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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第一章 地吹雪
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第8話 しがなき魔物の願いごと

 ベッドの上で膝を抱えて考えているユーリィに、ヴォルフはなんと声をかけていいか分からなかった。

 ヘルマンと会うようになってから、彼の表情は目に見えて明るかった。連日続く会議についても、あのジョルバンニについても不満を口にすることはほとんどなかった。

 大人びているとはいえ、まだ十六歳の少年だ。友人が欲しいと思う気持ちは痛いほど伝わってくる。けれど彼はそれを作る方法を知らなかったし、こんな環境では機会すらなかった。

 十三年の幽閉生活。同年代の者と語り合うこともなく、継母や年の離れた兄に虐められ続けた毎日。そしてようやくできた友人は、裏切りという行為で別れを告げた。

 ヘルマンに呼名の強要を続けたのは、彼なりに考えたことだろう。もしもヘルマンが文句を言い出したら、もっと近しくなるのではないかと、そんなことを思っていたのかもしれない。そう、失った友の時のように。

 けれどヘルマンにとってユーリィは金の天子であり、ライネスク侯爵でしかなかった。

 ユーリィ自身が学べばいいと、何も言わなかった自分にも落ち度はある。だからこそ、今さら何も言えないとヴォルフは思っていた。


「疲れたか?」


 ベッドの縁に座り、金色の髪に手を延ばす。柔らかな糸が優しく指に絡んできた。


「それほどでもない」


 小さく肩をすくめて、彼は返事をした。

 頑固なまでのプライドの高さ。そういうところも堪らなく可愛いのだが、その性格が自らを傷つけている様子を見るのはつらかった。


「明日、俺がヘルマンに……」

「いいよ!」


 強い口調に傷の深さが表れていた。


「でもこのまま誤解をされたままなのは良くないだろ?」

「だれも誤解なんてしてない。僕はイワノフの者で、ライネスクという名の侯爵だ。あいつとは身分が違う。ソフィニアを元の状態に戻すことが僕に課せられた役目。その為だけに必死にならなくちゃいけないんだ」


 諦めにも似た言葉があまりにも哀れで、ヴォルフは愛しき者を引き寄せた。

 その可憐な唇にそっと口づけをして胸へと抱く。感じる吐息はいつもより苦しげだった。


「いつか一緒にフェンロンに行くんだろ? それまでの辛抱」

「うん」


 こんな言葉で慰められるとは思ってはない。

 言葉だけではなく本当に慰められたらと、ずっと努力はしている。ただしその成果はなかなか現れなかった。


「そうだ、ヴォルフ」


 ユーリィは体を離し、少し明るくなった瞳で見上げてきた。


「ようやく本格的な物資の輸送が始まるよ。ソフィニアだけじゃなく、被害が大きいところにも送るから少しはマシになる。砂漠の方もなんとかなった。半分は取り逃がしちゃったみたいだけど、水晶鉱は圧さえたらしい。明るい兆しが見えてきたよ」

「でもすぐに水晶の採掘するのは難しいんじゃないのか?」

「捕虜にしていたククリに手引きをさせる。何人か手なずけろってジョルバンニには言ってあったから。今日聞いたら、協力しそうな者が数名いるって。でも水晶は拳ぐらいの大きさでもそれなりの価値はあるだろ? セシャールやルーベンとそれを使って交渉をしようと思う。あまり恩義を受けるのは良くないと思うんだ、今後のために」


 それでも彼が支配者であることには変わりはなかった。




 翌日は丸一日、ユーリィはギルドのメンバーたちとの会談が待っていた。議題はギルド再編について。夜遅くまで囚われの身となることは間違いだろう。

 会議に渋るユーリィを残し、ヴォルフは宮殿をあとにした。

 行き先はいつも一緒だった。街外れにある小さなアパート。狭くて暗い階段を上がり、二階にあるその部屋の扉をノックする。しばらく待っていると住人が動く気配がして、やがて中から男が顔を出した。


「あー、グラハンスさん、おはようございます」


 彼の名前はハンクと言った。あの戦いのさなかに出会った青年だ。ベレーネク領に住んでいた彼は、両親が敵の手により殺された。哀れにも彼はそのことを知らない。その境遇に同情したのか、ユーリィはこの青年を宮殿へと連れて帰ってきた。


「まだ寝てたのか、ハンク?」

「オイラ、寝るの好きだ」

「ま、寝てれば腹も空かないか。昨日は配給があったらしいが、ちゃんと行けたか?」

「うん、上のばあちゃんといっしょに行ったよ。芋をもらったよ。あとロウソクも」


 可哀想なことに彼は少し知恵が遅れていた。しかし扉の隙間から見た室内は、ベッドと椅子以外の家具はないとはいえ、とても清潔だ。衣服は畳まれて部屋の隅に置かれている。くすんだ臭いがないのは毎日空気の入れ替えをしている証だろう。彼の両親がきちんと彼を育てていたことを意味していた。

 戦いが終了した直後、この青年を追い出して欲しいと、ジョルバンニから申し渡された。それは要望ではなく明らかな命令。そのことをユーリィではなく自分に言ったのは、あの男が若き侯爵の性格を理解しているからなのかもしれない。どんな理由があろうとも、言えば間違いなく拒絶されたはずだ。

 狐のようなあの男は表情も変えずにこう言った。


『貴族でもない不幸な者を、侯爵が宮殿に置いていると世間に知られれば、多くの者がそれにあやかりたいと考えるでしょう。街がこのような状態である以上、何十、何百という者たちが詰めかけてもおかしくはない。病気の子供を抱えた母親を、あの方は突き放せますか? 腕を失った元兵士は? とてもご人徳がある方だと存じています。だからこそ今は、小を切り捨ててでも大を救えるよう、我々で導いて差し上げる必要があるのですよ』


 それに対し、ヴォルフには反論する(すべ)を持ち合わせてはいなかった。

 それでもジョルバンニは、ハンクのために住む場所は用意してくれた。ユーリィに知られた時に、最低限のことはやったと釈明するためにも思えたが仕方がない。

 ユーリィもハンクのことは気にしていたが、彼には親戚に引き取らせたと嘘をついた。この嘘が永久に知られないことを願うのみだ。


「グラハンスさん、今日は行くの? オイラ、昨日はずっと待ってたんだよ」


 ハンクは人懐っこい笑顔を見せる。


「ああ、その為に来たんだから」

「そっか。じゃあ、オイラ、支度するね」

「支度はいい。君の分も食料は持ってきたから」


 持っていた袋を上げる。中には乾燥させた煮豆がたっぷり入っていた。


「やった! ならすぐ行こう!」


 真実を理解できない青年は、元気よくそう言った。




 街の東門からソフィニアを出る。目の前には広大な草原が広がっていた。

 ソフィニアの街には、四方に大きな門がある。大昔、まだここが王国だった頃、その四門を閉めて、敵からの攻撃を防いだのだという。外壁はないが、代わりにレンガの建物がぐるりと街を囲んでいる。それがこの要塞(ようさい)の防御壁だ。

 ヴォルフとハンクは東へと真っすぐに突き進んだ。街の周囲には雑木林のような場所がところどころあったはずだが、今はどこにも見当たらない。薪を求めて、街の者がすべて切り倒したのだろう。残るは地平線まで見える草原のみ。


 この大陸の南部に位置するこの地方はほとんどが丘陵地帯だ。大きな森もなく、高い山もない。その丘陵地の間を数十本の細い川が縫うように南へと流れている。ソフィニア地方の主な産業は畜産で、特に広大な牧草地が広がるソフィニア南部は、牛と羊の数は人より多いと言われるほど。そう、数ヶ月前までは……。


 ひたすら東を目指す。街道は外れたが気にはならない。この地方に自生する草は、ほとんどが膝の高さしかない。そのおかげで道なき道を進むのも苦にはならなかった。

 そうして歩き続けること数時間、いくつかの丘を越えると日はすっかり高くなっていた。ハンクはお腹が空いたと嘆き始める。しかしヴォルフは歩みを止めなかった。どうしても夜中までには戻りたい。今日はきっとユーリィも疲れているだろうから、心配させるわけにはいかなかった。

 やがて胸ほどもある草が群生している場所まで到着した。

 ためらうことなく中へと分け入る。もう何度も来ているからハンクもよく分かっていて、黙って後から付いてきた。こういう(やぶ)には蛇が潜んでいるので足元の注意は怠りなく、顔を刺す細い葉ととも戦い続ける。そんな警戒と戦闘が終わったのは、目の前がぽっかりと開けた時だった。


 眼下は丘と丘の狭間(はざま)、つまり谷だ。底まで行くには崖を降りるしかないが、さほど切り立ってはいない。いつものように両手両足を駆使し、重なる岩を慎重に降りていくと、ほどなく谷底に到着した。

 谷の真ん中には細い川が流れている。そのせせらぎを聞きながら、ヴォルフは荷物を下ろした。とはいっても大した荷物はない。豆の入った袋と、皮の水筒、それから剣。本当は槍の方が好みだが、ユーリィからもらったあの槍を手放した時からもう使わないと心に決めていた。


「ハンク、すぐやるぞ」

「でもオイラ、お腹空いちゃったよ」

「俺の分の豆も喰っていいから。その代わり、いつもみたいに見張ってろよ」

「うん、どこにも行かないように見張ってればいいんだよね? でもさ、オイラ、本当は乗って帰りたいんだ。だってまた歩いて帰るの疲れちゃうし」


 彼の希望通りのことが果たして起こるだろうか。

 ヴォルフは天を仰ぎ見た。

 自分の意志でこの空を駆け、彼の元へと戻れるのならどんなにいいだろう。


「やるぞ」


 黄色に変色した右眼に手のひらを宛がう。今度こそ、あの魔物と同化して、彼を護るモノになりたいと強く願った。


 出会った瞬間から恋に落ち、激しく拒絶され、それでも気持ちを抑えることができなかった日々。ただひたすらに憂いだ光を明るく輝かせることだけを夢見ていた。傷つけても傷つけられても失いたくなくて、悲しみと別れを繰り返し、互いに血反吐を吐いて、ようやく手に入れた青い宝石。

 もしも彼が逝ったら、自分も逝こうと誓ったこともある。

 それほどまでに深く愛していた。

 けれど瞳の憂いが消えた瞬間、手に届かぬ星のように輝き始め、今度は盗まれる恐怖に(おちい)った。

 きっといつか、多くの者が少年の周りでひざまずき、自分は近付くこともできなくなる。そう思っただけで、気が狂わんばかりに苦しくて、本当に狂ってしまった。

 あの時、この世界から彼を隔離し、自分だけのものにしようとした。監禁し、無理やり犯せばそれが叶うのではないかと。

 自分を愛してくれているのなら、世界がどうなろうと一緒にいてくれるはずだ。

 ふたりだけの世界を望んでくれるはずだ。

 愛しくて愛しくて愛しくて、ただ愛しくて__。

 もしも盗まれてしまうなら、この手で壊してしまおう。

 そう思った。

 けれど彼はひたすらにこの世界を救うことだけを望み、激しく抵抗した。

 自分のものではないのだと、生きる意味を失ったのだと、どれほど絶望したことだろう。

 それでも最期に彼の望みだけは叶えてあげたくて、愛する者のために刺し違えてでも敵を倒そうと必死に必死に__。

 必死になった結果、最悪な返り討ち。

 そんな情けない男を殺さぬために少年が選んだ方法は、魔物に変化(へんげ)させることだった。

 ソフィニアを襲った魔物は、もともとは人間やエルフだった者の成れの果て。古代の凶悪の魔法で、瀕死の人間やエルフの魂を餌に、異世界に済む魔物を誘き寄せ、喰わせるというものだったらしい――本当のところあまり理解できていないけれど。

 ただ分かっているのは、この魂の半分は青い狼魔であるということ。狼魔の半分はユーリィが持っていて、自分の半分は死んでいる。

 そう、俺は魔物なのだ。

 変色した黄色い瞳を強く擦れば、たちまちあの魔物が現れて、意識は乗っ取られる。

 だが魂が完全に同化をすれば、自らの意志で愛する者を護ることができるらしい。


 早くそうなりたいのに。

 彼が行きたい場所にどこにでも連れていければ……。

 意識が混濁していく。

 前にいるハンクの姿が陽炎(かげろう)のように揺るぎ出す。

 ああ、また俺は狼魔の中で眠ってしまうのだろうか……。



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