とある侍女から見たお嬢様 前編
ラドラゼルフ家というと、誰に聞いても、「あの悪名高いラドラゼルフ家か」と全員が全員、口を揃えて言う。最大級の侮蔑を込めて、かつ誰にも聞かれぬように小声で。かの家は、悪事を重ねているという事実は確かにあるはずなのに、なかなかに決定打を残さない狡猾さを持っている。その上、家柄もそれなりに“上”の方だから厄介なのだ。
私ことエミリー(偽名)は、こういった事情があって、二年程前からラドラゼルフ家に侍女として潜入捜査している。外部から突いて駄目なら、内部から、だ。
努力の甲斐あってか、それとも何か別の人事的なものが働いたのか、一年前からはラドラゼルフ家の長女であるロザンナ=ラドラゼルフ付きの侍女として働いており、だいぶ動きやすくなった。どこだって、新人はなかなか自由が利かないものだ。
さて、私が仕えるロザンナだが、悪名高いラドラゼルフ家において、唯一の良心、あるいは生粋の馬鹿者だと言われている。というのも、この家の出身にしては、あまりにも純粋過ぎるのだ。侍女に辛く当たることもなく、成績不振な訳でも、逆に奮っているわけでもなく。この家にありながら、とにかく普通すぎて、逆に異常だ。
そんな彼女は、今、(本人曰く)一生に一度の恋をしている。
お相手は、貴族嫌いで有名なエルネスト=シュナイダー。大手であるシュナイダー商会の一人息子だ。
惚れた理由は、彼の“慈善”に感銘を覚えたから、らしい。
以前にロザンナが可愛がっていた野良犬の親子がいた。彼らは家族で生きてゆける程の餌が無かったのか、ひどく弱っていた。ロザンナは、そんな犬の親子に心を痛め(本当にこの娘は、あのラドラゼルフ家の一人娘なのか?)、一時凌ぎでもいいからと、隠れてこそこそと食事の世話をしていた。
しかしある日行ってみると、犬の親子の姿が無い。よもやどこかで…と、ロザンナは非常に焦った。探して、探して、探しまくって、それでもどうしても見つからず、泣きながら帰った次の日、犬の親子をリードで繋いで散歩させるエルネストを見掛けた。
彼女はすぐに気付いた。彼があの犬の親子を救ってくれたのだ、と。
―――真実がどうであれ、彼女の中ではそういうことになっている。
「シュナイダー様!」
彼女は、校門付近で彼の姿を見つけるなり、小走りで駆けていく。初対面でエルネスト様と呼び掛けたところ「話したこともないやつに、名前を呼ばれたくない」と言われ、以来律儀に苗字で呼び掛けている。
「おはようございます! 今日も素敵ですね!」
その挨拶はどうかと思う、と何度言っても直らない挨拶をして、案の定引かれている。だから止めろと言っているのに。全く、分からない子だ。まさか気付いていないのか?
しかし相手も真面目なので、最終的には何かいろいろなものを飲み込んだ顔で「………おはようございます」と非常に小さな声で返す。その瞬間、ぱあぁ…っと花が咲くような笑顔が、ロザンナの顔に溢れた。
にっこにっこと嬉しそうなロザンナを複雑な顔で見つめてから、エルネストは「それでは私は、用事がありますので」と足早に去って行く。ロザンナはその後ろ姿を、ぽうっと頬を染めながら、見つめていた。
「エミリー、今日もシュナイダー様は麗しかったです」
「そうですか、お嬢様。それは何よりでございますね」
この恋に先はあるのだろうか、と私は疑問を禁じ得ない。最近のエルネストは、ロザンナの積極性に押し負けて来ている気はしているが、だからといってそれが恋に発展するかは、全くの別問題である。多分押し方がおかしいのだ。
それに、ラドラゼルフ家はその内、没落する。というか、私はそれをするためにここにいる訳だ。だから、ロザンナももうすぐ恋どころではなくなる。
それを考えると、エルネストが靡かない今の状態の方が、結果的には良いのかもしれない。好き合っている二人が引き裂かれるなんて悲劇なんて見たくないし、まして駆け落ちするなんて結果誰も望んではいないだろう。
ロザンナには悪いが、ラドラゼルフ家の滅亡は、既に始まっているのだ。
未だに頬を染めている何も知らないロザンナに、罪悪感が生まれない訳では無かったが、それとこれとは話が別だ。そこを切り離せないと、こんな仕事やってられない。
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さて、私がいろいろなネタを集めている間に、ロザンナの恋にも多少の進展があったようだ。
基本的に私はロザンナ付きの侍女なので、ほとんどを彼女の傍で過ごすのだが、たまにお手洗いやら密偵ゆえの諸事情で傍を離れる時間がある。その短い時間で、偶然出会い、なんとプレゼントを貰ったらしい。
いや、正確には、要らない物を奪って来たらしい。
………進展した、という先程の言葉を撤回するべきか。
とにかく。
あっちへこっちへ脱線するロザンナの話をまとめて繋げると、こういうことになる。
ロザンナが中庭で私を待っていると、たまたまエルネストが通り掛かった。ロザンナはラッキーと思って話し掛けた。ここまではいつも通りだ。
彼は手に、妙なキーホルダーを持っていた。
「それは何ですか?」
「あー…これですか」
エルネストは、手の中のキーホルダーをいじりながら(その様がまた格好良かったらしい。ロザンナ談)、答えた。
「これは、シュナイダー商会が二十周年を記念して配るキーホルダーの試作品…の、ボツになった物です」
「まああ、でしたらそれ、要らないものですの?」
「…ええ、まあ」
嫌な予感でもしたのだろうか、言い淀むエルネストに、我が主は笑顔で告げたそうだ。要らないのでしたらください、と。
諦めたのか絆されたのか、はたまた別の事情なのか、ともあれ結果的にキーホルダーは彼女の手の中にある。
初めの頃と比べると、エルネストも随分と甘い(?)対応だと思う。質問にきちんと答えを返し、かつ要らないものとはいえ、貴族に自分の家のものを渡すだなんて。
恐るべしロザンナ。
………少し興奮している自分がいることに、ビックリだ。どうやら私は、自分で思っているよりも、彼女を気に入っているらしい。
その彼女は、いそいそと鞄にキーホルダーを付けている。別にシュナイダー商会のロゴが入っている訳でも無いので、このキーホルダーから二人の仲を邪推する者はいないだろう。なにせ、ボツ品だから他には出回らない。つまり、どこに絡むものなのかは他者は知りようがない。
「お嬢様はシュナイダー様に告白はなさらないのですか?」
思わず訊ねてしまったのは、自分でも知らず知らずの内に興奮してしまっていたからなのだろう。でなければ、こんなこと口にしない。
頬を染めながら、いずれは…とごにょごにょ返すロザンナ。
―――そんな彼女が見れると思っていたのだが、現実は違った。
なんでそんなことを訊くの、とばかりにきょとんとされた。まるでそんなことこれまで考えたこともない、と言わんばかりに。
反応が予想と完全に違っていたため、戸惑う。彼のことを語る時は、いつも顔を赤くさせているので、てっきり妄想の中では既に結婚すらしているのではないかと思っていたのだが…。
「…あちらから告白されるのを、待っている、のですか?」
そういえば、女性から想いを告げるというのは、まだあまり一般的ではない。
しかし、ロザンナは「あり得ません」と笑って一蹴した。
「だって、シュナイダー様は貴族嫌いですもの。私になんて、靡くはずがありません。いつもの様子だって、見ていますでしょう? 私が好意を向けただけで、迷惑に思っているのです」
ころころと鈴が鳴るような弾んだ声で、笑いすら含ませながら、自分が今やっている行為を全否定する。
「それに、何かの手違いがあって告白して頂いても、お断りしますわ」
私はこの時、初めて悟った。
「だって、私はラドラゼルフ家の道具。結婚はいずれ親が取り決めた方と行うことになりましょう」
ロザンナは決して、阿呆でも馬鹿でもなく、まして実家の悪事を知らないはずもなく。純粋でありながらも、既に歪んでしまっているのだ、と。
一生に一度の恋は、初めから叶える予定などなく、ただ本当に思い出作りのためだけに、精一杯咲いているのだ。
ひょっとしたら。
彼女は、絶対に自分を好きにならないからこそ、エルネストを恋の相手に選んだ面があったのではなかろうか。
あの鬱陶しい挨拶も、引かれそうなまでの積極性も、相手が嫌いそうなものを、ワザと選んでいるのではないかとさえ考えてしまう。
にこにこ笑う彼女を、私は、初めて心底、痛ましく思った。
読んで頂き、ありがとうございます!
本作は、自分でも何の要素が詰まっている物語なのか、上手く言い表せないのですが、ちょっと歪みつつも純粋な女の子が一生懸命恋する話を書きたいな、と思い書き始めました。
結果的に何か違うものができていますが、いつものことなので、気にしません。ええ。
恋愛カテゴリで合っているのかも、分からないので、さっきから胃がキリキリしています。
拙い作品ではありますが、
どうかお付き合い頂けますと、幸いです。




