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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第83話 自叙伝『さして面白くもない人生』第三章 その8

   ――アシュト・エジルバーク自叙伝『さして面白くもない人生』第三章より抜粋


『それは新たな伝説となった出来事だった。

 ガサリナ地方には珍しい嵐が来たその日、サンウィングの町はククリ族の操る魔物らによって焦土と化した。死者の数は二百人を上回ったという。千人に満たない人口しかない町で、その被害の甚大さは想像ができるだろう。

 私はこの時、黒い煙の上がる町を教会の丘から、ただ呆然と眺めていた。私のそばに立っていた神父が、「また孤児が増える」と苦しげに言ったのを覚えている。我々の後ろにいた数十人の子どもたちの中には泣き叫ぶ者もいた。きっと魔物襲来事件を思い出していたのではないだろうか。彼らの中には親や兄弟を失った子どもいたのだから。

 だがそんな悲劇的状況とは別に、我々は奇跡のような光景も目の当たりにしていた。

 嵐はすでに過ぎ去っていた。灰色の雲間からは黄金色の光芒が、麦の畑が連なる大地に降り注ぐ。その光を浴びて、銀色の狼にまたがる黄金の天子が、ククリの操る魔物を追って駆けていた。その姿はまさに『双世記』に書かれているマヌハンヌス神そのものだった。

 やがて教会の丘には家を焼かれた者たちが大勢、命からがら逃げてきた。そんな彼らを追って魔物どもは丘へと何度か接近した。しかし狼魔と、その背に座る侯爵も自ら剣を持って、ククリどもに風の刃を浴びせて追い払った。

 その姿が民衆の目にどう映ったのか、詳しい説明はいらないだろう。足に火傷を負って座り込んでいた老人の様子を書けば済むはずだ。


「おお、天子様……」


 彼は両手を組み合わせ、涙ながらにそう呟いたのだった。

 ラシアールから不服が出るかもしれないので、一応書いておこう。戦っていたのは狼魔と侯爵だけではなくラシアールのブルーも参戦したということを。彼は狼魔が落とした魔物に自分の使い魔を寄生させるという戦法を思いついたのだ。後日、彼はこのことを侯爵に得意げに語っていたこともついでに明記しておく。

 これも後日聞いた話だが、タナトス・ハーンは地上にて、残敵掃討を行っていたらしい。死体となった数十人のククリのその半分は、彼が息の根を止めた相手だった。



 そうして戦いは夕刻近くまで続き、空を覆っていた雨雲が流れ、代わりに星がまばらに見える頃にようやく終了した。

 丘の上に降りてくる狼魔を見て、人々は畏怖が混じった声を上げた。だれも近くに寄ろうとはしない。ただ遠巻きに、ライネスク侯爵へ賛美と敬愛の言葉を投げかけるのみ。子どもに至っては、教会内に逃げ込む者もいた。それだけ魔物に対しての恐怖心が強かったのだ。

 さらにその直後、狼魔の隣にはブルーが乗った使い魔が降りて来た。敵だったはずの魔物を見て、人々が悲鳴を上げて逃げ惑ったのは言うまでもない。

 そんな混沌とした雰囲気の中、私はみなを代表して、侯爵たちのそばへと歩み寄った。


「侯爵、お怪我は?」

「うん、平気」


 その言葉とは裏腹に、狼魔から降りる侯爵はかなり疲れているようだった。足元がおぼつかない。顔色も酷く悪かった。間の抜けた話だが、その時になって私は彼が今日一日なにも口にしていないことを思い出した。

 だから平気なはずはない。はずはないのだが、青い瞳は精気に満ちた光が宿っていて、私は改めてライネスク侯爵の強さに、敬意を抱かずにはいられなかった。


「怪我人は?」

「町から逃げてきた者のほとんどは、火傷を負っているようです」

「だったら早く手当てをしてやれよ。僕も少し休んだら町の様子を……」


 侯爵の体がグラリと揺れる。

 崩れ落ちまいとして、彼は狼魔にしがみつくように寄りかかった。


「侯爵、今日はもうお休みになった方がよろしいのでは?」

「家がいくつか崩壊してるんだ。もし中に人が残っていても、今行けば助けられるかもしれないだろ。フェンリル、お前は大丈夫か? 怪我はしてない?」


 そう気遣って、彼は魔物の体を指先で優しく撫でた。

 狼魔はそれに答えるように、首を巡らせて侯爵へと鼻面を向ける。

 すると、とうとう力尽きたのか侯爵の体はズルズルと崩れていった。


「侯爵!!」


 私とブルーが同時に叫び、地面に倒れた彼に駆け寄ろうした。

 刹那、狼魔の体が青白く光り始める。私たちは驚いて、やはり同時に足を止めた。

 そうしている間にも、光はどんどんと強くなり、やがて目を開けていられぬほど眩しくなった。倒れている侯爵の姿も、光の中に包まれた。いったいなにが起ころうとしているのか分からず、私たちは息を飲んで見守るばかり。狼魔が彼に危害を加えるはずがないと分かりつつも、本当に気が気でなかった。

 どのくらいの時間が経っただろうか。一瞬のことだったようにも思えるし、かなり長かったようにも思える。今思い出しても、はっきりとしたことは言うことができない。

 光は徐々に収縮を始めた。

 すると、光の中は狼魔の姿はなく、代わりに軍服を着た背の高い男が立っていた。


「ヴォルフさん!!」


 ブルーが叫ぶ。

 しかし男はそれに答えず、腰を下ろして足元に倒れている侯爵へと顔を近づけた。


「ユーリィ?」


 低く落ち着いた声だった。

 侯爵は薄らと目を開け、男を見上げる。


「……ヴォルフ?」

「大丈夫か?」

「本当にヴォルフ?」

「そうだ」


 侯爵は上半身を起こそうと体を動かす。その背中を男が支えると、侯爵は両腕を伸ばし、すがるように男の首を抱きついた。


「遅いよ」

「ああ、悪かった」

「誕生日、過ぎちゃったぞ」

「そうか……」

「ずっと待ってたんだから」


 震える声が、私の心に強く響いた。

 その男が何者なのかその時の私は知らなかったが、侯爵が心から相手を思っているのだと感じられたからだ。

 けれど、すぐに体を離した侯爵はしげしげと男を見つめて、「そういえば……」と怪訝そうに首を傾げた。


「服はどっから出してきたの? フェンリルは服を着てないじゃないか」

「秘密だ」

「ホントはお前も分からないんだろ?」

「君は相変わらず“感激の再会”をさせてくれない。こんな時に服について尋ねるとは」

「したよ。だってこんなに人がいる前で抱きついたし……」


 照れたように顔を伏せた様子が微笑ましい。普段はどことなく横柄なせいか、私は余計にそう思ってしまった。そばまで来ていたブルーも同じことを思ったのだろう。


「なんか可愛いですね、侯爵」


 と、にやけた顔で声をかける。すると侯爵は真顔に戻って、もがくように立ち上がった。しかしやはり体力的には限界だったのだろう。ふたたびグラリと揺れて倒れかけた。その体を男が支え、さらに抱き上げる。侯爵は少し暴れて抵抗をした。


「降ろせよ、ヴォルフ!」

「フェンリルに乗っていると思えばいい。自分でもどちらなのか分からないのだから」

「そう……なんだ……」


 寂しそうに伏せた瞳が、とても印象的だった。




 夜の(とばり)が完全に降りた頃、我々は神父の部屋に集まっていた。

 我々とは、ベッドに寝かされたライネスク侯爵、私、ヴォルフと呼ばれた男、神父の四人と、それから例のフクロウが古びた椅子の背もたれに止まっていた。

 だれもなにも話さない。ブルーは侯爵の代わりに町を見に行ったまま。タナトス・ハーンがなにをしていたのかこの時点では分からなかった。

 外では人々が騒がしく喋っている声がした。はぐれた家族を探したり、怪我人の手当をしたりしていたのだろう。しかし神父はすべてをだれかに任せて、自分は落ち着きがなく狭い部屋をうろつき、時折、侯爵になにか言いかけては思い留まる。彼がなにを言いたいのか、私は少し気になった。

 一方、侯爵はそんな神父の様子を気にとめることもなく、男とふたりだけにして欲しい目つきで私を眺めたが、私は完全に無視をした。

 男が狼魔の化身であることは理解していた。侯爵の髪を撫でるは、鼻先で愛撫するのと同じなのだとも分かっていた。

 けれど私は少々気に入らなかった。このブルーグレーの髪をした男に反発心を抱いていたのだと思う。なぜそんなことを思ったのか、今これを書きながら適切な言葉を発見した。

 それは間違いなく“嫉妬”だったのだ。

 私は無意識のうちに侯爵に恋心を抱いていたと、少し前に書いた。狼魔が侯爵を守り従うのは忠義なのだと思えても、人の姿で同じことをすれば、それは忠義を越えたものにしか映らない。それが無性に腹立たしかった。

 そして、私にある決断をさせたのもこのことがきっかけではないかと考える。確かにこれ以降、私はその決断に従って行動していた。

 ある決断とはつまり、メチャレフ領地をこの若き皇帝に差し出し、その代わりとして帝国のために仕えるということ。どんな役職でもいいから彼の元で働こうと、のちのち私を決意させたのは、この時がきっかけだった。


 しばらく沈黙の時間が流れた。相変わらず外は騒がしい。赤ん坊が泣く声がしていた。

 すると侯爵はとうとう業を煮やしたように、ベッドから降りようと体を起こす。


「侯爵、お休みになっていてください」

「って、僕らはいったいなにを待ってるんだ? こんなところに集まって、なにもしないで。外では大勢が困ってるんだ。早く行って、できることがあれば……」


 ノックの音が侯爵の言葉を遮った。神父が扉を開けると、そこに十歳ほどの少女が立っていた。彼女の手には縁が欠けた白い皿があり、そこからは湯気が上っていた。

 少し腰を落として挨拶をした彼女は、怖ず怖ずとした声でこう言った。


「あ、あの、これ、天子様にって……」

「僕に……?」

「はい。さっきみんなで作ったんです」

「僕よりも、外の人に配ったら?」

「はい、配ります。いっぱい作りました。でも最初に天子様に持っていこうって、みんなで話したんです」

「そう……」


 少女は困惑した表情で神父を見上げ、彼が頷くのを確認すると、ゆっくりとした足取りで侯爵の前に進み出た。

 少女が皿を差し出すと、侯爵は黙ってそれを受け取り、すぐに添えられていたスプーンで一口それを飲んだ。

 その間、少女は泣き出してしまうのではないかと思うほど、不安げな表情を浮かべていた。緊張もしていたのだろう。足が震えるのを見て、私は抱き締めたくなるほど哀れに思えた。

 それでも侯爵はなにも言わず、ひたすらスープを飲み続ける。せめて一言、彼女に声をかけてあげればいいのにと、私はなんども言いたくなった。

 やがてすべてを飲み干すと、彼は少女に皿を突き返した。


「あ、あの……」

「うん、美味しかったよ。ありがとう」


 すると少女は本当に嬉しそうに微笑んだのだった。

 それを見て、侯爵は困惑した表情でうつむいてしまった。


「えっと……こういうの慣れてないから……。つまり親切にされるのって……」


 その表情がなんと可愛らしかったことか。

 今だから言うが、侯爵を抱き締めるべきか、少女を抱き締めるべきか迷ってしまったほどだ。むろんどちらもしなかったが。

 少女が出ていってすぐ、タナトス・ハーンが入ってきた。いつもにも増して仏頂面で、侯爵の前に歩み寄ると、そばにいた男を上から下まで鋭い目つきで眺め回す。そればかりではなく、侯爵に尋ねた言葉にも棘があった。


「なんですか、この男は」

「話すと長くなるから、話さない」

「そうですか」

「で、お前はどこにいたの?」

「まあ、色々。町に残っていた怪我人は馬車でここまで連れてきましたが、よろしかったでしょうか?」

「いいよ」


 帰ると言っていたハーンが帰らなかったことで和解があったのだろうと思っていたが、そんなことは全くなかった。剣呑な雰囲気は今まで通り、むしろ増加したと言ってもいい。それなのに帰らなかった彼を、私は不思議に思った。

 その疑問が解消される前に、ふたたび扉がノックをされた。

 神父が開けるのも待たず入ってきたのは、町の様子を見に行っていたブルーだ。彼は浮かない表情で一度フクロウの方へ行きかけたが、気が変わったのかすぐに化身の男とタナトスの間に割り込むようにして侯爵の前へと立った。


「侯爵、あの……」

「なに?」

「ちょっと不思議なことが……」

「不思議なこと? なに?」


 ブルーは黒い髪を掻いてためらっていたが、やがて遠慮がちに話し始めた。


「俺の見間違いかもしれないですけどね。あの屋敷、消えちゃいましたよね?」

「うん」

「それが、さっき見たらあったんですよ……」

「え!? どういうこと、それ?」

「どういうことでしょう?」


 ブルーは尋ねるように化身の男に見やり、斜め後ろのフクロウを振り返った。

 ずっと大人しかったフクロウが、フクロウらしく一声鳴く。それから「説明するほどでもないがのぉ」と前置きをして、奇妙なことを語り始めた。

 それを聞きながら、私はそれまでの人生を思い起こしていた。もし自分が過去に戻れるのなら、私はいったいどこからやり直したらいいのだろうかと。

 その答えは未だにない。ただし後悔は一度もしたことがなかった。これからもするつもりはない。私はこの面白くもない人生を天命まで全うするつもりだ』


第三章は結局、64話で終了ということになってしまいました。

それからアシュト編はいったん終了となります。また書くかどうかは悩んでいます。この自叙伝は続けてもいいのだろうかと……。

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