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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第80話 時の穿孔 後編

 ロジュの攻撃対象が切り替わった。黒いローブの袖から出た指先から、漆黒のなにかが放たれる。それはユーリィの横を通り過ぎ、背後から近づいてきたタナトス・ハーンへと襲いかかった。

 だがハーンの動きは素早い。上半身を逸らすだけであっさりかわす。彼の背後で地面がえぐられる鈍い音がした。


「邪魔はさせぬ!」


 かつて聞いたことのない暗く低いロジュの声。それを聞いてユーリィは、彼の中に残っていると感じていた“躊躇”が消えたのだと一瞬で悟った。

 ローブの色が溶け出したかのような黒い三角の破片が、ロジュの体を取り囲む。彼が右手を振り上げた時、すべてが放たれた。

 タナトスはユーリィの左斜め後方にいる。無数の漆黒は当然、ユーリィをも巻き込む形で襲ってきた。


「レネ!」


 腰を落として、顔の前で短剣を横に構える。手首に反動を感じ、風の魔法が発動された。

 渦巻く気流が飛んでくる漆黒を迎え撃つ。十ほどの黒い破片が粉砕したが、半分以上は残された。


「もう一回!!」


 だが間に合うとは思えない。三角の尖った先が飛んでくるのが見えて、剣を構えたまま咄嗟に目を閉じる。手首には僅かな反動を覚えた。レネがもう一度風を放ったのだろう。同時に左肘(ひじ)の近くと左肩の辺りに鋭い痛みを感じた。

 目を開けて己の腕を見る。上着の袖が避け、赤紫色の布が濃くなっていた。

 左後方のタナトスはどうしたかと、ユーリィは一瞬だけ振り返った。先ほどより離れた場所に立っていて、とりあえず生きている。

 それだけ知れば十分だった。

 左手でフェンリルが唸る声がする。よもやと期待してユーリィは視線を走らせた。しかし狼魔は右前足を上げたまま、身もだえるばかり。まだ体の自由が効かないらしい。

 とその時、稲妻の光暈こううんに周囲が光った。間髪入れず雷鳴が轟き、生木が裂ける激しい音がした。かなり近い場所に落ちたようだ。

 視線をロジュたちの方へと戻す。ブルーはなにが起こっているのか理解していないようで、しれっとした顔で立ち尽くしている。

 そして敵は、そう、敵はふたたび攻撃を仕掛けようと漆黒の破片を体に纏わせていた。


(あっ、しまった)


 すぐに反撃をしなかったのは明らかな失態だ。

 急いで短剣を構え直し防戦すると、先ほどよりは若干早かったせいか、切り裂かれたのは左袖の肩口だけで皮膚は無事だった。

 周りの様子など無視して、今度は素早く反撃に移る。しかしロジュの隣には呆けたブルーがいるせいで強い魔法は使えない。もっともあのエルフに打ち勝つだけの魔力が、たとえレネの力を借りようとも自分が持っていると思ってはいなかった。

 案の定、数刃の鎌鼬はただロジュを数歩後ろに下がらせただけ。彼の魔法であっさりと消散した。


(埒があかない。早くブルーを正気に戻して、フェンリルを解放しないと)


 ロジュも同じことを思ったのだろうか。突然ブルーの腕をつかんで、さらに後ろに下がり始めた。


「え、なんで引っ張るんっすか? 俺、もう歩きたくないっすよ。雷怖いし」


 奥にある意識がそう言わせているのか、ブルーはロジュに抵抗をして、歩くのを嫌がった。それを強引に引っ張り、ロジュは蔦林の中へと進んでいく。


「……屋敷に行くつもりだ」

「屋敷?」


 気づけばハーンが隣に立って、ユーリィの言葉を繰り返した。


「屋敷は……」


 言いかけて、ユーリィは慌てて口を閉ざした。

 説明する時間がないというは言い訳だろう。本心はタナトス・ハーンにあの屋敷がどうなっているのかを知らせたくなかっただけ。

 彼の望みはひとつ、恋人を取り戻すことを知っている。だからこそだ。

 果たしてロジュがいつの過去から、どうやって息子を連れてこようとしているのか分からないが、場合によってはあの惨劇がなかったことになるかもしれない。

 たとえば、父親と同じ赤い瞳を狂気の色に光らせる以前の彼が来たとしたら……。

 そうなったらこの現実のすべてが変わる。死んだ者が蘇り、起こった悲劇が夢となり、ヴォルフもまた人間に戻れるかもしれない。

 だけど……。

 生きている価値がないと信じていたあの過去へ。

 愛情など一生手に入らないと思っていたあの過去へ。

 恨みと憎しみを心の奥底へ押し込めていたあの過去へ。

 戻るのは__


(いやだ!!)


 一万の魂と一万の哀しみを犠牲にした欲望なのに、捨て去るのは苦しすぎる。


「屋敷に行くつもりなのか、あのエルフは」


 なにも知らないハーンは警戒心を露わにして、ロジュの動きを注視していた。

 エルフたちもう林のかなり奥まで後退している。これ以上は距離を開けるわけにはいかなかった。


「追うぞ」

「近づいたらまた攻撃されますよ」

「分かってるけど、回り込む時間はない」


 渋るハーンを無視して、ユーリィは歩き出した。

 右手にいるフェンリルの様子をちらりと窺う。まだドロベタが体内から出て来る様子はなく、狼魔は首を上下に動かし苦しんでいた。


「フェンリル、もうちょっとの辛抱だから。すぐに助けてやる」


 前方のエルフたちをふたたび見やる。そろりそろりと歩いているが、確実に屋敷へと近づいていた。


「どうするつもりです?」

「ブルーを解放しないと、僕もフェンリルも動けない。でもこの距離なら、あいつが魔法を発動する前に走ったらやれるかもしれない」

「勝算は?」

「ないね」


 話しつつもユーリィたちは蔦の林へと進入し、ロジュたちを追った。前方のふたりは後ろ向きに歩いてる上に、ブルーがまだ抵抗をしていて歩みはかなり遅い。

 雨はますます激しくなった。避けた傷から血がジワジワと雨水に(さら)われているのが分かる。長い時間をかければ、自分も体力が保たないとユーリィは思っていた。


「ロジュの後ろに枝が張り出しているのが見える?」

「ええ、なんとなく」

「あのまま七、八歩下がったら、やつの後頭部に触れる。そしたら避けるために一瞬僕らから目を離すはず。その瞬間に走れ」

「了解です」


 それがぎりぎりのタイミングだろう、自分たちにとっては。

 彼がブルーをあのまま屋敷の中まで連れていくとは思えなかった。どこかで解放し玄関まで一散に駆けていくはずだ。その間にブルーを覚醒しフェンリルを解放させ、なおかつ“時の穿孔”を閉ざさなければならない。

 敵と同じ歩調で足を動かす。土砂降りに近い雨の中、緑青色の扉はユーリィにも見えていた。

 あと三歩……。

 あと二歩……。

 ロジュの動きが一瞬止まる。

 背後を気にするように頭が一瞬動いた時、ユーリィはハーンに合図した。


「いま!」


 まるで図ったかのように、雷鳴が近くで轟いた。

 ハーンが勢い加速する。ユーリィも当然それに続く。が、足元に散乱する炭化した枝が雨に濡れ、腹が立つほど滑りやすくなっていた。

 期待通りロジュの反応は遅れた。つかんでいたブルーの腕から手を放し、手首を重ねて魔法を発動しようとしているが、突進していくハーンの方が早いように思われた。

 ハーンは先ほどとは違い、剣を両手に持って構えている。雷に打たれる心配がないと踏んでのことだろう。

 ふたりの距離は二、三歩だ。剣を振り抜こうとして、ハーンの腕に力が入るのを後ろにいるユーリィにも見えた。


(いける!)


 だが__

 一瞬にして、ロジュの前に現れた黒い数百の羽蟻がハーンを襲う。


「うわっ!」


 顔や腕に集った虫に驚きハーンが奇声を上げた。

 すっかり忘れていた、ロジュは幻虫使いだったことを。

 羽蟻たちはハーンだけではなくユーリィの方へも向かってくる。魔法で作り出された虫だと分かっていても、生理的に受け付けないものを目の前にしてはどうにもならない。本能的に回れ右をし、気づけば逃げ出していた。


「無理!!」

「ったく、信じらんねぇ!!」


 ハーンの言葉が大量の羽蟻に向けられたものなのか、それとも自分に向けられたものなのか分からぬまま、もうすぐ出口だというところですぐ後ろに気配を感じた。


「伏せて!」

「え!?」


 背後から押さえつけられるようにして、水が溜まり始めた地面へと倒される。顔を打ち付けなかったのは奇跡に近かった。

 凄まじい羽音が上を通り過ぎる音がした。

 そっと顔を上げると、数千の羽蟻が体の上を抜けていき、開けた場所まで出ると今度は上昇していくのが見える。まるで形を自在に変えられる黒い魔物のようだ。

 視界から消えた一群の気配がふたたびしたのは、林の奥からだった。上昇した虫たちは上から林の中へと突入してきたらしい。


「諦めますか?」


 冷たく言ったハーンの体を押し退け、ユーリィは立ち上がる。服の前身ごろは見るも無惨なほど泥だらけとなっていた。


「立て、ハーン。剣を構えろ」

「は?」

「まだ諦めないって言ってるんだよ!」


 耳をつんざく雷の音に負けじと、ユーリィは怒鳴り声を上げた。

 一か八かが悪い結果に繋がることはなんども経験している。けれど今はその一か八かに掛けるしかないのだ。


次話は明日か明後日に投稿します。(かなり短いですが)

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