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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第四章 蜃気楼
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第86話 暗索

 小刻みに三回、扉を叩く音がした。

 ユーリィは一瞬だけ手元から目を離し、扉の横に立っているヴォルフを見る。彼は小さく頷いて、焦げ茶色のそれをゆっくりと押し開いた。

 だれが来たのか、考えなくても分かっていた。案の定、銀色の眼鏡を光らせて、ジョルバンニが入ってきた。片手には書類を握りしめている。この光景はもう何度も見ているし、これからも際限なく繰り返されるのかもしれない。それを思うと、ユーリィは内心ゾッとした。


「書類をお持ちしました」

「らしいね。今回はなに?」


 前にある山積みの書類を一瞥して、ユーリィはふたたび手元の一枚に視線を落とした。


「納税に関する草案です。貴族と各職業ギルドからの……」

「分かった、読んでおくから」

「何度も申し上げますが、ご署名していただければそれで結構ですので」

「署名したあとに問題を見つけたら、二度手間になる」

「問題があるかどうかは、我々の方でさらに吟味して……」


 顔を上げ、ユーリィはジョルバンニを睨みつけた。

 このやり取りはこれで三回目だ。この男はまだ玉座に座る人形を作ろうとしているのかと思うと無性に腹が立った。


「それよりも、さっき読んだギルド改革案について尋ねたいことがある」

「なんでしょうか?」

「書いてあった十八名は、いったいだれが選出した?」

「それは各方面と話し合い……」

「ほぼお前の意向だろ、分かってるんだ。追ってオーライン伯爵に各人と面談させる。それと全員、担当ギルドの組織概要と支出入をまとめた書類を提出すること」


 当然刃向かってくるだろうと想像したユーリィであったが、意外にもジョルバンニは素直に「分かりました」と返事をした。

 殊勝な態度が気に入らない。どうせ心の中であざ笑っているくせにと思ってしまうから、ジョルバンニのやることすべてが癇に障る。

 そんな気持ちを押し殺し、意地でも支配者然としてやると差し出された書類に手を伸ばした刹那、すかさずサッと引っ込められた。


「他になにかお気に召さないことがありますか?」


 心を読まれた。

 そう感じるのは、眼鏡の奥が鋭く光っているからだ。


「いや、別に」

「そうですか」


 こんな短いやり取りですら、腹を探り合わなくてはならない。やはり宮殿(ここ)は苛つくことばかりだ。


(ここばかりじゃないか……)


 ふとそんな思いがよぎり、そして消えていった。目の端に映るヴォルフは相変わらずで、以前のように激しさを見せてはくれない。以前のようにジョルバンニを睨むこともない。そう、まるで別人になったかのように。


(考えるのは止めよう)


 ここ数日ヴォルフが本当は何者なのか確かめようと、過去のことも持ち出したり、怒らせようと煽ったり、散々やってみた。

 結論から言えば、“分からない”

 彼はすべてを覚えていたし、酷いことを言えばそれなりに反応もした。

 けれどなにかが違う。


(父親がソフィニアに来るということすら、なんの反応も見せなかったし……)


 昔は同族嫌悪としか思えないほど拒絶感を露わにしていたというのに。

 それについて文句を言うと、「興味がない」と一言で終わってしまった。


(興味がないってどういう意味? もう自分の父親じゃないってこと?)


 だとすればヴォルフの記憶だけが残り、中身はフェンリルということになる。

 気が滅入るほど嫌な想像だった。

 気が滅入ると言えば、エルネスタとの会話もそうだ。

 僕だって率先してククリに酷い仕打ちをしたいわけじゃないと、哀れむような目で見つめてきた少女を思い出し、ユーリィは心の中で反論をした。むろん今さらの虚しさを味わいつつも。

 どんなに楽観的に考えても、ククリの問題がソフィニアの足枷になるだろう。奴らはまた同じことを繰り返す。町一つ破壊することなど、ためらいがないのは明らかだ。

 そんな連中に関わっていたらいつまでも先には進めない。

 ジョルバンニの意見も一理あるから、不承不承にも案を通した。

 だけど……。

 本当はなにが正しくて、なにが間違っているのか分からなくなっている。


「皇帝陛下」


 刹那、聞き慣れない言葉が耳に入ってきて、ユーリィの意識は急激に浮上した。


「……!?」

「今後、唐突に思考の海に潜れるのは、どうかおやめいただきたい」

「っていうか、皇帝陛下って……お前……」

「なにか問題でも? 来年には皆がそうお呼びすることでしょう」

「そうかもしれないけど、でもまだ違うだろ」


 ジョルバンニは返事をせず、おもむろにきびすを返して扉の方へと歩んでいった。そばにはヴォルフがいる。その彼を、ジョルバンニは遠慮のない視線で眺め始めた。


「君になにか特権を与えた覚えはないが、なぜここにいる?」

「特権など、あんたに与えられる筋合いはない」


 ヴォルフらしい返答だ。

 ジョルバンニは気に入らなかったようだが、ユーリィは少し安心をした。先ほどの懸念はやっぱり懸念に過ぎなかった。眼鏡男を見返す瞳も、以前のように嫌悪感たっぷりだ。

 ヴォルフがヴォルフらしくあるのなら、あとは思い過ごしだと考えるだけ。

 そう思っていた矢先、ヴォルフらしからぬ言葉が聞こえてきた。


「だが、今は邪魔だと言うのなら退出しよう」

「ヴォルフ!」


 制止の声とともにユーリィは立ち上がった。

 しかしそれを無視して、ジョルバンニがヴォルフを促す。


「そうしてくれたまえ」

「分かった」


 扉のノブに手を伸ばし、一瞬だけ振り返ったヴォルフの顔には、穏やかな微笑みがあり、それを見てユーリィはもうなにも言えなくなった。

 パタンと閉まった扉とともに腰を下ろす。宮殿(ここ)にある唯一の心の支えと言ってもいい存在が消えた途端、沸き出してくる不安。本当にどうしようもないほど情けない。


「侯爵」


 気がつけば、ジョルバンニが机の向こう側に立っていた。いつも以上に厳しいその面持ちと、いつも以上にその鋭い視線だ。また文句を言うつもりなのだろう。ジョルバンニの小言はもう聞き飽きている。虚勢で睨み返したものの、無意識に右足が貧乏揺すりを始めていた。


「お立場をお考えくださいとは、もう今さら申し上げません」

「言ってるじゃん……」

「お変わりになったことは認めましょう。メチャレフ領へのご出陣は正直賭けでしたが、結果的には良かったようです」

「認める? 賭け? なんだそれ」


 もうそろそろジョルバンニの本心を聞かせてもらってもいい頃だ。

 この男がなにを狙い、なにを欲しがっているのか分からないままでは、今みたいに不安だけが募っていく。今後この男をそばに置いておくのなら、腹の探り合いでは限界が来ていた。


「あのさ、お前がいったいなにを考えているのか、僕にはさっぱり分からないんだ、ジョルバンニ。お前は玉座に置く人形が欲しいだけなんだろ?」

「ええ、そうです」


 あっさりと肯定され、肩すかしを食らった気分になった。


「ただし、だれでもいいと言うわけではありませんので。容姿、性格、頭脳、名声、力をすべて兼ね備えた人形でなければなりません」

「で、僕はお前のお眼鏡にかなったわけか」

「以前に申し上げたかは忘れましたが、理想的な国を作りたいのですよ。中途半端な支配ではなく、絶対的支配でこの地ばかりではなく大陸すべてを掌握したい」

「だから色々企んでいるわけか。メチャレフ伯爵が危ないっていう情報を握りつぶしたのはお前だろ。なぜだ?」


 一瞬だけ答えをためらった様子を見せたジョルバンニであったが、すぐに明確な答えを口にした。


「邪魔だったからですよ、貴方にとっても私にとっても。支配力を持つ者は一人で十分です。メチャレフ家はイワノフという旧世代の異物にしかなりませんので。早いうちに排除すべきだと考えました」

「次男のミーシャを煽るような謀略もしたり、サロイド塔からククリを逃がすよう手配したり、ずいぶんと忙しかっただろうね」


 ユーリィの言葉に、ジョルバンニはさも心外だというような表情を作る。そのわざとらしさが神経を逆なでした。


「まさか、なにもしていないとか言うんじゃないだろう?」

「私は反逆者どもの決定的な証拠を見つけただけです」

「つまりわざと泳がせて、証拠を作らせたと」

「さすがお察しがいい。ですがそれは政略の一つ。私が得意とする分野ですよ」

「セシャールの使者にグラハンス子爵を選んだことも?」

「選んだのはセシャールです。ただし、ソフィニアとしての希望は伝えました。宮殿内に子爵のご子息がいるということも添えてね」

「なにもかも、お前の思惑通りに運んでいるってわけだ」


 宰相気取りのこの男が心底嫌いだった。

 一度は勝ったつもりでいたのに、まだジョルバンニの手中に自分はある。だからといってこの男を排除すれば、立ち行かなくなる問題が発生するだろう。


「どうやら私のことが気に入らないようですな、侯爵」

「当たり前だ。お前の思うとおりに動くなんて真っ平だよ」

「しかし貴方はご年齢、経験、ご性格すべてにおいて、口幅ったいことを申し上げるようですが、幼児に過ぎませんので」


 いくつかの反論は思いついたものの、どれもこれも情けない開き直りである。ジョルバンニの言っていることは、ずっとユーリィ自身が悩んでいたことそのものなのだから。


「いつかお前を黙らせてやるから」

「楽しみにしておりますよ、皇帝陛下。そうそう、興味深い情報が先ほど入ってきました。フェンロンが近々、隣国のキルシェ王国に侵攻するかもしれないとのこと」

「そんなのは……」

「ええ、ここからは遙か遠い話であり、キルシェは取るに足らない小国でソフィニアともなんの関係もありません。けれどフェンロンが動き始めるかもしれないことは、ご留意なされた方が良いでしょう。鉄の船を持っているという噂もあります」

「鉄の船!? 沈まないの?」

「さてどうでしょう。フェンロンの技術力を考えればあり得ると思いますが」


 確かに興味深い話であるが、フェンロンとどうこうなるのはまだまだ先のことだろう。フェンロンとソフィニアは大陸の北と南に有り、その間には十五の国がある。けれど一つだけ気にすることがあった。


「ククリ売却は、ちょっと待った方がいいかも……」

「私もそのことを言うつもりでした。敵となるかもしれない相手に、わざわざ武器を宛がう必要もございませんからね。処理方法は別に考えた方が良いと思われます」


 それだけ言い残すと、ジョルバンニは軽く頭をさげて部屋から出て行った。


(フェンロンか。いつかヴォルフと一緒に行こうと思っていたのに……)


 それが叶わないのだと改めて実感する。

 足枷は日を追うごとに太くなるばかりだ。



 翌日、ソフィニアにほど近い強制収容所において、ククリ族三十人が逃亡罪で処刑された。なおこの三十人の中に子どもは八人含まれ、残りはすべて女である。


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