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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第三章 朧月
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第68話 聖人ゲーム

 ゆるゆると意識が浮上していく感覚は、何度経験しても心地が悪い。きっと良くないことがあるに違いないという漠然とした不安がいつもあるからだ。それは経験則によるもので、たいていの場合、その法則を裏づける結果となってしまう。法則が崩れたのは、ヴォルフと一緒に寝ていた数十日だけ。今のところ、その安堵を取り戻せそうもない。


「お目覚めになりましたよ!」


 かなり近くでだれかの ――アシュトのようだ―― 声がした。目覚めたことを知らせる必要があるというのは、きっと芳しくはない状況だろう。しかも瞼を刺激する光が頭痛までも呼び起こしている。吐き気がするのも、たぶん気のせいなんかじゃなさそうだった。総合的に考えて、記憶の扉は開いてはいけないに違いないとユーリィは結論づけた。

 が、本人の意志とは関係なく、真っ黒い扉が心の中でゆっくりと開き始める。

 黄色と赤の花弁、赤いドレス、リカルドの横顔、肉の破片、そして果実酒の薄紫色。

 それらの絵が脳内に流れ出た時、頭痛はさらに激化した。


(とりあえずは、殺されなかったみたいだ……)


 酔っ払っていたとはいえ、少々やり過ぎた。

 というより、やってしまったと言うのが正解かもしれない。

 しかし不思議なことに後悔はない。自分の意志で、自分の責任で、すべてを行ったという妙な満足感があるだけだった。


(あっ、そうか、そういうことか)


 突然振ってきた結論に納得し、ユーリィは薄らと瞼を開いた。


「酔いは覚めたかい、子猫ちゃん?」


 薄目で辺りを眺め、足の方でその姿を探り当てた。


「……さすがに殺さなかったみたいだな?」

「あんな脅かしを受けて、君を殺せると思うか」

「まぁ、そうかもね」


 両肘をついてだるい体をゆっくりと起こしてみる。それに伴い頭痛と吐き気が悪化した。

 こうなることを分かっていて、二口も飲んでしまったのだから耐えるしかない。とにかく頭と胃から意識を逸らそうと、室内を見渡した。

 寝かされていたのは、真っ白のレースが掛かった天蓋(てんがい)付きベッド。部屋の装飾すべて白で統一してあるらしい。サイドテーブルも、ソファも、チェストもすべて朝日に煌めいて、女性的な優しさを醸し出していた。残念なことと言えば、ここに寝ていたのが男だと言うことぐらいだろう。


「で、あれからどうなった?」


 部屋が気に入らないという文句は口にせず、ユーリィはリカルドをふたたび見返した。


「おかげさまで、君の使い魔は大人しく出て行ってくれたよ。と言ってもずいぶん待ったけどね。で、すぐにフリューゲ夫人が君を抱いて、ここまで連れてきたというわけさ。彼女を指名したのは正解だったね。我が妹だったらあそこまで勇ましく君を抱き上げられないだろうさ。もっとも恐怖という魔法も、彼女には掛かっていたようだけど」

「お前の茶番劇に、最高のフィナーレを作っただけじゃないか」

「俺の茶番劇?」

「どうせ昨日の昼間の件での仕返しだろ?」

「そんなつもりはなかった、本当だって」


 しかしリカルドの唇はわずかに弧を描き、本当ではないと教えてくれた。


「僕が毒を盛られているわけじゃないって気づいたのはいつだ?」

「ここに連れてきた医者が、“酩酊されているご様子です”と言った時さ」

「まさか本気で、僕が毒死しそうだって思ってたのか?」

「思ってたさ。だれかが毒を盛ったんだってね。そうなってもおかしくない状況だから、この城においては」


 スタキースという男の態度を思い出せば何となく分かる。ここは敵地だ。それを深く考えずに長居したのは軽率だった。その理由として、晩餐会という言葉に舞い上がったアシュトに流されてしまったから、という言い訳は捨るべきだろう。すべての責任は自分にあるのだ。

 とはいえ、そうせざるを得ない状況を作ったのはリカルドである。その恨みを込めて、ユーリィはまだ釈然としない表情を浮かべている男を睨みつけた。


「お前が(だんま)りを決め込んだのは、僕の決定が気に入らないからなんだろ?」

「何を言っていいか分からなかっただけだ。この城にいるのは、先代の祖父から仕えている連中だよ。若造の俺が何か言うたびに、ああでもないこうでもないと文句を言い始める」

「お前、当主だろう」

「もちろんそう有りたいが、今のところ当主としての信用はほとんどない」


 その言葉に、ユーリィも自分が置かれている状況を思い出した。

 主君に小うるさい臣下という者を嫌というほど知っている。ばっさりと切り捨てられればいいのだけれど、自分の立っている場所がぐらぐらと揺れているので、剣を振るうことも易々とできないのだ。


「まあ、分かるけど……」

「正直なところ、あの場は全部、君に押しつけようと思っていた」

「やっぱり」

「君の方が俺よりずっと頭がいいのは知っているから。あの事件のように、上手いこと連中を丸め込んでくれるんじゃないかって期待してたんだ。でもすっかり忘れていたよ」

「なにを?」

「君が無茶をするってこと」


 ヴォルフをかばって刺されたことを言っているのだろう。あの時は無我夢中で先のことなど考えられなかった。酔っ払って先のことを深く考えなかったのとは全然違う。


(やっぱ同じか……)


 深く考えなかったというほど無茶をしたわけでもないが、計算尽くの行動でもない。

 それなのに、“暴走”と呼ばれる久々の悪行は、自分らしさを取り戻したような気がしている。たぶんそれが答えであり、自分の行くべき道なのだとユーリィは完全に悟っていた。


「それで、お前の老獪な側近たちの反応はどうだった?」

「侯爵を始末しろ」

「うん」

「という意見がなかったわけじゃない。ただし君の脅しはそうとうに効いたようだよ。スタキースなんかは“狂っている”と言っていたぐらいだから」

「それは良かった」

「良かっただって!?」


 リカルドの叫び声が、ずきずきと頭を刺激する。二日酔いに比べたら、昨日の連中など怖くも憎らしくもないと、ユーリィは額に手を当てて痛みを抑えようと試みた。


「叫ぶなよ」

「良かったとはどういう意味だい、子猫ちゃん?」

「分かり合えそうもない連中を諭そうとするほどには、僕は聖人じゃないらしい」


 動きたくないと抵抗する体を強引に動かして、ベッドの縁に足を下ろす。片方だけ引かれた天蓋からのカーテンを押し退け、サイドテーブルに手を伸ばした。

 レネが眠る剣がそこにある。武器を奪い取らなかったということは、幽閉する意志はなかったのだと、ユーリィは改めて安堵した。

 木製の柄をつかみ、付いている黄緑色の宝石にちらりと見る。風の精霊レネはいつものようにその中に眠っていた。

 静かに皮の鞘から抜き、少し湾曲した刃を下に向けて、狙いを定める。剣先は天井から吊されている豪華なシャンデリアだ。目の端に、戸惑いの表情を浮かべているリカルドの顔が映っていた。


「昨日言ったことは嘘ではないよ、フォーエンベルガー伯爵」


 ほんの少しだけ手首を動かしただけで、見えない刃が数枚飛んでいく。直後、シャンデリアの上に乗せられたロウソクが七本、中央から斜めに切断され、ぽとりぽとりと絨毯の上へと落下した。

 残った三本に悔しさは否めないが、頭痛の海に沈んでいるわりにはまずまずの出来だ。


「こちらに従えないというのなら、独立をするなり、セシャールの属国になるなりすればいい。ただし、僕が邪魔だと思ったら容赦はしない」

「なっ!?」

「中途半端な同情や、曖昧な遠慮は、言い訳という後悔を生む。それがここ半年で僕が学んだことだ。だったら、言い訳ができないほどに徹した方がいいだろう?」


 心のどこかで望んでいた妙な願望は捨ててしまおう。

 僕は聖人には決してなれない。

 心を黒く染めるつもりもないが、その裏返しとして徳行に秀でる必要はないのだから。

 自分は自分らしく進むだけだ。


「玉座に座れと言われれば座ってやる。だけどあとでみなが後悔しても、それは僕の責任じゃない。そんな単純なことを、今さら気づくなんて笑えるけどね」


 力を貸してくれるレネへの感謝を込めて、ユーリィは剣の柄にある宝石にそっとキスをした。いつだって信じられるのは、人でもなくエルフでもないモノたちだ。


「さて……」


 そう言ってゆっくりと立ち上がり、まだ身動きができないでいるリカルドを正面から見据えた。頭痛も吐き気も、まだ体を痛めつけている。けれど非情な言葉を吐き出すには、ちょうど良い支援であった。


「さっき僕が言った選択は必ずお前が選べ、フォーエンベルガー伯爵。半年前、僕たちの淫らな執着が発端となって、この世界を壊しかけた罪滅ぼしをしなくちゃね」

「そう……だな……」

「昼までにここを出る。そうしなければ、この地を焼き払えと狼魔に命令をしているから」

「子猫ちゃん、いや、ライネスク侯爵、ならば、こっちからも条件を出していいかい?」


 辛辣な笑みを浮かべ、リカルド・フォーエンベルガーはそう言った。

 その姿は半年前に見た彼そのもので、こちらをいたぶって楽しもうという意思すら感じられ、ユーリィは無意識に身構えた。


「条件?」

「しばらくの間、タイトス・ハーンを君のそばに置いてもらう」

「ああ、あの近衛軍司令官か。でもなぜ?」

「彼は半年前の戦いで、恋人を失ったんだ」

「まさかあの男を慰めろとか、謝れとか言うんじゃないだろうな?」

「いや、逆だよ逆」


 歪められた口元がなんと嫌らしいことか。

 そういえばこの男に犯されそうになったのだと、無理やり忘れていた事実が蘇ってきた。


「彼が君を殺したいほど憎むようになれば、君の勝ちだ。支配者として君は非情に徹することができると恐れ崇めよう。しかし、もしもハーンが君に絆されたのなら、君にはまだ付け入る隙があるのだと思うことにする」

「もし僕が城を出てすぐ、あの男を殺したら?」

「そうしたいのなら、そうしたまえ。けれど君にそれが本当にできるかな、子猫ちゃん?」


 いかにもリカルドらしい不愉快な報復だと、ユーリィは顎をあげて相手を見やる。

 絶対にできないと信じ切っている端正な顔を殴りつけたい。

 しかし、確かに彼は正しかった。


「名付けて“聖人ゲーム”」

「面白くもない命名だね」

「条件は飲む? 飲まない?」

「いいよ、飲んでやる」


 下ろしていた剣をふたたび挙げて、ユーリィは切っ先をリカルドに向けた。


「僕が勝ったら、蓋は未来永劫閉め続けろ。少しでも油断したらフォーエンベルガー領は絶対に奪い取る。それでいいか?」

「もちろんいいさ、ライネスク侯爵」


 リカルドの条件を飲んでしまったのは、残っていた酒のせいかもしれない。しかし自分が間違っていると、ユーリィはいっさい思わなかった。


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