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Visitor ザンドール4世

 特別な人間しか入ることの出来ない店がある。

 その店は、どこの世界とも繋がっていて、どこの世界にも属していない。

 ある世界では王宮の地下に、別の世界では空に浮かぶ島に、また別の世界では魔物が棲む洞窟の奥に、店への入り口はある。

 入り口はどこの世界も同じ、焦げ茶色の一枚板の扉。少し錆びた銀色の取っ手を手前に引くと、チリンチリンと扉の内側に括りつけられた鈴が鳴る。

 扉をくぐる瞬間、客は空気が変わるのを実感する。具体的に何がとは言えないが、店には客をほっとさせる力があった。

 薄暗い店内でスポットライトを浴びてるカウンター。吸い寄せられるように座ると、どこからともなく仮面を被った店員がカウンター越しに現れ、一礼と共にこう言うのだ。


「いらっしゃいませ、ようこそBar《ウロ》へ。ご注文は何になさいますか」 




「溶岩酒はあるか」


 本日《ウロ》の扉をくぐったのは、容姿端麗な壮年の男。とある世界にある国、カラガランの王、ザンドール4世。

 彼は、国王らしい洗練された衣装に似つかわしくない荒々しい動作でスツールに腰かけると、カウンターに肘をついて仮面の店員に声をかけた。


「ございます」


「じゃあそれを頼む」


「畏まりました」 


 仮面の店員は、背後の棚に置いてある数百はある瓶の中からさっと目的のものを取ると、透明の細長いグラスに酒を注ぎ国王の前に置いた。


「……っくぅぅ、美味い! もう一杯くれ」


 まるで言われることが分かっていたかのような速さで、仮面の店員はグラスを入れ替える。

 国王は二杯目を一口飲むと、はぁぁぁ、と盛大な溜息を吐いた。


「なんで俺は王なんだ……辞めたい……今すぐ辞めたい」


「お悩み事ですか」


 グラスを拭きながら仮面の店員が訊ねる。国王は酒をもう一口飲むと、まあな、と答えた。


「俺はジュネルテという国の王なんだ。自分でいうのもなんだが、顔立ちは整っているし体型だって細すぎず太り過ぎず丁度いい。頭もいいし運動神経も人並み以上にある。部下や国民に無茶ぶりをする暴君でもないし、髪の毛だってサラサラだ。それに、王妃も王子も病にかかることなく至って健康体」

 

「何が問題なのでしょう」


 当然のことだが仮面の店員の表情は読み取れない。声も国王が来店したときから全く変わらない。人が聞いて落ち着く、優しくも冷たくもない、狭間の声。


「国王として俺は、完璧とまではいかなくともそれに近い働きをしていると思っている。毎日の朝議にもかかさず参加し、剣や弓の鍛錬も怠らない。暑苦しい男どもに囲まれても爽やかに挨拶し、クセが強すぎるジジイどものどうでもいい話もちゃんと聞いてやる。王妃の年を重ねるごとに濃くなる化粧にだって我慢してる。何故なら、王だからだ」


 国王は残っていた酒を一気に飲み干すと、置くというよりは叩くという表現が相応しい動作でグラスをカウンターに戻した。


「幼いころから、王たる者はこうあるべきと散々言われて育った。だから言われたことを忠実に守っている。だが! だが、俺が本当にやりたいことは何一つ出来ていない! あれをしたいこれをしたいと言えば、それは王に相応しくないことだと、もっともらしい態度で否定される! 何故だ!? 何故、俺には自由がない? 何故、己の幸せを我慢して他人を幸せにしてやらなければならない? 王妃のどうでもいい愚痴や、ジジイ共のクソつまらない小言を、寛容に対応する俺の不満の持って行き場がどこにもないのは何故なんだ!?」

 

 仮面の店員は、割れそうなほど強い力でグラスを握り、全身をプルプルさせている国王に、すっ、と新しいグラスを差し出した。


「お客様は本当はどうされたいのですか」


 国王は、はっ、と弾かれたように仮面の店員を見た。顔から怒りが消え、手の震えも止まる。

 自分がどうしたいのか。

 誰かに訊いてもらったのはいつ以来だろうか。少なくとも王になってから言われた覚えはない。いつも誰かの意見や要望を聞いてばかり。

 もううんざりだった。

 だから、仮面の店員の言葉が胸に響いた。

 ここに来たのは偶然だった。独りになりたいと城の中を人のいない方へいない方へと歩いていたら、気が付けばこの店の扉の前にいた。

 細部に至るまでこだわり抜いて造られた城に似つかわしくない、焦げ茶色の素っ気ない一枚板の扉。明らかに浮いているのに、不思議と疑問には思わなかった。その代わりに、あの扉をくぐれば安らぎが得られるという思いが湧き上がってきた。

 扉の中は見たこともない空間だったが、呼吸するくらい自然に酒場なのだと理解した。年齢も性別も不明な――外見からおそらく男だとは思うが――見たこともない服を着た怪しい仮面を被った店員も、自分でも驚くほどすんなりと受け入れられた。

 当たり前のように酒を注文して、当たり前のようにそれを飲んだ。すると、今まで誰にも言ったことのない、誰にも言うまいと思っていた言葉がぽろりと口から零れた。

 そして、心の奥底に押し込んでいた思いを全てぶちまけた。誰にも言えず、かと言って消し去ることもできずに、心の中に溜め込むしかなかった思いを。

 この男――仮面の店員になら打ち明けられる。自分の本当の願いを。彼なら何を言っても受け止めてくれるに違いない。

 赤黒い液体で満たされたグラスを両手で握り、国王は意を決して口を開いた。


「俺は…………罵られたいんだ」


「……どなたに、でしょう」


「若くて美人の女……。そう、俺は美女に罵られて踏みつけられたいんだ。罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられたり、叩かれたり踏まれたい。想像するだけで胸がざわつく。ああそうだ、普通じゃない願望だと自分でも分かっているし、王としてあり得ない欲望だとも分かっている。だから俺は王を辞めたいんだ。王でなくなれば鬱陶しいしがらみからも解放されるし、自分のやりたいことを好きにできるようになる。そうだろう?」


 一気に喋った国王はグラスを煽り、ふぅ、と息を吐くと仮面の店員に視線を向けた。

 彼はどんな答えを返してくれるのだろう。期待と不安が入り混じる。


「……お客様はカラガランの方でいらっしゃいましたね」


「そうだが」


 それがどうかしたのかと国王は片眉を上げ、仮面の店員を軽く睨む。


「明日の夜、王都の東、十字通りの酒場の裏手にある、何も描かれていない看板がぶら下がった建物に行かれるとよいでしょう。扉を四回叩き、出てきた人にこちらをお渡し下さい」


 仮面の店員はカウンターに小さな長方形の白いものを置いた。


「何だ、これは?」


 国王は手に取って触ってみる。ツルツルとした材質だが、何で出来ているかはさっぱり分からない。表も裏も真っ白で何も描かれてはいなかった。


「建物に入るために必要なもの。初めて来店していただいたお客様に、当店からのサービスでございます。――そろそろお帰りになられた方がよろしいですね」


「え……あ、ああそうだな」


 まだ帰るつもりはなかったはずなのに、何故だか急に帰らなければならない気がして国王は席を立って出口へ歩き出した。


「またのご来店をお待ちしております」


 仮面の店員の言葉を背中に受けながら、国王は扉をくぐった――。



 客のいなくなった店内。仮面の店員がグラスを拭く、キュッキュッという音だけが響く。


「特別な趣味を持つ者が集う会員制の館を紹介しましたが……さて、満足いただけたでしょうか。あの方にはまだ王でいてもらわなければなりませんからね」


 吹き終えたグラスを棚に置いた仮面の店員は、頭の後ろに手を回し仮面を外すと、口元に笑みを浮かべた。

 いくつもある世界を管理し、見守るのがこの店の役目。店員はいわば世界の番人なのだ。

 世界のバランスを崩しそうな者だけが、この店に訪れる仕組みになっている。

 もちろん相手はそうとは気づかない。美味い酒が飲めて不満でも愚痴でも何でも聞いてくれるちょっと不思議な場所にある店、くらいにしか思っていない。


「酒には人の口を軽くする力がありますからね……おや」


 店員は外していた仮面を被りなおした。

 この店に来るのは、誰にも言えない悩み事を抱える、どこかの世界で重要な役割を担っている人物。

 さて次の客はどんな秘密を打ち明けるのだろうか――。




「いらっしゃいませ、ようこそBar《ウロ》へ。ご注文は何になさいますか」

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