とある歌姫の幸福 後編
「それで、お話といいますのは…」
「………五年前から、後悔していることがあります」
あらあらあら? なんの話かしら。
シュナイダー様は、やけに真剣な瞳で、私を見つめます。その瞳の色も素敵ですね、と思わず口から漏れ掛けたのを、慌てて抑えました。危ないです。
「貴女を、みすみす失ったことです、ロザンナ様」
「………」
失礼。意味を理解するのに、しばし、時間が掛かりました。
「えええっと」
直球過ぎないかしら。なんと返せばいいのか、困ってしまうわ。一応、他のメンバーには、“こちら側”に引き摺り込むなら伝えてヨシ、と言われているけれども、その良し悪しの見極めは、直接話を聞いた上で決めようと思っていたのだもの。まさか初っ端から爆弾投下されるなんて、誰も思わないでしょう?
彼は、私を追い詰めるように、「ロザンナ様?」とこちらの顔を覗き込んできます。その眼差しに、ドキリと胸が高鳴ります。
―――ええ、私、決めました。
にこりと微笑み、「失礼いたします」と右手をス、と胸の辺りまで持ち上げ、そのまま二度、三度と机に打ちつけました。バンバンバン、となんとも間の抜けた音が部屋に響きます。
そして直後、それ以上に大きく激しい音で、扉が蹴り開けられました。
「ナンシー!?」
「…あら、ヴァン様じゃなくてエミリーだわ?」
変ね、彼が出てくると思ったのに。そしてエミリー、貴女は対象の監視に戻ったのではなかったかしら。ああ、大方ヴァン様が呼び戻したのね。
この状況でお分かり頂けると思いますが、私は早々に戦闘を放棄したのでした。だって、正攻法の対策なんてしてなかったんだもの。私には荷が重いです。逃げるのも戦術の内です。
(私が)やられる前に、(他の人の力を使って)やってやれ、の精神です。
「おのれ商人。純粋な歌姫に手を掛けるとは何事ですか」
「失礼な、まだ何もしてない」
「ほう…?」
エミリーの目が据わっています。これはシュナイダー様に、流石に申し訳無かったかしら。
「本当ですよ、エミリー。何もされておりませんもの。ただ…」
「ただ?」
にこりと笑い、スカートの裾を摘んで軽く礼をします。
「久し振りに拝見したシュナイダー様が以前にも増して素敵すぎて、敵前逃亡いたしました」
要するに、このまま突き進むと、負ける予感がしました。目を見ていたら、ほら、なんとなく分かるじゃないですか。捕食者はどちらか、って。ああ、ヴァン様、貴方様の忠告を笑い飛ばして申し訳無かったですわ。一言、二言話して、私はようやく悟りました。
「何をしているんですか貴女は」
「あら、我ながら、冷静な判断を下したと思ってますのに」
「そこはよくやったと思ってますけど」
褒められました。この歳になっても嬉しいものですね。
「やはり、惚れた弱みを持ったまま立ち向かうのは、不利ですわね」
「惚れた弱みは、今でも有効ですか?」
シュナイダー様に食いつかれました。そこまでして私の弱みを握りたいのでしょうか。
「貴女がロザンナでもナンシーでもいいんです。俺は、貴女が貴女なら…」
「私の前でよくもまあ、口説くことを継続しましたね。その心根は褒めて差し上げます」
「…邪魔するな。覚悟があれば良いんだろう?」
「今と昔じゃ状況が違います。貴方がうじうじしている間に、彼女は我らの大黒柱になっているのです」
「女一人に頼っているようでは先が知れるが」
「………」
「………」
最終的には無言の攻防戦がスタートしました。えーと、仲がよろしいのですね。私、少々妬いてしまいます。
どうしたものかしら、と視線を泳がしていると、扉の向こうから、ちょいちょい、と手招きをしているヴァン様に気付きました。そっと戦線離脱して、そちらに伺います。
え、なんですの。耳を澄ませろ? 違う? ああ! 耳を貸せ、ですね! 口で言ってくださればよろしいのに!
コソコソと耳元で出された指示に首を傾げながら、もう一度前線に向かいます。
てこてこと、未だに無言で睨み合うエミリーとシュナイダー様の間に入り、す、と息を吸います。任せてください、私、演技も上手だと言われているんですよ! ちょっとばかり照れますが、今は捨て置きます。
「止めてください! 私のために争わないでくださいませ!」
ああ、恥ずかしい。見当違いも甚だしいことを、何故叫ばなくてはならないのかしら。自然と頰が熱くなります。ええ、ええ、分かりますわ、私が晒し者になって、場が白けた隙に丸く収めてくださるのですよね、ヴァン様?
「………ろ、ロザンナ様?」
「ヴァン…貴方は、なんと卑劣な…」
ヴァン様、エミリーにバレてます。
「言わされていると分かっていても、止めてしまう自分が憎いです」
でも有効みたいです。流石ですわね、軍師様。私には、こんな捨て身の作戦思いつきませんもの。
さて、ここにはまだ続きがあるのです。こほん、と空咳をして、話し始めようとしたら、「わにゃ…」噛みました。いけないわ、私、結構、動揺してます。
「わ、たしは、お二人と、仲良くお仕事をしたいですわ。シュナイダー様、貴方が私を追って来てくださったということは、こちら側に足を突っ込む覚悟の上だと受け取ってもいいのかしら」
「………ああ」
望んでいることは、それではないのだが。と小声で呟く声は、生憎と台詞を思い出すことで精一杯の私には、届いておりませんでした。ですので当然、見向きもされないシュナイダー様をいい気味だと笑うエミリーにも、気付きませんでした。
「貴方はシュナイダー商会の跡取り。私の代わりに資金を出すことは、難しいでしょう。商会のお金を使う訳には参りませんもの。もし貴方の立場を利用するのでしたら、情報収集面からでしょうね、となると、エミリーと組んでもらうことが一番です」
「ナンシー、私にこの男と組めと?」
ええっと、嫌そうなエミリーに対する台詞はなんだったかしら。ちょっと待ってくださいませ、今思い出しますから。
えーと、えーと。
「“私、早く仕事を終わらせて、貴方と一緒に暮らしたいわ”」
………あ。
違います、これ、シュナイダー様用でしたわ。ごめんなさい、ヴァン様、私とあろうものが、失敗しました。
「…仕方ないですね、嫌ですが、すごーく嫌ですが、頑張りましょう」
「そうですわよね、やっぱり嫌…あら?」
私と生活するのが嫌な訳ではないの?
当時のお嬢様と侍女だった頃の生活を、貴女も少しは楽しんでくれていたのかしら。それなら、嬉しいわ。珍しく照れてみせるエミリーに、私はにこにこ笑い掛けました。
「…貴女が、そちらの侍女と暮らすために早く仕事を終わらせたいなら、俺は手伝いたくないのですが」
………そういえば、もうひとつ問題がありましたわね。どうしましょう。
困ったように首を傾げ、「シュナイダー様は、どうしたら私に靡いてくださいますか?」と訊ねると、彼はピキンと固まりました。ああ、やっぱり嫌ですわよね。でも、ここまで色んな事情をぶちまけたとなると、こちら側に来て貰わないと、困ってしまうのです。
固まったシュナイダー様に、ヴァン様が近寄り、コソコソと耳打ちします。
その瞬間、石化の魔法が解けたシュナイダー様は、恐ろしい程据わった目で、「やる」と一言言い放ちました。ああ、その低い声も大変素敵だと思います。惚れ惚れしますわ。…でも、ヴァン様はなんと仰ったのでしょう。
チラリと見ると、人差し指を口に当てて、にんまり笑われました。秘密ということですね。秘密にされると気になりますが、私にはまだ早いということなのでしょう。大人しく引き下がります。気になりますけど。
「さ、話はまとまった! エミリー、彼への説明、任せた」
「なんで私が」
「これから連携取るってのに、説明くらいできなくてどうする」
「………」
すごく不満そうに、二人が出て行きました。協力すれば、いいペアになると思うのですが。
「あ、ヴァン様」
「なにかなお姫様」
気取った口調をするヴァン様に、にこりと笑い掛けます。
「私、次は幸せな恋の歌を歌いたいわ」
“ナンシー”はこれまで、悲恋しか歌ってきませんでした。その意味を知るヴァン様は、いいのかい、と目を見張る。
「だって私、今とっても幸せなんですもの。夢かと思うくらい」
本当の私は、ひょっとしたら、中年貴族に飼われて、殺されて、埋められているのかもしれない。これは、そんな私が見せている、ただの夢なのかもしれない。
そんなことを考えてしまうくらい、幸せなのですよ。
だから。
「みんなが聴き惚れる程、素敵に歌うわ」
ヴァンさんが商人さんに耳打ちしたことは、ろくなことではないです。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、みたいなことだったり、例のキーホルダーを作った背景だったり、とある少女の恋心だったり、歌姫さんの好きなものだったり。
釣り餌には困らなかったようです、よ?
同僚の純粋さを売りに出しました。
侍女さん達は、歌姫さんは賢いと思っていますが、基本的にこの子の頭は当時からコレでした。賢いっちゃ賢いですが、紛れもなくお馬鹿です。
そして良くも悪くも諦めが非常に早いです。
さてさて、アンカー、無事にゴールしました!
拙い作品ではございますが、最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
これからも、見捨てず読んで頂けますと、大変嬉しく思います。
あと一話分、番外編的な小話を更新予定ですので、よろしければそちらもドウゾです。
彼らの未来に幸多からんことを。。