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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第75話 苛立ち

 崩れ落ちた壁が床一面に散らばっている。端に置かれた来客用の長椅子は脚がひとつ折れ、斜めに傾いている。天井にあるシャンデリアも鎖が切れていて、今にも落下しそうだ。右手にある階段は、数段上がった部分からは抜けているらしい。

 ラウロが握るランタンとロジュが持つロウソクの光が、それら残骸に妖しげな陰影をつける。どこかで鼠が走るような音がした。

 エントランスに入ったユーリィら四人は、それら障害物に阻まれ、入口から数歩のところで止まっていた。もっとも、なにもなくても進まなかっただろう。警戒が必要なことぐらいはユーリィも理解していた。

 入口の扉はフェンリルの体が押さえていて、開かれたまま。少しでも危険な状況になれば、魔獣はこの屋敷すべてを破壊してでも、助けに来てくれるはずだ。


「お前、やっぱり生きていたのか」


 フードを落とし、顔を晒しているエルフの顔を見据え、ユーリィは静かに言った。

 白銀の髪は以前のままだが、顔の半分にただれた痕がある。あの時の炎がそれを作ったのだろう。


「残念ながら、と言うべきでしょうね」

「あいつは?」


 返事を待つ間、様々な思いがユーリィの脳裏を駆け巡った。

 彼がまたあのような事態を引き起こしたら、世界を支配しようという欲望を抱いているとしたら……。


「心配なされなくても、死にましたよ」

「心配なんてしてないさ」

「そうでしょうか?」


 赤い瞳が放った光が異様に見えたのは炎のせいか、それとも息子を殺された恨みがあるからなのか。しかしロジュの表情は、あいかわらずつかみどころがない。


「だけど決着はあの時についているはずだ」

「私の中では、まだ決着がついていないのです、ユーリィ様」

「どういう意味?」

「血のつながりというものは不思議なものです。息子はエルフだけの世界を作り、それを手に入れたることを夢見てしました。申し上げたと思いますが、彼の夢はかつて私が抱いていた野望そのものなのです」

「また同じことをしようってのかよ!?」


 ロジュの言葉に、ブルーがいきり立った。人差し指と中指で左肩を押さえ、魔法を放つ寸前という体勢になる。淡い光でもはっきり分かる怒りが、全身からにじみ出ていた。


「まだ話は終わってないから黙ってろ、ブルー」

「我々は同じことをしたいと思っているわけではないのです。ただ願いは一つ、ククリの住処を取り返すことだけ」

「つまり水晶鉱山に戻りたいと?」

「あそこは我々の先祖が苦労して鉱脈を見つけ、そして守ってきた場所です」

「あんた、あの戦いでどれだけ死んだか知ってるのか? 戻りたいとか、マジでふざけんなって話。あーイライラする。侯爵、ククリの言うことなんて聞く必要ないっすからね」


 ラシアールは昔からククリと対立してきたから、ブルーは余計に腹が立つのだろう。ユーリィ自身もククリに同情しているわけではない。

 けれど……。

 他の二人がどう思っているのだろうかと、反対側を盗み見る。途端、恐ろしい形相をしたタナトスが目に飛び込んできた。

 鋭く尖る視線、噛みしめられた唇、息を繰り返す肩。当主の命令に従い、感情を押し殺していた男の内面が、闇の中でむき出しとなっている。彼が今すぐ爆発しても、きっと驚きはしないだろう。しかし憎しみの波動はすべてロジュへと向けられていた。

 そのことに苛立ちを感じずにはいられない。なんと下らない約束をしてしまったのかと改めて思い、ユーリィは心で舌打ちをした。

 タナトスを凝視することに耐えきれずに、やや後ろに目をやると、そこにもまたユーリィを苛立たせる者が立っていた。

 ランタンを握りしめたまま、心ここにあらずと言った様子でうつむいている。彼はまだ、先にない感情を抱えて悩んでいるのだろうか。

 目の端には魔獣の姿が映っている。月光を浴びた彼は、今なにを思っているのか、妖しく光る瞳だけでは読み取れなかった。

 この体を抱きたいと思わないのだろうか。あの劣情は消えてしまったのだろうか。それとも人手あったことすら忘れてしまっているのだろうか。

 今、この暗闇には様々な感情が溶けている。たったこれだけの人数だというのに、自分は統制ができない。それが苛立ちの原因だった。

 そんな気持ちを抑えてロジュへと向き直ると、緋色の双眸がこちらをジッと見つめていた。


「ってか、あんたら、侯爵の命を狙っていたくせに今さら願いとか、俺には意味が分からないんだけど。それって願いじゃなくて脅しだよな?」

「若い連中は、後先を考えずに暴走してしまうものなのですよ」

「つまり、あんたが首謀しているわけじゃないって言いたい? でも魔物使いの魔法を教えたのはあんただって聞いたぜ。ラシアールに罪をなすりつけようとしたんじゃないの?」

「魔物を使役できるのは、ラシアールだけの特許ではないと知らせたかっただけですよ。それから、首謀というのがなにを意味しているか分かりませんが、自由の身でいるククリの最年長が私なので、必然的にみなを指揮している形となっているだけです」

「だったら無駄な抵抗はやめて投降しろって仲間に言えよ」

「私の言葉にみなが従うわけではありませんから」

「侯爵をここに呼びつけたのも、最初からお命を狙うつもりだったんじゃ――」

「ブルー!」


 先走るエルフをユーリィは遮った。


「僕が尋ねるから、お前は黙ってろ」


 まずはロジュの気持ちを知りたい。ずっと守り続けてくれた男の本心を。

 最後の戦いで彼は言った、息子より貴方が大切だと思ってしまう“と。

 だとしたら、ロジュを取り返せるのではないか、また守ってもらえるのではないか。

 そんな小さな希望を抱いて、ユーリィはふたたび口を開いた。


「ククリのことはまだなにも決めてないけど、鉱山を明け渡すつもりはないよ」

「そうですか。それは残念です」

「でも悪いようにはしない。たとえばラシアールみたいな役割をしてもらうとか。魔法軍を作ろうと思ってるんだ。ククリなら戦闘能力に優れているし、優秀な戦士になれるんじゃないかな?」

「駄目っすよ、侯爵。奴らは人間どころか他のエルフすら見下している。人間に協力して戦うなんて考えるはずがない。早々に裏切って、俺たちを攻撃してきますよ」

「そうならないようにすればいいじゃないか」

「無理っすね。奴らは使い魔より扱いにくい魔物っすから」

「だけど――」

「ユーリィ様」


 いつの間にかブルーを見ていたユーリィの意識を、ロジュの厳しい声が呼び戻す。それは過去に何度も聞いたものだ。無鉄砲な行動をたしなめる時、自暴自棄になっていた時、彼にそうして名前を呼ばれた。だから今も、自然と身構えて彼の苦言を聞こうとしている自分がいる。


「なんだよ……?」

「貴方のお気持ちはよく分かりました。彼らには一語一句違えず伝えましょう」

「うん、そうして」

「ただし、彼らが納得するかどうかは分かりません。あまり期待されないように」

「もし納得できないと言ったらロジュはどうする? なんなら僕のところに来ても……」

「私は貴方の守護ではないのですよ、ユーリィ様。それに私など、もう必要はないようですね」


 ロジュの薄い唇が微かに弧を描く。白目のない赤い瞳がどこを見たのか、暗がりではよく分からなかったが、この場にいるだれかを映していたに違いない。それが不満なわけではないはずなのに、ユーリィは物悲しくなってしまった。


「必要かどうか、僕が決めることだから」


 強くそう訴えたが、彼はただ小さく首を横に振り、拒絶を表した。


「明日の夜、ここに来て下さい、ライネスク侯爵。返事はその時に」


 そう言ってきびすを返し、立ち去ろうとするロジュへかける言葉が見つからない。

 ただ呆然と闇になびくローブの裾を見つめていると、ブルーが「戻りましょう」と声をかけてきた。


「あ、うん……」


 まだ心残りがあるのに、どうしていいのか分からなかった。

 諦めきれない思いを引きずって、のそのそと戻りかけた途端、尋ね忘れたことが出てきてくれた。

 その応えによっては希望があるかもしれないと、まだ居るだろう暗がりに影を探りつつ声をかける。


「ロジュ、お前はどうしてあんなあやふやな伝言を残した? それでも僕が来ると思ったから? 来ないで欲しいと思ったから? どっちだ」


 必ず応えがあるだろうとユーリィは信じていた。

 その時、ふと妙な気配を感じて、なにげなく横を見た。

 そこに居たのは、瘴気を呼んでいいほど、荒い呼吸を繰り返している男。持っている剣の先が、闇を切り裂こうかと迷っているように震えている。このまま留まれば、彼は間違いなくロジュを襲うだろうが、あのエルフが剣などで易々とやられるはずはない。その上、背後からはフェンリルの焦れたような呻きも、聞こえてきている。どちらももう数秒も待てないと無言で訴えていた。

 けれど、今はその時ではない。ククリたちが考える猶予と、自分の迷いを払拭するためには、どうしても時間が必要だった。


「帰るぞ、ハーン、ブルー、ラウロ」


 きっとまだ、どこかに道はあるはず……。




 帰り道、だれもひと言も喋らなかった。ブルーですら眉間に皺を寄せ、黙々と暗い道を歩いている。行きと違うのは、ユーリィの横にぴたりと魔獣が寄り添い、代わりにタナトス・ハーンがかなり先を歩いていたことだ。

 タナトスの怒りがどこまで広がっているのか、ユーリィにはつかめなかった。

 ロジュに呪いの念を飛ばしていたことは分かっている。しかしその呪いが自分にも向けられていたのかは定かではない。

 そうであって欲しいという理性と、そうでなくてもいいという願望が、心の中でせめぎ合っている。

 だれかに憎まれるのは慣れているけれど、決して望んでいるわけではないのだから。



 やがて教会まで戻ってきた。

 入口には太い三本の木で道を囲っている粗末な門がある。その前で先を歩いていたタナトスが立っていた。


「少しお時間をいただけますか、ライネスク侯爵。できれば二人だけで」

「別にいいけど」

「簡単に承諾しないで下さいよ、侯爵」


 すかさず言ったのはブルーだ。その態度は守護者と言うより保護者そのもの。

 どうして次から次へと、行動に制限をつけたがる者が自分の前に現れるのだろう。みな、幼児を扱うような態度で、こぞって保護者へと変貌するのはどうしてなのか。


(それだけ僕が頼りないって思われてるんだろうな……)


 そう思った瞬間、さきほどの苛立ちがぶり返した。

 きっと出来損ないの自分が、未だに好きになれないからなんだろう。だけどそれは以前なら諦めていたことだ。たぶん一生好きになれないと思っていた。

 それなのに、今はなぜか無性に腹が立つ。未熟であることを認められない自分も、そして相手も気に入らなかった。

 ユーリィの気持ちなど汲み取る様子もなく、ブルーはさらに続ける。


「ハーンさん、俺らがいたら駄目なんですか?」

「侯爵と二人だけでお願いします」

「でも俺、仮護衛のあなたと違って、侯爵を守るのは勤めなんですよ」

「僕はブルーにそんな役目を課した覚えはないから」

「課されなくても、ラシアールは貴方に従うと決めてるんだから、守るのは当然です」

「ブルー、僕も彼と話したいことがあるんだよ。それにフェンリルがいるから。ラウロと先に教会に帰ってていい。リュフール神父も心配しているはずだ」


 ブルーはガッカリしたというように肩を落とし、小さなため息を吐き出し、それからハーンを睨みつけ、無言でラウロを連れて教会へと戻っていった。

 そんなに気に入らない主人なら、見捨ててもらってもかまわないのに。

 いや、かまわないわけじゃない。

 やっぱり見捨てられるのは嫌だ。ロジュが戻ってきてくれないのも、たぶん未熟者が気に入らないからなんだ。

 なにもかも認めてもらえるような者になりたい。

 どうしてもなりたい。

 でも、いったいどうしたらなれるのだろう……。


「ライネスク侯爵?」


 その呼びかけに、ユーリィは我に返った。

 さぞや情けない顔をしていたことだろう。しかしタナトスには好かれる必要はないのだから、そんなことは気にすることじゃない。

 だけど、憎む価値すらない者だと思われるのも癪だ。


「なんだよ」

「明日、私は領地に戻るつもりです」

「ずいぶん急だな」

「護衛をどこまでするかという指示はありませんでしたが、ここが最初の目的地ですから、私の役目は完了です。なので、伯爵になにか伝言があれば伺おうと思ったのです」

「だったら伝えておけ、僕には金輪際逆らうなって」

「分かりました」


 煽り言葉としては完璧だったはずなのに、タナトスは先ほどの表情を戻してはくれない。

 まだ足りないのだろうと、ユーリィはさらに続けた。


「へぇ、分かったんだ。でもお前はそれでいいのか? リカルドの話だと、恋人をあの戦いで亡くしたんだってね。そんなお前が、僕の君臨する世界を本当に認められるの?」

「ならば逆にお伺いします。貴方は人間ですか? それともエルフですか?」

「僕は……エルフだ」


 今の今まで一度も口しなかった言葉が、胸をえぐる。

 本当はエルフでもなく人間でもない者だのだと、頭にいるだれかが反論した。


「では貴方も、地上をエルフが君臨する世界をお望みなのですか?」

「望みは共存」

「共存などできはしません。特にあそこにいた男の仲間とは」

「で、いったいなにがあったお前の恋人に。もちろん興味本位に聞いているんだけどね。野次馬根性ってやつ」


 タナトスの太い眉がぴくりと動く。月に照らされた浅黒い顔が、一瞬青ざめたような気がした。


「私の婚約者はベレーネク領外れ、つまりフォーエンベルガーとの領境にあった村に住んでいました。その村が魔物に襲われたのはちょうど半年前、ライネスク侯爵、すべて貴方の仕業だと噂がなられた頃ですよ」

「ああ……」

「あとで聞いた話では、エルフどもはそうした小さな村を襲い、瀕死の人間を材料にして魔物を作っていたそうですね」

「らしいね」

「彼女がどうなったか、はっきりとは分かりません。しかし生き残った者の話によれば、最後に見た彼女は虫の息で、その彼女をエルフどもが荷馬車に放り込んでいたそうです」

「生きている可能性は?」

「万に一つもありませんね」

「そう……」


 ユーリィだって分かっている、愛しき者を失う苦しみを。絶え間ない痛みに魂が壊されていくあの感覚は、二度と味わいたくはない。

 そして目の前の男は、あの感覚を抱えたまま生きている。果たして、このまま彼を苦しめることが本当に正しいことなのだろうか。

 しかしフォーエンベルガー領は、ソフィニアにおいて重要な場所にある。軍事面においても流通面においても。治外法権ですらギリギリの譲歩だ。むろん未来永劫それを認めるつもりはないが、せめて国としての体制が整うまで、フォーエンベルガーの動きは封じ込めなければならない。

 たとえば今、リカルドとの契約をタナトスに告白し、憎んでいるふりをしてくれと頼むことは可能だろうか。


(いや、無理だ……)


 タナトスにとって大事なのはソフィニアではなくフォーエンベルガーだ。しかも愛しき者を奪った連中と共存を考えている相手に、協力などするわけがない。

 やはりここは当初の計画通り、彼の憎悪を自分へと向けさせよう。

 たぶんそれが一番いい。


「話はだいたい分かった。でも僕には関係ないけどね」


 冷たく言い放ち、ユーリィは静かに立っているフェンリルの首に触れた。タナトスの気持ちに共鳴した指先がわずかに震えている。


(だけど僕は認められる者になりたいんだ)


 それなのにタナトスの表情にはロジュに見せた怒りの半分もなく、やや嫌味が混じった笑みが浮かんでいるだけだった。


「もちろん私事ですので、侯爵には関係はございません」

「あ、そ。なら僕がククリと共存を望んでいたって関係ないよな?」

「ご自由にどうぞ。では私はこれにて失礼します」


 本心を見せることなく、タナトスはそのまま立ち去っていった。

 作戦は失敗らしい。

 月夜に残されたユーリィはどうしようもない虚しさを抑えきれず、フェンリルに寄りかかった。


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