とある歌姫の幸福 前編
エミリーの手を取った私は、奇跡の歌姫として、今、生きています。
私の仕事は、主に資金集め。情報収集には非常にお金が掛かる上、なかなか公の場に出たがらない人が多いので、これまでは難儀していたそうです。
そこで、私の歌の登場、というわけです。しかし、公に出たら困るのは私も同じ。いろいろな真実をひた隠しにするために、“売り出し方”を考え、今に至りました。
ヴェールに包まれた謎の歌姫。
その効果は、凄まじいものでした。皆さん、秘密がお好きですのね。
「ナンシー! 今日も素晴らしかったよ!」
プロデューサー兼営業担当であるヴァン様が、ひゃっほおおう、と言いながら走り寄ってきます。相変わらず、陽気な方です。
「グッズの売り上げも…ぐふふ」
「ヴァン、下品な笑みを引っ込めてください。その辺りの物が腐ります」
「俺はモンスターか!?」
ひょっこりと顔を出したエミリーは、は、とヴァン様を鼻で笑うと、「ナンシー」と呼び掛け私の方へやってきます。
「貴女の歌は、いつ聴いても綺麗ですね。流石は私の掘り出し物」
「ふふ、エミリーは優秀ですものね」
「その通りです」
むん、と胸を張るエミリーは、わざわざ私に挨拶しにきてくれる、いつもの優しい彼女です。
「危ないこと、してない? 次はいつ帰ってくるの?」
「ナンシーは心配性です。近々、ケリをつけますよ。あの下卑た視線をこの私にまで向ける変態が!」
怒っていらっしゃいます。
まあまあまあまあ、とヴァン様が必死にご機嫌取りをしていますが、エミリーの周囲には変わらず怒気に溢れた空気が漂っています。
「エミリー、貴女は優秀ですけど、万が一もありますもの。特に下品な人は、最終的に何をしでかすか分かりませんから、お気をつけくださいませね」
「心に留めておきます」
「ナンシーの言うことなら、よく聞くのになあ、お前」
ヴァン様が、がくりと項垂れます。心配しなくても、ヴァン様の言葉もきちんと聞いていますよ。ただ今更真面目に聞く姿勢になることができないだけでしょう。そういう意地を張ってしまうところも含めて、エミリーは可愛いのです。
「ところでナンシー、あのキーホルダーは…」
「可愛いでしょう!」
「可愛いですが…」
心配そうに私を見るエミリーに、にこりと笑い掛けます。
「一生に一度の恋ですもの。このくらい許されると思わない?」
「過去と今は違います。今の貴女には、他にもいろいろな可能性があるんですよ。そこらへんの見目麗しい貴族を捕まえてもいいし、そこの汚い男を捕まえてもいいわけです」
「はは、そこの汚い男、って俺のことかい?」
その質問に、エミリーは答えません。私は汚いとは思わないですけどね。営業マンですから、舐められず、かつ嫌味にならない程度の小綺麗な格好をしていますもの。
「私に可能性が広がったのなら、今度は一緒に笑い合える未来を望みたいわ」
あの当時は、あり得ないといって切り捨てるしか無かった未来を。
当然、当時の関係者に関わりを持とうとすると、素性が割れる危険性も高まる訳ですが、そこは特に心配しておりません。もし疑う者がいたとしても、絶対にラドラゼルフ家には辿り着けないのです。そんなに甘い組織ではないのですよ。
割れるとしたら。それは。
「…貴女もあまり、無茶をしないようにしてください、ロザンナ」
「分かってますわ」
私を奇跡の歌姫と称するならば、その奇跡を起こしてみせましょう。
いつも通りに微笑んで、ドレスの裾を摘まんでみせます。
「…最近、貴女がその表情をする時は、意外と厄介なことを考えている時だということに気付きました」
「俺も。お姫さん、見た目によらず腹黒いよなあ」
「まあ! お褒め頂き、光栄です」
ぽん、と手を合わせると、「褒めてないです」と口を揃えて言われた。うふふ、仲良しさんですね。
これだけ優秀な方々ですもの。
素性が割れるとしたら。それは。
―――自ら、バラした時です。
“種まき”の効果は、予想以上に早く出ました。
「ナンシー、王子様から商談が来てるぜ」
つーか絶対これ商談がしたい訳じゃないだろ、エミリーが見たら怒り狂うな。
ヴァン様はブツブツ言いながら、頭を掻きむしっています。
「どうする…って、訊くまでもないか」
そうですよ、ヴァン様。
心は初めから、決まっているのです。
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そわそわします。やっぱりほら、女の子ですから、好きな方とお会いするとなれば、胸も高鳴るというものです。
落ち着かないです。あっちへうろうろ、こっちへうろうろしていたら、ヴァン様に叱られてしまいました。
大人しく椅子に座って待つこと数十分(楽しみで早くに準備を終えてしまったのです)、コンコン、というノックの後、「ナンシー、入るよ」というヴァン様の声がしました。
とうとう来ました。口から飛び出しかける心臓を飲み込みながら、「どうぞ」と返し、その場で立ち上がり、出迎えます。
「お初にお目に掛かります、エルネスト=シュナイダー様。本日は、わざわざこちらまでお越し頂き、恐縮ですわ」
扉の向こうから現れたのは、あの時よりも精悍な顔立ちになった、想い人。ああ、やっぱりいつみても麗しいわ! いえ、もう“麗しい”という言葉はあまり似合わないかもしれません。男らしさがグッと増した顔立ちに、なんて言葉が似合うかしらと、内心で首を傾げます。
「こちらこそ、突然の申し出にお応え頂き、感謝致します」
握手を交わして、椅子を勧めます。
「ナンシー、ちょっといいか」
ヴァン様が入り口で手招きしています。失礼、と一言断りを入れてから、彼の元へ駆け寄ると、チラチラと奥を気にしながら、小声で「一人で大丈夫か」と心配そうな声を掛けられました。昨日の時点で、私が一対一で話すことは確認しておりますのに、いったいどうしたというのかしら。
不思議そうな顔をしている私に気付いたのでしょう。ヴァン様は盛大にため息を吐くと「ほんと我らが姫さんは、普段鋭い割に、その辺りは無頓着だなあ」と呆れ声です。その辺りって、どの辺りかしら。
「エミリー曰く、“紳士”だから二人きりでも大丈夫って話だったんだが、ありゃあなぁ…。俺、すっげー睨まれてるしさぁ。あいつの情報もアテになんねぇ」
「あら、エミリーは優秀ですよ。それに、シュナイダー様は紳士ですわ」
「そうであることを、俺は祈るよ。とにかく、何かあったら暴れて知らせろよー」
尚も不安げなヴァン様は、やはり奥を気にされるように視線を何度かやってから、念押しするようにそう言い、部屋を出て行かれました。ヴァン様ったら、心配性なんだから。くすくすと笑いながら、シュナイダー様の元へ戻ります。
「彼は?」
開口一番にそう訊ねられました。彼、と言われ、パッと誰のことか思いつきませんでしたが、「ここまで案内をして頂いた方です」とフォローされ、ようやく合点がいきます。
「ああ、ヴァン様のことですね。彼は、わたくしの…そうですね、プロデューサー、ですわ。それがどうかいたしまして?」
「いえ…」
特には、と言われてしまいました。うーん、天気がいいですね、と同レベルの世間話だったのでしょうか。あら、いけない、天気と同じ扱いにしたら、ヴァン様が怒りそうだわ。
ちょっと自信ありげな歌姫様。
牙を隠す商人さんに、警戒する侍女さん。
さてさて…?