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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第76話 闇に散る紫煙

「ただいま帰りました」


 薄暗い室内に入ってすぐ、ラウロは机に向かうリュフール神父に声をかけた。

 彼は両ひじをつき、頭を抱えるような姿勢のままラウロを見ようともしない。こんな具合の悪そうな神父を見るのは初めてで、ラウロはどうしていいか分からなかった。


「神父様、まだご体調が良くないのですか?」

「ああ……ラウロでしたか……」


 机の前に立ち、覗き込むようにして顔を覗き込んだラウロを、神父はようやく意識の中に入れてくれた。


「横になられた方が……」

「いいえ、心配はありませんよ。あの時はただ目眩がしただけなので」

「“目眩は大病の元”って言います。明日、お医者様に見てもらいましょう」

「これは病気だからではないんです」


 薄らと微笑みを浮かべて、神父は姿勢を正した。しかしその顔色はあまり良くない。やはりなにかの病気なのだと、ラウロは心配になった。


「あの方もお戻りになったのですか?」

「あの方?」

「天子様です」

「門のところで護衛の方とお話をされていると思います」

「そうですか……」


 神父の茶色い瞳が、急に虚ろになる。まるで意識だけがどこか遠い世界に行ってしまったようだ。次の言葉を大人しく待っていたラウロだが、無言のまま微動たりともしない彼にとうとう焦れて、ふたたび声をかけた。


「神父様?」


 存在を忘れていたのか、神父はラウロを見上げて目を丸くした。


「ああ……申し訳ない……少し混乱をしていて……」

「いったいどうなされたんですか?」

「なぜなのか分からないのですが、過去が蘇ってくるような気がしたのです」


 神父が過去のことを口にするのは珍しいなとラウロは首を傾げた。

“辛い過去を思い出すより、明るい未来を想像しなさい”

 それが神父の口癖である。親を亡くしたり、捨てられたりした子どもたちへの慰めなのだろう。しかし彼自身にもなにか辛い過去があるのだとラウロは密かに思っていた。


「やっぱりお休みになった方が――」


 言いかけたラウロを、神父は真顔で見返した。


「どうか聞いてもらえますか、私の過去を。とは言っても、お話できるようなことはほとんどないのですが」


 ラウロは唾を飲み込むと、小さくうなずいた。

 正直、神父の過去には興味がある。その気品ある態度や、丁寧な言葉遣いから、実は高貴な生まれなのではないかと想像をしたことも何度かあった。


「四十年前、私はソフィニアの近くの草原にいました」

「ええ」

「それから十年さまよい続け、この町にたどり着き、廃墟となっていたこの教会に住み着いて、君を引き取ったのです。それが私の歩んだ人生です」

「……え?」


 ラウロは驚いて、思わずそう言ってしまった。


「少し説明不足でしたね」


 少しばかりか、ほとんど端折っている。これならわざわざ説明をしなくても良かったのではないかというような内容だ。


「でも実のところ、これ以上なにも言うことがないのですよ。“ある日、私は草原に立っていた”というのが私の始まりなのです」

「どういうことなんですか?」

「気がつくと私はその場所にいたのです。自分がだれなのか、どこから来たのか、名前すらも分からずに。私は酷く混乱していましたが、たまたま通りかかった方に助けられ、新しい名前をいただき、一年ほど一緒に暮らしました」

「助けた方とは?」

「年老いた旅の神父様です。おかげで私はのたれ死にをせずに済みました。その方が一年後に亡くなられると、私は旅神父として、独りで自分を探す旅を続けました。しかしなにひとつ見つからないまま、この町に着いたのです。

 この町の方々はとても親切で、もうだれもいないこの教会でぜひ神父として暮らしてくれと頼まれました。私も自分探しに疲れ果てていましたので、少しの間ならということで暮らし始めたのですが、捨てられた君を見て運命を感じました。神が私に、ここに留まれとおっしゃられているのだと」


 神父の顔には、なんの苦しみもないという穏やかな微笑みが浮かんでいた。

 ではなぜ、彼は混乱しているのだろう。過去がないことに不安がないのなら、彼をこれほど困惑させているのはなんだろうか。

 ラウロの疑問を感じ取ったのか、神父は笑みを消すと、


「天子様を見た時、突然、私の知らない場所が浮かんできたのですよ」

「どんな場面ですか?」

「分かりません、ほんの一瞬だけでしたので。薄暗い部屋と白いベッド、それだけです」

「前に寝泊まりした家か宿屋だったのでは?」

「かもしれませんが……。ただ私は白いベッドを見た覚えはまったくないのです。それに目眩と言うより、なにかこう、体から魂が抜けるような……、ああ、言葉で説明するのは難しそうです」


 大きな息を吐き出して(ひたい)に手を当てる神父を見て、ラウロは本当に心配になった。過去になにがあろうとも、今の彼は尊敬に値する人物なのだから。


「ああ、忘れるところでした。ラウロ、これからミンツさんのところに行って、部屋が空いてないかどうか聞いて来てください」

「宿屋のミンツさんですか? いいですけど、でもどうして?」

「ここには部屋がないですから。アシュト様は馬車でお休みになるとおっしゃってますが、それでは申し訳ないので……」

「あのエルフは大丈夫だと思いますよ。リーバの隣で寝ると言ってましたから」


 侯爵とのやり取りでふて腐れていたブルーだったが、寄宿舎に到着した頃には機嫌が直っていた。

 この町ではエルフを見かけることは滅多にないので、初めは物怖じしていた子どもたちだったが、ブルーの明るい性格が幸いし、すぐに打ち解けた。特に新顔のリーバはすっかり懐いてしまったようだ。彼はあの戦いで両親を亡くしたエルフで、今年十二歳になるらしい。人間の子どもに遠慮して大人しい印象だったが、今夜はずいぶんはしゃいでいた。

 しかし貴族のおふたりは、神父の言うとおり孤児たちと一緒には寝かせられないだろう。寄宿舎と呼んでいるここは、掘っ立て小屋を大きくしたような建物で、大部屋が三つ、神父の個室、食堂と厨房、そして物置しかなかった。


「すぐに聞いてきます」

「お願いしますね」


 廊下に出ると、赤ん坊が泣く声がしていた。いつもの夜泣きだろう。一歳以下の子どもの面倒は、年上の子どもがすることになっている。今日の当番はナディアだ。ラウロもそうして暮らしてきた。

 自分を育てた神父に、まさかあんな過去があったのは驚きだった。それと同時に嬉しくもある。自分と同じように彼も何者でもない人間だったのだ。

 玄関脇のコンソールテーブルに置いてあるランタンをつかんで外に出ると、嗅ぎ覚えのある匂いが漂っていた。兵士をしていた頃、先輩たちがよく吸っていた巻き煙草の匂いだ。

 だれだろうと闇の中を見渡すと、寄宿舎と教会との間に、赤い炎を光らせる人物を発見した。その輪郭から、侯爵を警護していた男だと分かる。彼は教会の外壁に寄りかかり、紫煙をくゆらせていた。


(あ、そういえばあの人がいたな)


 宿屋を手配するなら、彼の部屋も必要だろう。なにしろ彼は侯爵を警護しているのだから。けれど一応本人に尋ねようと、ラウロは恐る恐る近づいた。

 だが、足音も気配も感じただろうに、男はそばまで来たラウロを見ようともしない。自分が吐き出す煙を目で追って、満月が浮かぶ濃紺の空に顔を向けたままだ。暖かな春風がその煙を散らしていた。


「あの……」


 勇気を出して声をかけてみた。

 しかし男は、聞こえているのかと疑うほどなんの反応も示さない。しかたなく、用件だけを伝えようとラウロは先を続けた。


「あの、これから宿屋に行って部屋があるかどうか聞いてこようと思っているんです。侯爵とアシュト様のお部屋です。その場合、貴方の部屋も必要でしょうか?」


 ラウロはしばし返事を待ったが、男からの反応は全くなかった。

 やはり耳が遠いのだろうか。


「これから……」

「宿は必要がない、この辺で適当に夜を明かす」


 顔は夜空に向けながら、ようやく男は応えてくれた。


「で、でも侯爵を警護なされているのでしょ?」

「役目は先ほど終わった。明日、領地に戻る」

「終わったって……」


 それを聞いてラウロはびっくりした。

 あの屋敷の中で交わされた会話から、とても警護が終われる状況とは思えない。それどころか、侯爵の身はかなり危うくなりそうな気配があった。


「オレはな、フォーエンベルガーの者なんだよ。あの方を警護していたのは、当主リカルド様のご命令なだけだ」

「だけど、せめて明日エルフの返事を待ってからでも……」

「オレには関係ない」

「でも、侯爵になにかあったら、ソフィニアはますます混乱してしまいます」


 ラウロは必死に食い下がる。

 できるなら、自分があの方を守りたい。それが叶わぬなら、せめてもの罪滅ぼしとして助けになることをしたかった。

 だが__


「別にオレがいなくなっても、あの魔物やエルフがいるだろ」

「そ、そうですが……」


 あの狼魔がもしもグラハンス氏であったとしたら ――魔物を見る侯爵の視線を考えれば、たぶんそうなのだろう―― 確かにだれも必要はないのかもいれない。


「言っておくが、フォーエンベルガーだけがオレの守るべき場所だ。エルフのクソガキが作る世界なんて、どうなろうと知ったことではない」

「なっ! そんな無礼な……」

「では逆に聞く。侯爵をみなで崇めている理由はなんだ? 顔か? あの娘みたいな容姿なら、勘違いする野郎もいるだろうな。たとえばあのエルフとか」


 男の言葉がラウロの胸にぐさっと刺さる。

 まさに自分はその勘違い野郎のひとりなのだ。勘違いして、暴走して、傷つけて、そして取り返しのつかないことをしてしまった。殺されてもいいほどの無礼を働いたのはこの男ではなく、自分の方だ。

 それなのに、侯爵は本当に忘れようとしてくれている。狼魔を見る瞳に哀しみの色を浮かべていようとも……。


「侯爵はだれよりも強くてお優しい心をお持ちです」

「だから?」

「あの方が作る世界はきっと素晴らしいものになるって、俺もみんなも信じているんです」


 すると男は煙を吐き出しつつ、(あざけ)るように鼻で笑った。

 初めて向けられた視線には、射られそうなほど鋭い光が宿ってる。だから、男が心に深い怨念を隠しているのだと、ラウロは一瞬で悟ってしまった。


「魔物やエルフなんかと一緒に暮らす世界が素晴らしいってか? 冗談はよせ。奴らはこの世界に仇なす存在に過ぎない」

「だけど侯爵なら……」

「で、その素晴らしい侯爵様はなにをした? 前回の戦いの原因を作っただけだ」

「そうかもしれないけど……」

「おや、認めたな」


 男の嫌味な表情が、無性に腹が立つ。

 あの方についてなにも知らないくせに。

 彼がどれほど真っ直ぐな心を持っているのか知らないくせに。


「でもご自分でそうしたいと思われたわけじゃないと思います! それにこの世界にいる魔物もエルフも、神マルハンヌスが存在を許した者たちです。人間に排除する権利などどこにもありませんから!」

「神ねぇ……。ならその神というものが本当にいるのなら、どうして我々を苦しめる?」

「それは……」

「みなが幸せに暮らすなんて理想は、この世には存在しないのさ。必ずどこかに歪みが生じる。お前がここで暮らしていたのも、その歪みのせいだろ? もしもエルフや魔物が台頭してきたら、人間すべてが歪みの中に追いやられるだろうさ」


 なにも言い返せなかった。なぜなら、ここにいる自分や子供たちは、彼の言う“歪み”の縁にしがみついて生きているのだから。

 だけど、今のままでもよくならないのなら、信じられる者に未来を託したいと思うのも真理ではないか。


「もういいです。貴方が警護なんてできない人だってよく分かりました」

「ま、せいぜい頑張ってくれ。あのクソガキにも――」

「クソガキって、もしかして僕のこと?」


 聞こえてきた声に、男は口に持っていこうとしていた煙草を持つ手を止めた。

 ラウロもまた驚いて振り返ると、教会の丘を登る坂の入口に、こちらに向かって歩いてくる人物が見えた。柔らかな夜風に揺れる金の髪が、月光の粒を散らしている。その傍らを魔獣が寄り添い歩く。紛れもなくライネスク侯爵だった。

 ゆったりとした足取りで、岩と雑草ばかりの庭を横切って、侯爵はふたりの近くまで来た。美しい顔にはなぜか微笑みが浮かんでいる。男の暴言など歯牙にもかけていないらしい。


「ラウロ、お前、まだこんなところにいたの?」

「宿屋に行って、部屋が空いているか尋ねてこようかと思っているので……」

「宿屋? なんで?」

「むろん、侯爵とアシュト様のお部屋をと」

「その必要はない。僕は別にどこでも寝られるし。なんならあの下でもいいよ」


 庭の外れに立つ木を指さした侯爵に、ラウロは「とんでもない」と言って首を横に振った。


「え? あそこって寝ちゃ駄目な場所?」

「あんなところで侯爵をお休みさせるわけにはいきません」

「でも見晴らしが良さそうだし。今日は満月だから、町の方まで見えるかもしれない」

「木も花が散ったばかりなので、虫が落ちてくるかもしれませんよ。それに周りは畑になっているので、そこからも沸いて出てくるかもしれません」

「虫かぁ……」


 彼は本当に嫌そうな表情で、眉をしかめてみせる。そんな表情ですら、本当に愛らしく美しい。手を伸ばせば触れられる距離にいる侯爵を前に、強い劣情が残っている心を必死に抑え込んだ。


「まあいいや。他に探すのも面倒だし」

「それより宿屋を……」

「そんなことしてククリが襲ってきたらどうする。言っておくけど、僕は自分以外の奴なんて守らないからね」

「え? だってククリからの返事は、明日の夜なのでは?」

「馬鹿だな、お前。返事は明日かもしれないけど、結論は今頃出てるかもしれないだろ。もし僕には従えないってことなら、すぐに襲ってくるかもしれないんだぞ?」

「でも、いくらなんでもあそこでは……」

「まさかアシュトが宿屋で寝たいって言い出したのか?」

「アシュト様も馬車でいいとおっしゃって、もう就寝なされてます」

「相変わらず暢気な男だな、あいつは」


 ラウロは斜め後ろにいる男へと視線を移した。短くなった煙草を指に挟んだまま、男は無言で侯爵を見返している。先ほどの暴言への言い訳はするつもりはないようだ。侯爵も別段腹を立ていてる様子はない。むしろ別れた時よりも機嫌が良いようにも見受けられた。


「じゃ、そういうことで」


 狼魔を従えて、侯爵は木の方へと行ってしまった。


「言葉と態度と行動と表情が、すべてチグハグなのは興味がないわけではないが……」

「え?」


 呟かれた言葉の意味が分からず、ラウロはぼんやりと男を顧みた。

 彼は火の消えた煙草を咥えたまま、侯爵の輪郭を見つめている。その瞳は未だ鋭い光を放っていた。



 エルフのブルーが寄宿舎から姿を消したとみなが知ったのは、次の朝だった。



挿絵(By みてみん)

作画:鷹澤水希様



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