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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第四章 蜃気楼
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第89話 建国宣言

 扉が開かれた途端、内部では妙な音楽が始まった。


(マジ止めろマジ止めろマジ止めろ)


 表情を一切変えずに心で三回これを唱えるのは、かなり至難の業だった。

 左右に立つジョルバンニとアーリングは平気な顔で立っている。恥ずかしいと思っていないらしい彼らに、ユーリィは違う意味で感服した。

 教会付きの楽師団を用意しようと提案したのはアーリングだ。もしそれがジョルバンニなら一も二もなく却下しただろう。しかし名高き英雄が「みなを威圧するには効果的」と訴え、「王宮時代には習わし」と力説したものだから、ついうっかり頷いてしまった。

 後悔している。

 穴があったら入りたい。

 と言うか中には入りたくない。

 だが中にいる者たちは、すでにこちらに注目しているので逃げるわけにもいかなかった。今自分が唯一できるのは、両隣のふたりのように平然とした顔を作ること。だから表情を殺すのに必死になった。

 すると右隣のジョルバンニが横目遣いでユーリィを見つつ、小声で言った。


「お顔が赤いですな」

「き、緊張しているんだ」


 もちろん小声で返す。周囲には兵士が十人、従者が十人もいるので動揺は見せられない。


「ほぉ、侯爵でも緊張なされるのか」


 前を向いたままアーリングが囁いた。

 お前のせいなんだよ!

 と心で訴えたが、たぶん伝わらなかっただろう。

 妙な音楽はまだ続いていた。実母がいたキャラバンで聞いた明るい曲調もなく、教会で聞くような単純なメロディでもなく、低く重くダラーッとした曲だ。永遠に続くのではないかと思うほど抑揚もない。


「あのさ、これ、いつのタイミングで入ればいいの?」

「もちろん演奏が終わってからです」


 もちろんと付けられたことに少々腹が立った。

 こんな非合理的でバツが悪い思いをするのはこれで最後しよう、絶対に。

 心にそう決めた時、ダラーッとしたまま曲は終了した。

 コホンと小さくジョルバンニが咳払いをする。入れと言っているのだろう。けれどこんな状況で登場して注目を浴びるのは辛すぎる。


(まぁ、いいさ。当たって砕けろだ)


 二回ほど深呼吸をして、背筋を伸ばし、顎を上げる。視線は正面。誰の顔も目の中に入れないようにして、ユーリィは大広間へ一歩踏み出した。

 大股で歩いたのは動揺を隠す為。ひたすら前方にある玉座を睨み、その前まで来るとゆっくりと皆の方を向く。

 列席者は午前中、葬儀に参列した二五〇余名。みな、葬儀用の礼服から式典用の服装へと着替えている。黒、白、茶、グレイと色は様々だが、上質な布製、皮の細いベルト、長いマント、そして黒いブーツというスタイルは同じである。ほとんどが男性であるがエルナも含めて数人の女性がいて、全員華やかなドレスに身を包んでいた。

 貴族は呼び出した数より五十人ほど少ない。召喚を無視した者たちの処分はあとで考えるとして、今はここにいる連中をどう黙らせるかだった。

 ほとんどはなにが行われるのか理解しているだろう。しかし中には怪訝な表情を浮かべている者もいる。その数人の顔をユーリィはしっかり記憶した。

 すぐ後ろからついて来たジョルバンニが右、アーリングが左やや後方に立つ。

 左右に三列ずつ並んだ一同は、ただ漠然と出揃った三人を見つめるばかり。するとジョルバンニが今まで聞いたことがないほどの大声を張り上げ、みなを一喝した。


「一同、忠誠宣誓の礼を!!」


 ためらいを見せたものの、逆らう者はいなかった。バラバラとした動きで全員、右手を左肩に押し当てる。それがソフィニア人の最敬礼だ。


「ただいまより、ソフィニアおよびガサリナ地方を領土とした国家建国を宣言する!」


 固唾を飲む音が聞こえたような気がした。そう感じるほどに皆の顔が強ばった。ユーリィもまた下ろしたて両手を握りしめる。手のひらにはじんわりと汗が滲んでいた。

 ジョルバンニは胸元より筒状の紙を取り出すとそれを広げ、ゆっくり大きな声で読み上げ始めた。


「国名はソフィリアスとし、このソフィニアを帝都と定める!」


 僕は行くと決めたんだ。

 この世界から消えたいと自らを傷つけた日々、古井戸に突き落とされて泥水を飲んだ夜、豚のごとく裸に鞭を打たれた痛み。

 余さず過去に捨て去ろう。

 ここにいるのは、薄暗い森の中をさまよう自虐的な者でもなく、なにかに怯えていた者でもなく、運命を諦めていた者でもない。

 今はこの場所、この景色、この気配をすべて胸に刻みつけるだけだ。すべてを掌握するまで走り続けると、そう決めたのだから。


 そう僕は____


「1.ソフィニアス帝国最高位にはユリアーナ・セルゲーニャ・ルイーザ・クリストフ・ライネスク侯爵が就任し、その称号をユリアーナ皇帝とする」


 ユーリィは居並ぶ者たちを見回した。

 睥睨したわけではない。睨んだところで相手を威圧するほどの迫力などないことぐらい分かっていた。

 その時だ。

 大広間の左右に連なるアーチ型の大きな窓すべてが、目映い光を放ち始めた。

 人々がざわめき始める。『敵襲だ!』とだれかが叫んだ。

 刹那、小さな光が一つ、ステンドグラスをすり抜け入ってきた。豆ほどのそれは、ゆらゆらと高い天井へと上がっていった。

 さらにもう一つ、そしてもう一つ、光は現れては昇っていく。天井には葉型のレリーフを重ねたような造形があり、その下を光たちは旋回した。

 すべての窓から侵入した光は、やがて数百にもなり、人々のざわめきは悲鳴へと変わりつつあった。

 いつ混乱が生じてもおかしくない緊迫した雰囲気だ。背後にいたアーリングが数歩前に出て、剣を抜こうか迷っている。


「お静まりを!!」


 ジョルバンニの張り上げた声も、人々の耳に届く様子はない。後方出口近くにいた者たちはジリジリと下がり始めていた。

 そんな中、ユーリィはただ黙って見上げていた。


(あれは……もしかして……)


 たぶん間違いないだろう。

 ゆっくりと片手を上に差し伸ばす。すると光は一斉に降りてきて、ユーリィの腕を中心にして回り出した。


(やっぱりそうか)


 彼らはレネのような小さな精霊たち。この世界のどこにでも眠っている。リュットの言うには、木の葉、小川のほとり、土の中にも彼らは居るという。あの戦いでは大きな力となったモノたちだった。


「ありがとう……」


 なんとなく祝福を受けているような気がして、ユーリィは呟いた。

 刹那、光たちはいっそう輝く。それはまるで星をまとったかのように心地良かった。

 しかしそんな優しい祝福はすぐに終わりを告げてしまった。一度止まった精霊たちは、蜘蛛の子を散らすように天井へと昇っていくと、入ってきた時と同じように窓を抜けて、元の世界へと飛び去っていった。

 残された問題は、室内にいる人間たちだ。光が一つ残らず消えてもなお、彼らは騒然としてなかなか収まらない。

 上げていた手をゆっくりと下ろし、ユーリィはそんな彼らをふたたび見渡した。


「精霊たちが建国の祝いに来ただけだ、気にするな」


 その言葉を信じたのかは分からなかったが、一同は徐々に落ち着きを取り戻していった。

 しばらくして列が整うと、ジョルバンニは何ごともなかったかのように口を開いた。


「2.旧ギルドは皇帝配下の組織となり、ギルド議会と改める。同時に貴族院を創設し、帝国内の全領主にはそれに所属する義務を課す。また全領主はライネスク侯爵への忠誠の証として、血判を押した誓約書の提出をする。誓約書には、ライネスク侯爵がユリアーナ皇帝となったのちも効力を継続する旨を必ず記載すること」


 この半月、煮詰めていた告知内容だ。きっと一人や二人、異議を唱えるものが現れるだろうと思っていたのだが、不思議なことにみな大人しく聞いていた。


「なお以上のことはフォーエンベルガー領のみ例外とする。同領地を管理するフォーエンベルガー家は、皇帝ではなくギルドとの直接契約を結ぶことになる。同家は諸外国との交易を許可する代わりに、ギルド議会ならびソフィニア軍の監視下に置かれるだろう。もしも反逆の意志有りと皇帝が判断すれば、確認を有さずソフィニア軍は侵攻を開始する」


 フォーエンベルガー家の者は、タナトス・ハーンを除けばだれひとり来ていない。なのでこれはリカルドに対するものではなく、フォーエンベルガー家に荷担するなという列席者への警告だった。


『治外法権をお認めになるのですか!?』

 フォーエンベルガーの処遇を話した時、そう言ってアーリングは目をむいて驚いていた。だがユーリィにしてみれば未来を見据えた上でのことだ。

 フォーエンベルガー家臣下たちの様子を考えれば、皇帝への誓約書など拒絶するに違いない。だからそれを逆手に取った。

 誓約を交わさなければ、帝国はフォーエンベルガーを守る義務も発生しない。もし彼らがセシャールに付くのなら、領土侵略をした敵とみなしてすぐに攻撃をしても、血判の契りを反故したことにはならない。

 フォーエンベルガー家にはこの先もずっと、セシャールと帝国に挟まれた微妙な場所に立っていてもらう。下手に近づき過ぎて、伯爵家に縁がある他の貴族と結託などされても困るからだ。これが機略の好きそうなリカルドを抑え込むための最善策だった。


「3.新帝国においての人事は次の通りである。貴族院議長は新皇帝が、ギルド議会議長はこのセグラス・ジョルバンニが務める。ソフィニア軍長官にはラウロ・ロベル・アーリング士爵、交易長官にはラシアール族ミゲ・シュランプ。さらに財務大臣としてアルベルト・ルファル・オーライン伯爵が就くことになる。ただしオーライン伯爵領は皇帝へと献上され、アルベルト・ルファル・エヴァンスとなる予定である」


 これはアルベルトも承諾したことだった。

 貴族院に所属しなければならない者には財務担当はさせられない。なので彼はその地位を手放す必要があった。


「4.ソフィリアス帝国領土は、現ソフィニアギルドに所属する貴族領およびギルド管理地である。貴族領はそのまま継続的所有を許可する。ギルド管轄地ならびに旧ベレーネク伯爵領、メチャレフ伯爵領はすべて皇帝所有となる。イワノフ公爵領ならびライネスク侯爵領に関しては、現状通りライネスク侯爵が管理することになる。新皇帝はライネスク侯爵号も保持するので問題はない。この二つの領地は新皇帝嫡子の継承がすでに決定されている」


 嫡子と聞いて、ユーリィはまたいたたまれない気持ちになった。

 自分が子供を作るとは到底思えない。だからこれは荒唐無稽な話であった。

 それを敢えて発表したのは、皇帝の地位が世襲であると思わせる為だ。国政が安定するまでは内戦の種は極力抑える必要があった。


 これでだいたいの告知は済んだ。あとの細かいことは、貴族院会議を開いた時に決議しても遅くはない。

 ユーリィは気づかれぬよう肩の力を抜いた。

 まだ始まったばかりだということは分かっている。

 だけどほんの少しだけ張り詰めたものをぬぐい去りたい。

 しかしそれを許さなかったのはジョルバンニであった。


「5.新皇帝戴冠式は、セシャール王国内にあるマヌハンヌス教皇領において執り行われる。聖司教から戴冠されたのち、公式に皇帝即位を宣言し、その日が建国日となる」


 は?

 最初に出た心の声はそれだった。

 つまりセシャールに行けというのか?

 そんな話は聞いていないし、決めてもいなかった。

 いったいジョルバンニはなにを言っているのだろうと、ユーリィは食い入るように右隣の男を注視した。


「すでにセシャール国王には打診は済みであり、その返事を持った使者が近々セシャールから来る予定である。なお先に届いた国王からの親書によれば、援助貸付として予定されていた牛千頭は帝国建国への祝儀として授与されるそうだ。数日後には使者とともにソフィニアに届くはずである。その返礼として帝国からはそれ相応の水晶を送ることになる」


 ジョルバンニにしてやられた。こんな隠し球を用意していたとは……。


「以上である!」


 その言葉を合図に、一同はふたたび胸に腕を当てる。今度は一糸乱れずと言っていいほどに揃っていた。

 ユーリィは一同を、今度は完全に睨みつけた。ジョルバンニへの怒りがこもってしまったせいだ。

 黒く長いマントを翻す。入ってきた時と同じ速度で歩き出し、扉の脇にいる楽師団が弦楽器を構えるのを見て、「止めろ!」と怒鳴りつけてから退場したのだった。



「なにかご不満でもございましたか?」


 追いついてきたジョルバンニが、白々しくもそう尋ねてきた。

 本当は言いたいことが山ほどあったが、周りにいる兵士や従者の目を気にして、ユーリィは「いや」とだけ答え、代わりに眼鏡の縁を睨みつけた。


「そうですか。では詳しいことはのちほど」


 口元が笑っているような気がしたのは、こちらの気持ちのせいだろうか。

 ジョルバンニの勝手な言動は今に始まったことではないし、覚悟はできている。セシャールに行くことに不満があるわけでもない。

 そうは分かっているものの、あの男を制御しきれない苛立ちはどうにも抑えきれず。しかも戴冠式だけが目的ではない、なにかの陰謀があるような嫌な予感もあった。


(いや、まだ始まったばかりだ)


 気を取り直して歩き出そうとした矢先、また背後から呼び止める者がいた。


「侯爵、ライネスク侯爵!」


 腹が立つほど脳天気なその声は、アシュト・エジルバークのものだ。


「お待ち下さい、侯爵」


 渋々と振り返れば、なにが楽しいのか和やかな表情をしたアシュトが寄ってきた。


「なに?」

「帝国と聞いて、胸躍るほど興奮をしたとお伝えに! それにしても、あの精霊たちは新皇帝への畏怖を高めるには素晴らしい演出でしたな! あれを見て皆、侯爵に逆らうことを諦めたようですぞ!」


 興奮した男は、まだまだまくし立てる。


「いやぁ、実に美しかった! 侯爵も、精霊たちも! この出来事はかならず歴史に残ると、私は信じておりますぞ! 皇帝ユリアーナがいかに神聖なる存在か、後世に伝えるには最高の出来事でした!」


 あー、うるさい。早くどっかに行ってくれ。

 目で訴えたものの、アシュトはまったく意に介さなかった。


「一つ残念なことは、私にはなんの役職もくださらなかったことです。こんなことを申し上げるのはなんですが、私もメチャレフ家嫡男としての権利を放棄したのですから、それ相応のなにかをくださるものかと……。いえ、そうしてくれと頼んでいるわけではなく、そうなれば新皇帝にお仕えできると思ったものですから。できるなら、私にも建国のお手伝いをさせていただけないでしょうか?」


 まったくどいつもこいつも勝手なことを言ってくる。

 まだ腹の虫が治まっていないものだから、ユーリィはいつも以上にアシュトにイライラを募らせてしまった。


「お願いいたします、侯爵」

「だったらあの音楽をなんとかしろ」

「え……?」

「あのダラーッとした曲だ。あんなのを毎回聞かされるかと思うとゾッとする」

「ああ、なるほど! 私もあれはないと思いました。こう見えても私は幼い頃より音楽をたしなみ、音楽家には才能があると認められたこともあるのですよ! では早速、楽師団と協議をしましょう。これから様々な場面を想定した作曲もいたしますよ!」


 嫌味で言ったつもりが歓喜され、ユーリィは猛烈な脱力感を味わった。

 アシュトはまさに躍るような足取りで、大広間へと戻っていった。


(ホント、色々疲れる……)


 弱音は吐かないと決めたのに。


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