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カタチのない世界  作者: 御堂筋優
2/2

始まり










20✕✕年 

 4月7日 金曜日



           かえってきた


       


                  飯島いいじまひかるの日記より 



~~~~~



「なにこれ」

「飯島光の日記の切れ端」


そんなの見れば分かる、と目の前の男を睨みつけるが当の本人はどこ

吹く風。

わざとらしく俺から目を逸らしコーヒーをすすっている。

その様はどこかしゃくに触って、俺の眉間みけんしわが寄っていく。


短気な人間なら、というか俺のよく知る友人ならおそらく力任せに

テーブルをり飛ばしていたことだろう。

だが俺は喧嘩けんかっ早い人間ではないし、後先考えない人間でもない。

ガラス製のテーブルなんてものを蹴り飛ばしたら片付けが大変だし、

新しいものを買わなければならない。

そして何より、彼女の前でそんな事をしてみろ。

あいつが黙っていない。

あとで何かしらの報復をされるのは目に見えている。


ふぅ、と軽く息を吐き、首の後ろをくことで感情をしずめる。

どうもこの男といるとイライラするというか、面倒臭いというか。

そもそも分かりきっていることを一々繰り返さずともいいのに。

何を考えているのやら。

そんなんだから皆に邪険にされるのだ。

飄飄ひょうひょうとしているといえばまだ聞こえがいい。

が、この男の場合は違う。

なんというか人間の感情変化を観察し、普通の人間が選ばないで

あろう行動をあえておこなっているのだ。

加え、他者の予想を嘲笑うかの如く、裏切っていくものだから救い

ようがない。

どうして人に邪険にされることを自分から進んでやりにいくんだ。


暇なのだろうか、構ってほしいのだろうか。

それとも俺をおちょくって楽しんでいるのだろうか。

大方、後者が正解なのだろうが、前者もあながち間違いではなさ

そうだから本当にこいつはたちが悪い。

まるで寂しいのを他人にさとらせないために元気にふるまう子供

のようで。

孤独を隠しきれず悪戯いたずらをして人の目を引きたがるこの男に、

思えば昔から振り回されている気がしてならない。


それでも俺がこいつとそれなりに長く関わっているのは、この男

が他の人間に向ける見下した笑みを俺に向けないからだろう。

人としての礼儀はきちんとわきまえているし、気が利いた奴だし。

少しひねくれた性格ではあるが、それは不貞腐ふてくされている時か

構ってほしい時だと理解しているのでその点に関してはもう気にしていない。

まぁ、こいつが俺にけっこうなついていることを理解している

から尚更なおさら無下に出来ないというのもある。


まるで素直になれない中学生とか、やっと懐いた野良猫みたい

なのだ。

そうと気付いてしまえば、この男の捻くれた性格もかわいく思えて

きてしまうようで、俺はまんまとこの男に絆されてしまった。

今ではこいつの変わった性格にも耐性がつき、疲労感をともなうものの

何だかんだいいながら特に気にも留めず、付き合っているのだが。



どうやら、俺の助手はそうもいかないらしい。



またたく間に男の手からコーヒーカップを奪いとる助手を横目に見る。


「あっ!!」


奪われたものを取り返そうと反射的に伸ばされた手は軽々と避けられてしまい、

男は眉をハの字に歪める。

それに対し俺の助手である彼女は、特にいつもと変わらず澄まし顔だ。


この二人は毎度会うごとにこういったたわむれをしている。

もしかすると喧嘩するほど仲が良いというから、案外気が合うのかもしれない。

一つ問題点をあげるならだんだんと喧嘩に花が咲いていることだろうか。

俺はこの男と中学からの仲だから、俺の友人と争っている光景をそれなりに見て

きた。

が、彼女のこんな姿は、この男と合わせるまで知り得なかった。

そのため、物珍しさと微笑ましさが混ざり合った心境で二人のじゃれ合いを

見守っている。

その事を語り聞かせた友人に「お前は父親か」と呆れきった顔で言われたことは

まだ記憶に新しい。

しかし断じて父親ではない。

俺はまだ独身だ。

なんてどうでも良い事を思い出していると、クッと袖をひかれた。

どうやら彼女が引っ張ったようで視線を向けると、何故かじぃっと目を覗き込ま

れる。


「どうした、綾香あやか


彼女の突飛な行動に首を傾げると、綾香はまるで何も言わなくても分かっている、

というふうにこくりと頷き、先程奪いとったカップに角砂糖を投入しはじめた。

ぽちゃんぽちゃんと音を立て、白い立方体が黒い液体の中に消えていく様をただただ

静観する。

3つ4つ目になってカップの中身をぐるりとかき混ぜる綾香は、ソーサーにスプーン

を置くとまた数個入れては混ぜていく。

その内、毎回ソーサーにスプーンを置くのが面倒になったのかカップに入れっぱなし

のまま無遠慮に砂糖を入れていく。

なんとも可笑しな行動にでた彼女は通常通りの無表情ではあるが、どこか楽しそうに

みえた。

だから俺の助手であり、可愛い姪っ子でもある綾香が楽しんでいるのならもう何も言う

まいと、俺はだんまりを決め込んだ。

しかし男だけは、佐々木だけは彼女の行動に思考が追い付いていないようだ。

呆気にとられ、間抜け面をさらしている。

そんな彼の視線の先には日頃の恨みと言わんばかりに入れてはまぜ、入れてはまぜを

くり返されたもと茶色ががった黒い液体が、なんとも言い難い濁った茶色に変化して

いた。

もう十数個は溶け込ませたであろうソレは先程より明らかにドロリとしていて、かき

混ぜるたびにジャリジョリと音を立てている。

彼女は俺の何を理解して、このような奇行に走ったのだろうか。

別に俺は佐々木に恨みはないぞ、と心の中で呟きながら少しだけ綾香から距離をとる。

見ているこちらまで胸のあたりがむかむかして仕方がない。

鼻の奥まで甘々とした匂いがこびりつき、頭がどんよりと重たい。

一度自分のコーヒーと、彼女のソレとを見比べて、なぜか「自分のものまで甘いのでは」

と疑い出す始末である。


しかし、それも仕方がない。

想像してみてくれないだろうか。

自分の隣に座っている人物の奇行によって視覚と嗅覚、そして果てには聴覚までが侵され、

ドロドロ、ジャリジョリ、と砂糖を混ぜられたら、それはもう洗脳の域ではなかろうか。

こうなってしまえばいくら砂糖の入っていないブラックコーヒーでも、真横から漂うニオイで

飲む気が失せるのは必定だ。


静かに、それでいて素早くカップから手を離す。


口と胸元を自然と抑えてしまうのはこの洗脳染みた胸やけに耐えるためか、それとも

これからソレを飲まされる佐々木を思ってか。

それは自分自身でも分からない。

しかし一つだけ断言できるのは、あれはもうコーヒーではないという事だ。

ある意味、一種のコーヒーと砂糖に対する侮辱ぶじょくとも言える。

折角のマンデリンが小瓶いっぱいの砂糖をぶち込まれてソーサーまで侵食している様

は、コーヒー好きの俺からすればなんとも物悲しい気持ちにさせる光景だ。

やはりこれから佐々木を襲うであろう悲劇より、俺に襲いかかった胸やけの気持ち

悪さとコーヒーを彼女の奇行から守れなかったという無念さが勝った。


佐々木、全てはお前の自業自得だ。

可愛い姪が奇行に走ったのも、コーヒーと砂糖が生贄いけにえになったのも全部

お前が悪いんだ。

だから今、綾香が最後の仕上げとばかりににガムシロップを数個注いでいてもお前が

責任をもってその元コーヒーを飲み干さなければならないんだ。

そうだ、これはお前に課せられた義務なんだ、と良く回らない頭で意味不明なことを

考える。

正常とはいえない脳は、紆余曲折にしかも変な方向へと展開していく。


安心しろ。

お前はまだ少し若いから恐らく糖尿病になることはないだろう。

きっとその元コーヒーを吹き出すか、少しの間のたうち回るか、それとも放心状態に

なるかのいづれかだ。

兎にも角にもまぁ、なんだ。

ご愁傷さま、お前のことは嫌いじゃなかったよ、と心の中で佐々木に合掌をする。

すると佐々木の前にすぅっと静かにカップが置かれた。。



「どうぞ、佐々木様」


桃色に頬を染め、ふわりとはにかんだような笑みを浮かべる綾香。

声のトーンも通常より柔らかな温かさを含んでいて、まるで別人のようだ。

現に綾香の奇行を見て青褪めていた佐々木も、今ではすっかり彼女の笑顔に目を見張って

いる。

再度綾香にうながされ、佐々木はコーヒーに手を伸ばした。

物珍しいものを見て動揺していることを隠そうとしているのだろう。

こいつは変なプライドを持っているから。

負けず嫌いというか、なんというか。

こんなことで強情にならなくていいのに。

思わず笑いだしそうになるが佐々木がカップに口をつけようとした瞬間、俺の中の色々な

感情が暗闇で電気を消したみたいにぱちりと音を立てて消えた。


「ぶふっ」

「あぁ、ソファーが」


茶色のしぶきが、真っ白なソファーに斑模様をえがく。

慌てることも驚くこともできず、あえて言うなら心だけが暗闇にいて身体という器がこの

現状の前にポツリと存在しているような、そんな心境で傍観に徹する。

そう言えばこのソファー、彼女のお気に入りだった筈だが大丈夫なのだろうか。

佐々木がカップに口をつける時ふと思い出したが、砂糖による洗脳と役に立たない頭で

狼狽ろうばいするあまり脳が働かなかったらしい。

人間あわてると良い事がないと思い知り、お気に入りのソファーを汚されてた彼女が気に

なってチラリと隣に座る綾香を一瞥すると、


「佐々木様、本日のご用件をお聞きし忘れておりました」


と言うだけで特に不機嫌になることはなかった。

そのことに首を傾げつつ、確かにはなしを聞かなければ先に進まないなとソファーを拭く

佐々木に先を促した。




ことの始まりは、4年前。

佐々木のもとに、ある男たちの事を調べてほしいという依頼がきた。

その男たちというのは、相沢あいざわ恒成つねなり森山もりやま洋平ようへい滝口たきぐち健一けんいち河中かわなか隆史たかしの四名で、

5年前に1度警察に捕まったことがあり世間を騒がせた。

どうやら連続誘拐事件の首謀者である疑いがかかったらしいのだが、警察は確実な証拠を

つかむことが出来ず、やむなく釈放されたのだとか。

10代から20代の女性ばかりが誘拐されたその事件はその頃ニュースなどに大きく取り

上げられていた。

しかし結局のところ詳細は不明のままに終わり、事件は幕をとじた。




「それで、なんでその事を俺に言いに来たわけ」

「まぁまぁ、そう急ぐなって。この話には続きがあってさ」


相沢、森山、滝口、河中の4名は釈放された後、各々普通に生活していた。

サラリーマンだったり、営業マンになって、家庭を持って他県で暮ら

してたんだが何故か3か月ちょっと前にこっちに帰ってきたんだ。


「その事を飯島光に話したら、何でか連絡が取れなくなってさ」

「なるほど。人探しをしろ、と」

「そういう事。依頼を続行すればいいのか、それとも打ち止めにすれば

 いいのか。はっきり聞かない間に連絡できなくなったから、どうすれば

 いいのか迷っててさ」


自分で探しても良かったんだけど急用が入っちゃって、と頬をかく佐々木。

探偵の俺より、情報屋の佐々木の方が人探しに向いているのだが、急用

ならば仕方がない。


「飯島光は何故、その4人を調べるんだ。誘拐された人間が身内にいる

 のか」

「うん、妹さんが誘拐されたらしいよ。しかもここだけの話、その誘拐

 された女の人たち亡くなってるんだって」


詳しい事はニュースとか新聞とかには載ってないんだけど、どうやら

相沢たちはなんだかよく分からない宗教団体に入っていたみたいで、

その団体の集まる教会にその誘拐された人たちの遺体があったんだって。


「殺された、のか」

「いや、それがね?その教会、地震があって崩れちゃったみたいで、

 そこから出てきた遺体が誘拐事件の行方不明者と一致したんだ。

 だけど本当に彼女たちは誘拐されたのか、それともただ単に何らかの

 理由があって教会を訪れていたときに偶然地震がおきてしまったのか、

 それすらも定かじゃないからさ。だから一概に殺されたとは言いきれ

 ないんだよね」

「...しかしだとすれば、なぜ相沢たちは戻ってきたんだ」

「うん...しかも4人全員。これってどう考えても怪しいよね。こっちに

 戻ってきたのは家族にも話していないらしいし」


もしも亡くなった女性たちが、自分の意思であの協会にいたとして。

偶然おこってしまった地震で亡くなったのなら、なぜ相沢たちは戻ってきた

のか。

事件の日から一年おきに帰ってきていたのなら、亡くなった女性たちの年忌で

墓参りに来ているとも考えられた。

が、事件から4年以上もたっているというのになぜ今更。


「相沢たちが戻ってきたのは約3か月前だったな」

「そうだよ」

「じゃあそれから相沢たちは、どうしてるんだ」

「1か月前に1度自宅に行ったきりこの町を離れてないよ」

「4人ともか」

「うん。しかも四人そろって同じ日にまた戻ってきた」


そうなると、相沢たちの家族に話を聞きに行くのは難しそうだ。

この町に来たことを知らされていないなら、恐らく相沢たちは出張だと

でも言って本当のことを話してはいないだろう。

きっと5年前の出来事についても、そしてこの町に来た理由やこれから

やろうとしていることについても一切話していないに違いない。

それなのに探偵が押しかけるというのは色々と怪まれる可能性が高い。

身分を明かさず、相沢たちの知人だと名乗っても彼らの人柄を把握して

いない俺が行ったところで説得力などありはしない。

会社の同僚、上司、部下を名乗るのはもちろん却下だ。

会社の人間がプライベートにまで踏み込むのは、どう考えてもおかしい。

非常識だし、なにより彼らが出張している間の訪問というのが何とも胡散臭い。

やはり家族に会って話を聞くというのは無謀か。

三か月前の、もしくはそれ以前の彼らの行動について何か不審な点がなかったか

を聞きたかったんだがどうやら無理そうだ。

身近な者たちなら何らかの変化を感じ取っていると思ったんだが。

いや、変化なんてない方がいいのかもしれない。

きっと彼らの家族は、ただただ帰りを待っているのだろうから。

それを思えば相沢たちが5年前の事件とは無関係で、本当にただ何か用事が

あってこの町に帰ってきて、これから何も仕出かすことなく家族のもとへ

戻っていくことを祈りたい。

しかし俺はまだ何も知らない、知らなすぎる。

5年前の出来事についても。

相沢、森山、滝口、河中のについても。

この4人が入っていた宗教団体についても。

そして飯島光についても。

だが俺が調べなければならないのは、飯島の所在と佐々木への依頼が継続

されるか否かだ。

それ以外は、俺の仕事の範疇ではない。


「兎に角、飯島のことは探してみる」

「ありがとう、助かるよ」

「復讐しに行って、返り討ちにあってなきゃいいな」

「不吉なこと言わないでッ!!」

「ははっ、冗談だ。ほら外出るぞ」


事務所の鍵をかけて外にでる。

助手が車を取りに行っている間、飯島光について書かれたものを流し読みし、

眼前に止まった車に乗り込む。


「乗っていくか」

「いや、いいよ。迎えがくるから」

「そうか。じゃあ何かあったら連絡する」

「よろしくね」

「...出していいぞ、綾香」


運転席の助手に声をかけると、彼女は何故か外にいる佐々木を見つめている

だけで車を進めようとしない。


「赤林ちゃん、どうしたの」

「佐々木様...」

「えっ、これはもしかして俺と離れるのが寂しいとか思ってくれちゃったり」

「...あの、近々そちらに訪ねさせていただきますね」

「ほ、ほんとうに!!」

「はい..........ソファーの請求書を持って」

「.....せい、きゅうしょ?」


ピシリと固まった佐々木に「では、後ほど」と会釈をすると、綾香はアクセルを

踏み車を進めた。



「...綾香」

「赤林さん、次のソファーは何色がいいですかね?」

「......お前の好きにしろ」

「それなら前の白いやつの二倍くらい高いの買いましょう。上品な深紅のなんて

 どうでしょう」


無表情ながらやはりどこか喜々とした綾香は、俺の住むマンションに向かって車を

走らせる。

遠くで、佐々木の悲嘆の声が聞こえた気がした。













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