第98話 月夜の晩に、魔物が独り
火山のふもとに広がる樹海のはずれに到着した。
降り立ったのは森から突き出た一本の巨木の、てっぺん近くにある枝だ。
風に揺れてざわめく葉の隙間より、夜空を見上げる。
乾いた月が浮かんでいた。
流れてきた闇色の片雲が、月光の輪郭を浴びては次々と白く輝く。
まるで自らが光っているかのように。
ソフィニアにも美しい月があり、闇色の雲がうごめいていることだろう。
しかし今、あの美しい月からは遠く離れている。
火山が臭気と灰を吐き散す島。
この世界ではない場所で、何度も見たことがある光景だった。
『納得がいかないという顔をしておるな?』
すぐ上の枝に留まったフクロウが、分かったような口で尋ねてきた。
「ああ、納得がいかない」
『そうじゃろうと思った。ならば、なぜここに来た?』
「主の命令だからだ」
『そうではなかろう? そなたは迷っているからじゃ、ゲオニクスよ。そなたの中には双つの心がある。そのどちらも思い悩んでおるはずじゃ』
そうだ。
我は悩んでいる、なぜ主を守っているかということを。
俺は悩んでいる、人ではなくなってしまった自分を。
そのふたつを自分の中でどう決着をつけたらいいのか分からなかった。
『そなたは急激に同化してしまった。心が融合する前にのぉ。本来ならばゆっくりと溶け合わなければならないはずなのじゃが……。ワシ以上に、本当は竜のことなどどうでも良いと思っておるのじゃろう? しかし、しばらくここで悩んでいるのも悪くはないぞ』
「つまり俺をここに呼んだのは、あんたのお節介というわけか?」
『どうやら魔物の意志の方が強いらしいが、それでもあの者が行けと言えば、そなたは必ず従うだろうと思ったからのぉ』
月から目を離すと、ホーホーと笑う鳥を睨め上げた。
月光に浮かぶフクロウは、クルクルと頭を動かしている。その様子が小馬鹿にされたようで腹立たしかった。
「余計なことを……」
『今、そなたは非常に危うい。ワシやワシの友が作った魔法のせいで、あの者を壊すのは忍びない。あの者の光を欲しているモノはこの世界には多くいるからの。じっくり考えるべきじゃ、ゲオニクス。そなたが何者であるのか、なにを欲するのか』
「俺の意志はあいつを守ること、それだけだ」
『なぜじゃ?』
愛しているからだ。
心の一部が答えたが、声にして言うことはできなかった。
それがなんなのかを理解できない己がいる。主であるからと納得しようとしてきたはずなのに、彼が関係を求めすぎるから戸惑いを隠せない。
それとも情欲が消えてしまったからなのだろうか……。
『そなたはこの世界に引っ張られた瞬間に、人との同化を余儀なくされた。ワシは行ったことがないので、あちらがどんな場所かは知らぬがのぉ』
「永遠に、喰らって、争って、寝るだけの場所だ」
『そうであろう……。さて、話しすぎたようじゃ。夜が明けてきたぞ。まずはどこへ行く? 子竜は森の中に隠してある』
「その前に行きたい場所がある」
掴まっていた幹から手を放し、枝から飛び降りる。
人間なら一溜まりもない高さだ。
内にある青白い魔を解き放つ。
すると、今まで五感で感じていたすべてに拒絶されているような感覚を覚えた。
この世界において、我は異物。
だからこそ、主を守れるのかという疑問もある。それは、この世界にいるフクロウにすら分からない理由であった。
草を踏み、石を越え、そして木々を避けつつ、地を駆ける。すべてに行く手を遮られているようだ。
だが異臭を放つ風だけが、味方にあるような感じがした。たぶん生まれ出た世界と同じ匂いがしているからだろう。
やがて森が切れば場所に、今にも倒れそうな小屋が見えてきた。
扉からやや離れた場所で一声吠える。
しばらくすると眠そうな目をした女が現れた。突如やって来た魔物に驚くわけでもなく、彼女はただ怪訝な表情でこちらを注視する。
沈黙の時間が流れる。
さすがにこのままでいるわけにもいかないと、魔物から人へ、ふたたび姿を変えた。
「いったいなに事だい、フェンリル?」
「驚かせて悪い」
「別に驚きはしないよ。あんたの事情は知っているし、それにアタシは未来のあんたの主人だったからさ」
「そのことを聞きたいんだ。未来の俺についてを」
「なるほどね。でもちょうど良かった。明後日はアタシらの結婚式でさ。あの子の代わりに出席して欲しいから。それでもかまわないよね、フェンリル?」
決して人の名を呼ばないエルフの女は、付いて来るようにと指で合図をして、掘っ立て小屋の中へと入っていった。
今回はとっても短いです。
けれどストーリーのキーポイントにはなっているはず(願望)
本当はユーリィ編にしようと思っていたのですが、その前にどうしても入れたかったという作者の我が儘でした。




