双極性障害との出会い
貴子と双極性障害との出会いは、かなり古い。
物心がついたときだ。
当時は、”双極性障害”という言葉はあったんだろうか。。。
普段ケンカしない父と母がケンカをする。
それに、普段電話しない母が電話をかけまくる。
辟易した電話の相手が、もう電話かけてもらいたくないと父に訴えたこともあった。
訳が分からず、子供の貴子はただ見ていただけだった気がする。
2ヶ月ほどすると、またもとに戻る。
穏やかな日常だ。
そうすると、穏やかでなかった日々は忘れてしまう。
人間は、覚えておきたくない出来事は忘れる生き物だ。
幼稚園児だった頃だろうか。
母が泣いていて、どうしたら良いかわからず、庭に咲いていたあじさいを持って行った気がする。
記憶は曖昧だが。。。
それが一番古い記憶かもしれない。
小学生の頃だろうか。
母が興奮状態で、近所に「うちの子は自分の名前が書けないんです」と話しているのが聞こえる。
自分の名前なんて書けるのに。
貴子は、事実と違うことを言われて腹が立ったが、それよりも悲しみの方が大きかった。
お母さん、どうしちゃったんだろう。。。
飲酒運転をして、途中で帰ってこれなくなり、親切な人からの連絡が家に入ることもあった。
当時父は運転免許を持っていなかったので、どうしたのかは覚えていない。
当時だから警察沙汰にならず済んでいたが、今の時代だったら強制入院だろう。
高校生くらいになると、貴子に家事の負担がかかってきた。
いつもは何もしなくてもいいのに、そういうときは貴子が料理を作らないとならない。
作ると言っても、普段何もしていない女子高生。
何かおかしい母の大まかな指示に従い、料理を完成させる。
元々貴子は頭が良い方なので、「料理なんて食べられればいいのよ」と、適当に作れる人間だった。
たまに父が母を病院に連れて行っていた気もする。
母が薬を飲んでいた時期もあった。
でも、だいたい効果はなかった。
時間だけが頼りだった。
2ヶ月すれば、穏やかな日常が帰ってくる。
貴子が成人し、運転ができるようになると、そういう時期は必ず「迎えにきて」と電話がかかるようになった。
買い物しすぎて持ちきれなくなるのだ。
仕方なく迎えに行くが、変な帽子をかぶっていたり奇抜な格好で偉そうに待っていることがほとんどだった。
貴子が就職して、母も時間が余りパートで働くこともあった。
しかし、興奮状態になってトラブルを起こし、解雇されて帰って来た。
飲食店が、迷惑だと母に塩をかけ、怒って帰って来たこともあった。
でも、そういう時期が過ぎると、母はほとんどを寝て過ごしていた。
最低限の家事はするので、家族としては楽だった。
興奮状態をなんとか家族総出で乗り切り、あとは穏やかに過ごす。
そうやって貴子は生きてきた。