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とある商人から見たお嬢様 前編

 ラドラゼルフ家というと、誰に聞いても、「あの(・・)悪名高いラドラゼルフ家か」と全員が全員、口を揃えて言う。最大級の侮蔑を込めて、かつ誰にも聞かれぬように小声で。確かにあの家には、良い噂は一切聞かない。黒も黒、真っ黒だ。

 俺ことエルネスト=シュナイダーも、ラドラゼルフ家なんて嫌いだ。いや、俺は貴族が一般的に嫌いだ。あの、いかにも自分は身分がある種族でお前達とは違うのだと見下す姿勢がいけ好かない。こっちが下手に出てやれば、無駄に調子に乗る。父親の商談の場で、そんな光景を見てきたからかもしれない。

 商人となるからには、いずれ折り合いを付けろと父親から言われているが、それでもまだ無理だ。俺の貴族嫌いは有名らしく、人はなかなか近付いて来ない。

 ―――はずなのだが。

「シュナイダー様!」

 何故か、悪名高いラドラゼルフ家のお嬢様は、俺にご執心らしい。まあ、遊びなのは間違いないが。

 それでも、あの家の者とは思えない無垢な笑顔を見ていると、絆されそうになる自分がいるのも確かだった。

「おはようございます! 今日も素敵ですね!」

 真正面からの言葉に、なんと返していいのか分からない。彼女は貴族として、これから先やっていけるのだろうか、と要らぬ心配までしてしまう。いや、このお嬢様のことなど、どうでもいいのだが。

 小声でぼそぼそと挨拶だけ返し、逃げるようにその場を去る。情けないぞ、俺…。

 ロザンナ=ラドラゼルフは、想像よりもずっと純粋で、俺の嫌いな貴族像とはかけ離れている。だというのに、苛立ちを運んでくる不思議な存在だった。

 初対面で馴れ馴れしくも名で呼ばれたので、不快感のままに暴言を吐けば、「それもそうですわね。私ったら」と照れた顔で笑い、「シュナイダー様」と言い直した。以来、彼女は一度も俺の名は呼ばない。

 ラドラゼルフ家のお嬢様は、いつも一人だ。取り巻きすらいない。学校に通い始めた当初は、甘い汁を啜ろうと近寄る者が後を絶たなかったのだが、鉄壁のガードにあえなく断念したと聞いている。あの頃は、権力者は少しのおこぼれも他人に渡したくないらしいと鼻で笑ったが、ひょっとして本当に彼女は悪に手を染めてはいないのでは、と思ってしまう。

「あら、シュナイダー様」

 今日も今日とて、彼女は俺を見つけるなり、近寄ってくる。俺は精一杯、嫌そうな顔をする。実際、嫌なのだ。調子が狂うから、これ以上構わないで欲しい。

「それは何ですか?」

「あー…これですか」

 手の中の不要品を転がす。変な話題を提供してしまったな、と思いながら、逃げるように視線を落とす。

「これは、シュナイダー商会が二十周年を記念して配るキーホルダーの試作品…の、ボツになった物です」

 母親に押し付けられたのだ。貴方、こういうの好きだったでしょう、と。あの人はいったいいつの頃の話をしているのか。そりゃあ幼子にはなんでも嬉しいだろうが、この歳の男がキーホルダーを貰って喜ぶ訳がない。八つ当たり気味に、手の中のキーホルダーを握る。

「まああ、でしたらそれ、要らないものですの?」

「…ええ、まあ」

 確かに、要らないものではある。

 どことなく期待のこもった眼差しを向けられ、その意図に気付いたものの、だからといって素直に渡すのは癪だ。

「要らないのでしたら、欲しいです!」

 癪だったのだが、真っ直ぐ過ぎる言葉に思わず、負けてしまった。ほんと、調子が狂う。


 俺は、こんな日々がこの先もずっと続くなんて能天気なことを思っていた訳ではない。しかし、もうしばらくは続くのだと、信じてはいた。


 キーホルダーを強奪されて、しばらく経った頃、お嬢様の突撃がプツリと途絶えた。まるで初めから何も無かったかのように、一切が消え失せた。

 初めは気のせいだと思った。そもそも、毎日のように顔を合わせていたことの方が異常だったのだ。それが、正常に戻ったくらいだ。顔を合わせたら、きっとまた笑いながら走り寄ってくるのだろう。

 一週間が過ぎ、更に一週間が過ぎ、とうとう一ヶ月が過ぎても、俺はうだうだと考えていた。

 その内、俺とお嬢様の噂は完全に消え、代わりにお嬢様の結婚話が持ち上がった。この歳での結婚は、貴族の間では珍しくも無い。しかし、彼女の家柄と、相手の家柄が問題だった。

 悪名高いラドラゼルフ家のお嬢様と、“妻殺し”の貴族の結婚。

 毒を以て毒を制するような劇に、どちらの毒が強いのかと、くすくす笑いながら勝手な賭けをする周囲に、反吐が出た。

 決して絆された訳ではない。そういう訳ではないが、彼女は、毒を持っているような女性ではない。そう思う。

 しかし。

 なんでもないように微笑みながら、廊下を歩く彼女の姿に、俺は揺らいだ。俺は結局、本当の彼女のことなど何も知らない。知る時間も、知るつもりもなかったのだ。

 まるで俺のことなど眼中に無いと言わんばかりに、立ち尽くす俺の横を、スルリと彼女が通っていく。

 久々の邂逅は、それで幕を下ろす、はずだったのに。

 情けなくも、縋り付いたのは、自分の方だった。

 しかし、言葉は出てこない。そもそもなんのために、俺は彼女を呼び止めたのか。呼び止めるためだけに、女性の腕まで掴んで。

「お離しくださいませ。人を呼びますわよ」

 彼女はあの当時とは違い、辛辣な言葉を吐き、まるで虫ケラを見るような目を俺に向ける。

 ああ、これだから貴族は。

「っ、結局は、貴女のお遊びに付き合わされたという訳ですか」

「なんのことでしょう。…ああ、あの時のことね。なあに、まさか本気だなんて思っていなかったでしょう、貴方だって」

 見透かされるような言葉に、俺は言葉を詰まらせた。そうだ、俺は彼女の言葉を本気だなんて、思っていなかった。所詮はお嬢様の道楽。だから。

 ………だけど、それなら、何故こうまで心を掻き乱されるのか。

「いい社会勉強でしたでしょう? それではごきげんよう」

 彼女は、俺の腕を振り払い、馬鹿にしたように笑ったまま、去っていく。

 どの彼女が、本当なのか。

 どうして俺は、ここまで気にするのか。

 いいじゃないか。今更自分が足掻いたところで、何も変わりはしない。そもそも、変えるつもりなんかない。結婚でもなんでもすればいい。

 チャリ、と音が聞こえた。

 彼女の鞄に付けられたソレに、俺が渡したキーホルダーに、反射的に身体が動いた。しかし、俺の前に彼女の侍女が立ち塞がる。

「中途半端な覚悟なら、手を出すのはお止めください。貴方様に、我が主を救い出すのは、到底無理です」

 ガツンと鈍器で殴られたような衝撃。

 侍女は俺を睨むと、彼女の後を追っていった。まるで自分にはその覚悟があるのだと言わんばかりに。

 俺は、しばらくその場に立ち尽くしていた。


 その数日後、ラドラゼルフ家が潰れた。とうとう、数々の悪行が公にされたのだ。

 当主と奥方が極刑となった。その娘も、家の罪を償い、死んだらしい。

 俺は。

『中途半端な覚悟なら、手を出すのはお止めください。貴方様に、我が主を救い出すのは、到底無理です』

 侍女の言葉を思い出していた。

 俺は救えなかったのだ。

 あの、自分に向けられた笑顔を。




そのような訳で(どのような訳で?)、侍女さん視点では空気だった、商人さん視点です。

巻き込まれた挙句にトラウマ植え付けられました。

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