙ってヨルギアの話を聞いていた仮面の店員は、静かに、だがきっぱりと彼に言った。
「何故だ? 誰もが剣を人殺しの道具としか見ていないのに、何故作り続けねばならない?」
「お客様の想いに応えてくれる方が現れるからです。お客様の剣は、平和の象徴として遠い未来まで受け継がれることでしょう」
信じる信じないはお客様にお任せいたしますが。仮面の店員はそう締めくくった。
「俺の剣が平和の象徴に……?」
あり得ない。ヨルギアは言い返そうとした。だが、思いは言葉にならなかった。
何故か荒唐無稽な仮面の店員の言葉が現実になる気がしたのだ。
ふとグラスに視線を落とすと、氷が融けてなくなっていた。
薄くなった酒を一気に飲み干すと、ヨルギアは見えない何かに突き動かされるように席を立った。
「またのご来店をお待ちしております」
仮面の店員はヨルギアの背中に向かって深く頭を下げた。
「名匠ヨルギア、彼の作り出す武器は美しさと強さを兼ね備えた素晴らしいものだとか。これから彼が作る、最後にして最高の四対の剣、是非お目にかかりたいものです」
仮面の店員はカウンターを拭きながら口元に笑みを浮かべる。
「いつかヨルギアの剣を携えた誰かがここを訪れるのを楽しみに待つとしましょうか」
浮かべた笑みをさらに深くして、仮面の店員はカウンターを拭き続ける。
この店は世界の狭間を彷徨っているため、時間の流れなどない。同じ世界の人間が続けて来店しても、生きている時代が数十年、あるいは数百年ずれていたりする。
いつからこの場所があって、いつまでここにいるのか。それは仮面の店員自身にも分からない。
「さて、次のお客様がいらっしゃるまで一休みしましょうかね」
仮面の店員はカウンターを拭くのを止め、店の照明を落とした。
世界と世界の狭間にあるBar《洞》。世界の未来を左右する悩み事を抱える人が訪れる場所。
Barへと繋がる扉は、いつだってすぐ近くにある。
ほら、そこにも――